幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

これまでのこととこれからのこと

何故突然ブログを止めたのか

身内の妨碍のためです。具体的には、母親がネットストーカーのように付き纏ってくるのが気持ち悪くて仕方ないからです。
私は、昨年末を以て幸福の科学を退会し、今年の一月一日から、「TSI研究会」という名前でアンチブログを始め、教義の検証を始めました。順調に進んでいましたが、三月頃だったでしょうか、匿名で書いていたにも関わらず、私の母が目敏く見つけ、「これ、あんたが書いてるんでしょ。すぐにやめなさい」というようなことを言ってきました。それは無視してブログは継続しました。
それから間もなく、こころけんブログが始まり、種村ブログも始まり、そうこうしているうちに私の母も漸く気付いたようで、夏には退会してアンチ化しました。それだけならまあ良いのですが、事ある毎に、何かと口出しをしてくるのです。私はもう三十歳を越えていて、別の人間であるのに、どうも、母は私のことをまだ自分の一部であるかのように思っていて、何でもいちいち絡んでくるのが迷惑でしょうが無いです。私は、私の母には、できれば、一生幸福の科学の信者として生き、苦しみながら死んで欲しかったです。幸福の科学と一緒に心中して欲しかったです。
間違った信仰を子供たちに押し付け、人生を大きく狂わせたという重大な罪があるにも関わらず、それを決して自分のせいだとは思わない。そして、いつまでも子供を自分のものだと思い、執着し、何やかんやと口出しして絡んでくる。本当に気持ち悪くて仕方ないのです。こういう気持ち悪い人間には、本当に幸福の科学がお似合いで、いつまでもエル・カンターレ様を信じていればよかったのに、と思います。
だから、私は、常に母に監視されていることが嫌で嫌で仕方なかったので、ブログも閉鎖しました。実は、以前にも同様のことがありました。幸福の科学とは無関係に、個人的に数年続けていたブログがありましたが、そこも目敏く見つけ、「見るな」と言ってもいつまでも監視し続けるので、閉鎖してしまったことがありました。これで二度目です。「二度あることは三度ある」と言いますので、またあるかも知れません。
私は、親には、心から、早く死んで欲しいと思っています。冗談ではありません。そうでないと、私は、自由に発言することすらできないのです。全ての自由を奪い、人生そのものを奪い続ける。私は死ぬまで私の母親を許すことはありません。今後も邪魔をしてくるでしょう。その度に、私の感情は怒りの方向へ、全てを破壊したくなる衝動へと突き動かされます。絶対に許さないです。
こういう気持ちを理解できる人は少ないかも知れません。幸福の科学の信者から見れば、「アンチというのはやはり悪魔のような心の持ち主なのだ」という風に見られるかも知れません。ただ、二世信者の方であれば、共感できる方も少なくないと思います。
母が何故「幸福の科学」という宗教に走ったかと考えると、要は、夫から思ったように愛情を受けることができず、欲求不満が溜まっていた、ということがあるでしょう。それでは、父が何故妻に愛情を注ぐことができなかったかと言うと、父は幼い頃に父親を病気で失い、女手一つで育てられ、家庭の中での夫の役割を学ぶことができずに育った、ということがあるでしょう。父は典型的なワーカーホリックで、殆ど家庭を顧みることのない人でした。ただ、このような傾向は、私の家庭に限ったことではなく、アメリカ文明の影響を大きく受けた敗戦後の日本ではよくある光景でもあったでしょう。男女平等が唱えられ、個人主義が良いこととされ、自己中心的な考えが正当化されるようになった。調和や配慮よりも自己主張を重んじるようになり、女は男と対等のようになり、「夫唱婦随」ということが美徳とされることも無くなってしまい、夫婦喧嘩が絶えず、離婚に至ることも珍しいことでは無くなってしまった。
そういった時代状況の中にあって、「幸福の科学」という宗教は生まれた。米国的な個人主義的思想を正当化し、更に推し進めたような理論をかざした。だから、家庭は必ず崩壊するし、教祖自らが離婚するのも当然のことではある。
さて、そのようなアメリカ文明でも問題になっていることの一つとして、親の子供に対する異常な支配・執着、ということがあるようである。

これらは、元々米国で出版されて、日本語に翻訳されたものである。詳しくはアマゾンのレビューでも見て貰えばよく分かると思うが、悪い親に支配され続け、一生を奪われてしまう子供の話である。
この本で言われている解決策としては、「毒になる親を許す必要はない」ということである。「許し」ということは宗教ではよく言われるが、自分の感情に反して無理に許すということは、所謂「抑圧」なのであって、一時的には心が軽くなったとしても、結局、元に戻ってしまう、ということである。毒になる親を許す必要はない。「許さない」ということも、許されているのである。だから、私は私の親を許さない。
もし、親との関係で苦しんでいる方がいるとしたら、上記二冊はお勧めである。きっと、問題解決の助けになってくれると思う。
ついでに言うならば、幸福の科学の研修で、「両親に対する反省と感謝」というものがあった。あれは極めて危険な研修である。親の支配を強め、二世信者に対する洗脳を強めるための研修である。こんな研修を受ければ、その場では感動して涙を流すだろう。しかし、実際には、そこには抑圧しかない。極めて巧妙で悪質な洗脳法である。一見、第三者から見ても素晴らしい研修のようにも見える所が巧妙である。これは「悪魔の研修」と言っても差し支えないと思う。
私もかつてこの研修を受けたことはあるが、資料は全部捨ててしまった。もし、まだ研修資料などをお持ちの方がいれば、その研修ソフトを心理学的に再検証してみた方がいい。幸福の科学の子供たちは、何らかの形で歪んだ親の影響を受けて、心に闇を抱えているものである。その子供たちの心の闇を、一層、心の奥底へ押し込めるものであるだろう。

