幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

FILE034:LEO知的生活のすすめ

サイト名
LEO知的生活のすすめ
URL
http://ameblo.jp/space-people/
著者
レオ
性別
男性
開始日
2010年11月3日
内容
色々

当ブログに言及されたので、優先的に御紹介します。個別記事の紹介もまとめて行ないます。

まず、タイトルの日本語がおかしいです。「一覧論評」なんて単語、始めて目にしました。この人も、恐らく日本語が不自由なタイプですね。「一覧論評する非常識」と書いておられますが、「一覧論評」という意味不明の謎の造語を使うこと自体、常識がないことを表明してしまっています。

好意的な紹介ならまだしも、馬鹿にし、さげすんだり、悪口を言わんがための、酷評でしょ?

いいえ、公平な評価です。久我さんやガンブロさんなどは評価しています。紹介する目的は、幸福の科学の教えを種子とするならば、その果実は信者です。「果実を見て、教えの真偽を判断せよ」と言われたのは、大川総裁自身です。だから、その信者たちの姿を白日の下に晒して、客観的に評価してもらうために紹介していっています。
私のコメントは別に見て貰わなくてもいいです。実際に、それぞれの信者さんのブログへアクセスして、その目で信者の姿を見て貰えば分かるでしょう。

ちなみに … 。
ここ数日のわたしのブログのアクセス解析をみると、ひじょうに多くの過去記事へ、アクセス1、というのが、だーっと並んでいるのに気づきました。これはひょっとして調査か何かの類なのでしょうかね?
批判カテゴリの記事に関しても、それぞれに見事に同じように「アクセス1」と数値が出ているので、おそらく同一人物による調査であることは明らかでしょう。
研究熱心というより、やられている方からしたら、ハッキリ言って、気持ち悪い以外の何物でもありませんよ。
そこまで他人のブログを研究する暇があるのなら、もっと生産性のあるプラスのことを行った方がよいのではありませんか?そう提言したいと思います。

残念ながらハズレです。
この方も被害妄想の激しい方でしたか。妄想性人格障害の特徴的症状です。

1. 十分な根拠がないにもかかわらず、他人が自分を利用したり危害を加えようとしていると思い込む。
6. 自分の評判や噂話に過敏で、勝手に人から不当に攻撃されていると感じ取り、怒ったり逆恨みしたりする。

この辺ですね。他にも当て嵌まるものがあるように思われます。一度ちゃんとチェックしてみた方がいいのではないでしょうか。コウちゃんとLEOさんは、過去に言い争いがあったようですが、私から見ると、同じ穴の狢のように思われます。
ちなみに、私は、LEOさんのブログを紹介するのは、まだ先の予定でしたので、全くアクセスしていませんでした。私もそこまで暇ではありません。一つのブログに、そんなに何日も時間は掛けません。あなたの方こそ、いちいち自分のブログのアクセス数をチェックして気に病んでいる暇があったら、もっと有意義なことをしたらいいのではないですか。

信仰の道を去り、批判的な立場を取るのはあなたの勝手だけれども、
熱心に今でも信じている人が数多く集まっている、このような場に参入し、
そこで信者ブログを一つ一つ取り上げて、しかも悪意をもっての見下し評価、ときにはそこそこ評価しているように見せても、脱会した方がいいですよ的な、信仰を阻害するような悪意発言は同じですね。
信仰を守らんとしている人たちに対して、その信仰を誹謗・中傷するような悪意のある論評記事の数々。

嫌なら読まなければいいだけでしょう。「信仰を阻害している」と言われますが、私も信仰者です。でも、エル・カンターレ信仰は間違いです。エル・カンターレは祟り神であるので、エル・カンターレ信仰を続けると、不幸になっていきます。だから、幸福の科学の退会をし、正しい信仰の道に入るように勧めています。

何度も言いますが、宗教以前に、人間として非常識きわまりない行為である以上、
このようなブログが、カテゴリ内に居座り続けることが許されるとは、思えませんね。
したがって、ブログ村の運営者に、このブログの追放を願い出ようと思います。

「宗教以前に、人間として非常識きわまりない」ということについて、もっと説明して戴けませんか。どの辺が非常識でしょうか。
例えば、オウム真理教に入信している人に対して、脱会を勧めるのは非常識でしょうか。
例えば、統一教会に入信している人に対して、脱会を勧めるのは非常識でしょうか。
それらが非常識でないとするなら、幸福の科学に入信している人に対して、脱会を勧めるのも非常識ではありません。それらは同類のカルト教団ですから。
尤も、「カルト教団なんかに関わるのは危険だからやめておけ」、「関わらない方がいい」という意味で「敢てこのような場でアンチ活動をすることが非常識である」と言われるならば、それはある程度納得します。
私は、今年の一月から八月まで、TSI研究会という幸福の科学の教義批判をメインとしたブログをやっていました(そのまとめは、「作品紹介・ダウンロード - 幸福の観測所」から見ることができます)。
でも、アンチブログをやっていても、見てくれるのは、アンチ・または一般人だけなんですよね。信者の方との交流は、殆どありませんでした。
他の幸福の科学アンチサイトも、信者の書き込みを禁止していたりして、やはり信者との交流はありません。
私は、信者の方々との交流がしてみたいと思ったのです。
お互い、批判はちゃんと受け止めなければならないですよ。後で述べますが、LEOさんもそういうお考えの人だと表明しておられました。
それなら、是非、LEOさんも、「幸福の科学根本教義批判」を読んで、感想を聞かせて貰えませんか。そして、どうぞ、その間違いを指摘して下さい。「全人類救済」などと言ってるのなら、私もその対象の一人でしょう。アンチの一人も折伏できないで、何が全人類救済ですか。

「批判について」について

折角なので、「批判について」というカテゴリの記事も読みました。

自由主義の世界における言論とは、そうしたものだと私は思います。正しい意見だろうと、間違った意見だろうと、各人各人が己の信ずることによって、さまざまなことを主張する自由が与えられている。
けれどもその自由は、そうした意見が錯綜する中での切磋琢磨の中で、より善いものが生き残り、そうでないものは淘汰される。そういったゆるやかな自由競争の中で、意見の正当性や真実性というものは担保されているわけです。

いい加減な説を主張しておりながら、反論や異論はいっさい聞きたくない。そんなワガママが許されるほど、公の場での発言というものは甘いものではない、ということです。

なるほど、ご尤もな意見です。それなのに、

何だか、一夜にして掌返し、みたいな内容なんですが。

けれども一歩、自分のブログの外に出てみれば、そこまで支配する権限は誰にもありませんから、自分のブログを読んで、アンチテーゼ文章を書く人が出現したり、正反対の論陣を張ったりしてきて、まるで挑戦を挑んできたかのような事態が現出することだって、あるわけです。

余談になりますが、「アンチテーゼ文章」って何でしょう。この人、謎の造語を作り出すのがお得意なようで、時々、意味不明になります。「アンチテーゼ」という言葉にしても、ブログ記事に対する反論の意味で「アンチテーゼ」という言葉を使うことは、私の感覚ではありえません。不思議な言語感覚をお持ちの方のようです。

具体的には、わたしを含め、わたしの近しい友人は、あなたのブログを一切訪問もしないし、したがって、あなたの記事を今後一切読みません。そういう方向で話をまとめるよう、努力してみようと思っています。
しかれども、そのことはあなた自身も、わたしたちに対して、行なっていただかないといけない。
あなたは今後、わたしのブログを一切訪問してはならず、読むこともしないでいただきたい。わたしの近しい友人のブログも、訪問してはいけないし、記事を読んでもいけない。