「許し」ということについての補足

始めてこの「毒になる親を許さなくてもいい」という言葉を知ったときは、本当に癒されたし、我が意を得たり、と思った。と同時に、昔に読んだ小説を思い出した。倉田百三の『出家とその弟子』という、親鸞を描いた小説(というか戯曲?)である。その一節を抜粋する。(倉田百三 出家とその弟子より引用)
親鸞の臨終の時。勘当していた息子の善鸞が駆けつける場面。(善鸞は仏に対する信仰を持っておらず、親鸞はただ信仰を持つことのみを望んでいた。)

唯円 (親鸞の耳に口をあてる)善鸞様がお越しなされました。
善鸞 (声を高くする)父上様。善鸞でございます。わかりましたか。わたしでございます。父上様。
親鸞 (目を開き善鸞の顔を見る)おゝ、善鸞か。(身を起こそうとしてむなしく手を動かす)
侍医 (制する)おしずかに。
善鸞 (涙をこぼす)会いとうございました……ゆるしてください。わたくしは…………
親鸞 ゆるされているのだよ。だあれも裁くものはない。
善鸞 わたくしは不孝者です。
親鸞 お前はふしあわせだった。
善鸞 わたしは悪い人間です。わたしゆえに他人がふしあわせになりました。わたしは自分の存在を呪います。
親鸞 おゝおそろしい。われとわが身を呪うとは、お前自らを祝しておくれ。悪魔が悪いのだ。お前は仏様の姿に似せてつくられた仏の子じゃ。
善鸞 もったいない。わたしは多くの罪をかさねました。
親鸞 その罪は億劫の昔阿弥陀様が先に償うてくだされた……ゆるされているのじゃ、ゆるされているのじゃ。(声細くなりとぎれる。侍医眉をひそめる)わしはもうこの世を去る……(細けれどしっかりと)お前は仏様を信じるか。
善鸞 …………
親鸞 お慈悲を拒んでくれるな。信じると言ってくれ……わしの魂が天に返る日に安心をあたえてくれ……
善鸞 (魂の苦悶のためにまっさおになる)
親鸞 ただ受け取りさえすればよいのじゃ。
一座緊張する。勝信は顔青ざめ、目を火のごとくにして善鸞を見ている。
善鸞 (くちびるの筋が苦しげに痙攣する。何か言いかけてためらう。ついに絶望的にわたしの浅ましさ……わかりません……きめられません。(前に伏す。勝信の顔ま白になる)
親鸞 おゝ。(目をつむる)
一座動揺する。
侍医 どなた様も、今が御臨終でございますぞ。
深い、内面の動揺その極に達する。されど森として声を立つるものなし。弟子衆枕もとに寄る。代わる代わる親鸞のくちびるをしめす。
親鸞 (かすかにくちびるを動かす。苦悶の表情顔に表わる。やがてその表情は次第に穏やかになり、ついにひとつの静かなる、恵まれたるもののみの持つ平和なる表情にかわる。小さけれどたしかなる声にて)それでよいのじゃ。みな助かっているのじゃ……善い、調和した世界じゃ。(この世ならぬ美しさ顔に輝きわたる)おゝ平和! もっとも遠い、もっとも内の。なむあみだぶつ。
侍医 もはやこときれあそばしました。
尊き感動。一座水を打ちたるごとく静かになる。一同合掌す。南無阿弥陀仏の声ひとしきり。やがてやむ。一瞬間沈黙。平和なヒムリッシュな音楽。親鸞の魂の天に返ったことを示すため。
――幕――

この「それでよいのじゃ。みな助かっているのじゃ……善い、調和した世界じゃ」という、親鸞の心持ちが思い出された。
「許し」とか「調和」というのは、このようなことを言うのである。
最近、また大川隆法親鸞をこき下ろした霊言をしたようであるが、大川隆法という人には、この親鸞の心を理解することは、一生できないであろう。一生、闘争の中に生きていくことになるだろう。

愉快な本紹介

さて、こちらは軽い内容です。この三ヶ月の間で面白い本を見つけたので紹介します。

これは、信者やアンチを問わず、幸福の科学関係者にはお勧めの小説です。主人公は平凡な男子高校生なのだが、実は父親が新興宗教の教祖をやっている(教祖の名前はタカシ)。彼女の母親がその信者であり、のめり込んで困っていたりする。また、とあるバンドのドラマーがこの宗教に入ったため、解散することになったりとか、どうも何だか某宗教によく似ています。結末も非常に爽快なので、是非、関係者の方には読んで貰いたいと思います。

これからのこと

以前からやってみたいと思っていたのですが、今後、このブログでは、信者ブログを一つ一つ観察していこうと考えています。結局のところ、信者一人一人に対して、「幸福の科学がカルト宗教である」ということを理解して貰わなければどうしようもないと思うので、一つ一つを取り上げて、適宜、白日の下に晒して明らかにしていくつもりです。