ここを読むと、何だか訳の分からないことを言っているな、という感じがします。これは、コウちゃんがキレるのも無理はないです。何この変なルール。なんでこの人はこんなに偉そうに、一方的にこんなルールを押し付けるのですか?何の権限があって言っているのですか?それで相手が従うとでも思ったのでしょうか?
ちなみに、このように過度に他人の心を自由に支配したいと思うのも、妄想性人格障害の症状です。一度、本当に心療内科に診て貰った方がいいと思います。正常な言動とは思われません。
閲覧制限とか、そういうのがやりたかったら、mixifacebookでやればいいんですよ。またはhs-snsとかで。公の誰でも閲覧できるブログでやることじゃないです。または、amebloでもアメンバー限定記事とかできるんだから、それでやればいい。
ちなみに、ブログ村について言えば、ブログ村のシステムも未熟なんですよね。「嫌なブログは、自分の所には表示させない」みたいな、所謂「透明あぼーん」みたいなシステムがあればいいだけのこと。
私は、批判を加える場合でも、一つ一つ引用し、論拠を示してやっています。幸福の科学の人は、そういうのが苦手なようで、相手の意見を示さずに、一方的に自分の意見を述べるものだから、議論が嚙み合わないのだと思います。
「しからば共に愛し合い しからば共に生かし合い しからば共に許し合え」とか、毎日唱えているのでしょう。「自他はこれ別個にあらず一体なり 他人に対して理解をし 自分に対しては反省せよ」と毎朝毎晩、唱えているのでしょう。それなのに、信者同士ですら理解し合えないようでは、もうどうしようもないです。
幸福の科学の悪い所は、やはり、言行不一致な所です。それは、教祖の都合で、矛盾する教義や、自分勝手な「例外」規定を設けたりしていることが発端です。口でいいことを言うだけの、いい加減な宗教です。「仏法真理詐欺」とでも言うべきものです。
そのいちばんの例は、「家庭ユートピア」を説きながら、自分自身は離婚してしまうという、もう最高のお笑いを演じてしまったわけです。言い訳がましく「離婚・再婚の法」というのを説いてみせたり、松下幸之助霊に「一夫多妻制」を語らせてみたり。
「常勝の法」とか「常勝思考」とか言いながら、2009年衆院選では見事な討ち死を果たしました。それなのに、反省することもなかったので、翌年の参院選では、票数を半減させることになりました。それから二年たった今、更に半減以下になっていることは間違いないでしょう。これでは「常勝の法」ならぬ、「常減の法」です。今度はどんな言い訳をしてくるでしょうか。今から楽しみですね。
それでも人のいい信者たちは、詐欺師の口車に乗せられて騙され続ける。これはもう、悲劇やな、としか言えません。
騙されてもいいから信じ続ける、という人はそれでいいです。でも、私の言葉が少しでも届けばいいと思っています。
信者の方へ問います。あなたは幸福ですか?あなたの周りの信者さんたちは幸福ですか?また、「聖なる変態」ことピア健さんや、前川謙一さんや、虹咲くオーラさんと同列に扱われることに不満はないですか?
これらの質問に、全て「はい」と答える方は、それでいいです。でも、そうではない方に言いたいです。
幸福の科学を辞めれば幸福になることができます。そういう考え方があることを示さなければ、信者の人たちも気付いてくれないと思うので、繰り返し述べます。
マインドコントロールされているのは国民ではなく、信者の方です。
エル・カンターレは根本仏などではなく、エンリルと同じ祟り神です。
幸福の科学を信ずれば幸福になるのではなく、不幸になります。
退会をすれば、エル・カンターレの呪いから解き放たれ、自由になります。幸福になります。
その例は、種村ブログ等で示されています。
アンチは決して悪魔などではありません。あなたと同じ人間です。
今までの信仰生活の積み重ねがあり、それを捨てがたいとしても、それらを思い切って全部捨て去ることも勇気です。それこそ「前後際断」です。捨てる勇気を持って下さい。「卒・幸福の科学」です。それが、あなた自身や、あなたの周りの人を幸福にすることに繋がります。