幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

幸福の科学の間違った霊的世界観について

またまたまたまた言及されていたので、お返事を兼ねて、お答えします。

ええと、この人は面白すぎます。子羊のピッポさんは、キャラクター的には、愛すべきキャラですが、その名の通り、「迷える子羊」という感じです。

あるいは
地上に降りた、天使候補生に対しては、強烈な戒めとしての見本です
『私達、幸福の会員だって、彼のように、アンチに成る可能性は有る!』

いやいや、アンチになってるのは全員元信者ですから。信者でない人がアンチになる可能性はありません。

『我々、如来級の天使であっても
ひとたび信仰を失えば、ルシファーのような大悪魔に成る危険性が有る!』

こっちはよく分かりません。誰が「如来級の天使」なんでしょうか。この場合の「我々」って、誰なんでしょうね。子羊のピッポさんは、自分が如来級の天使だと思っている、と解釈して宜しいのでしょうか。それは幸福の科学の信者からも大いに反感を買う認識のように思われますが。

彼は、このブログ村に集まった人々を、懊悩させて
幸福の科学』ブログ村そのものを、破壊しようとしています

違いますよ。ブログ村なんて小さなものはどうでもいいです。このブログでも何度も書いているのですが、目的は幸福の科学そのものの撲滅ですよ。そのためには、信者一人一人に目覚めていただかなくてはならないので、個人のブログを順に取り上げ、交流を図っています。ブログ村に登録したのはそのための行動の一環です。

ブログ村の規約とか

ところで、相変わらずブログ村からは何の連絡もないのですが、どうなっているのでしょうか。
ブログ村のスタッフの皆さんも、大変だとは思います。統一教会の巣のようにもなっていて、あちらでも出て行けだの何だのという騒動が続いているようですし、「今度は幸福の科学かよ、これだからカルト宗教は……」と、半ば呆れられているのではないか、と推察いたします。

こちらが規約で、禁止行為が列挙されています。その中に、

宗教関連、布教目的の内容・表現

という項目もあります。「じゃあ、幸福の科学関連のブログは全部アウトじゃん」と思うかも知れませんが、そうではないようです。

にほんブログ村 係長と申します。
宗教につきましては、信者の方々が書かれている物は削除対象などにはなりません。
しかし、強引な勧誘や、誘導的な勧誘などを行われている場合は、削除対象となる場合がございますので、ご了承頂けますと幸いでございます。

ということで、通常の日記はセーフのようです。
で、信者の皆さんは、私のブログが、利用規約の禁止行為の中の

他人の名誉を傷つけたり、著しい誹謗中傷のある内容・表現

これに抵触しているとして、通報されたようです。その判断を下すのはブログ村の担当者の方ですので、当方も連絡待ちの状態です。本当に通報したんでしょうか。余りに対応が遅すぎる気もしますが。もしかして、「許された」ということなのでしょうか。

自分を批判する者は皆「無神論者」「唯物論者」であるという思い込み

さて、ピッポさんのブログに戻ります。

たぶん
このブログ村から、会員が一人も居無くなるか
会員をアンチに変える事で
喜びを感じるのでしょうね?
一種の復讐心です

誰に対する「復讐」なのですか?私の文章のどの辺にそれを感じましたか?教えて下さい。
私の目的は、信者の皆様を、祟り神であるエル・カンターレの呪いから解放していくことのみです。エル・カンターレが祟り神であることは、「没落の法則」により、実証されています(google:没落の法則参照)。
「祟り神」を「根源神」と思い込まされているのが、可哀想な幸福の科学の信者たちです。

彼は
霊的事象に関しては
全くの無知です
その為
物質主義者の精神理論しか、使えないのです

まあ、このタイプのアンチは、同じタイプの理論攻撃しか出来ません
無神論・無霊魂論・無霊界論攻撃です

これは単なる決めつけですね。大川隆法もそうですが、自分たちに反対する者は皆「無神論者」や「唯物論者」と思い込んでいる。でも、それは単なる被害妄想であり、世の中を正しく見てはいるとは言えないです。私が見てきた範囲では、普通に素朴な信仰を持っている人が多いです。
私も、今年の夏は富士山に登り、山頂の浅間神社へ参拝してきました。同じような登山者は、列を作るほど、たくさんいました。
今年は他にも、「日本三大弁財天」と言われる、江ノ島神社、厳島神社、都久夫須麻神社にも参拝してきました。こういう人が、「無神論者」だと思われるのでしょうか。
秋以降には、伊勢神宮や、春日大社へも参拝してきました。いずれも、人出はとても多かったです。幸福の科学では「観光地化してしまっている」とも批判しているようですが、「それはちょっと言い掛かりじゃないの」と思います。確かに、海外の観光客も多くいましたが、私が見た範囲では、礼儀正しく参拝している人の方が多数でした。彼らを全部「無神論者」と切って捨てるのは、私は正しいものの見方とは思われません。
ピッポさんたちは、幸福の科学が、スピリチュアリズムから批判を受けていることは、ご存知ないのでしょうね。

スピリチュアリズムの敵はスピリチュアリズムの中にある」ということ

以下、幸福の科学の先達たるシルバー・バーチの言葉を信奉する人たちの言葉です。

シルバーバーチは、「スピリチュアリズムの敵はスピリチュアリズムの中にある。スピリチュアリズムの発展を阻む最大の原因はスピリチュアリストの内容のお粗末さにある」という意味のことを言っています。一般の人が知らないスピリチュアリズムの知識を自分だけが真っ先に知っていると考え、思い上がっている人を見かけます。霊的知識は本当はその人間の心を深くし謙虚にするものですが、内省的な努力がないところでは、スピリチュアリズムの知識も単なる傲慢さや自己主張の道具となってしまうのです。霊能力についても同じことが言えます。他人にない能力を持ったということで、その人間が傲慢になることがよくあります。そうした霊能者は、霊的真理を何も知らずに反対するこの世の唯物論者よりもスピリチュアリズムにはマイナスなのです。

まさに、ピッポさんをはじめ、多くの幸福の科学の信者の態度ですね。信者でない者を見下したり、「唯物論者」などと言って差別し、常に上から目線で物を語る。自分たちを批判する勢力は、悉く「悪魔」認定する。
スピリチュアリズムの敵はスピリチュアリズムの中にいる」という言葉は、まことに箴言ですね。
以下のリンク先では、もっと具体的に、GLA統一教会と並んで、幸福の科学の批判をしています。

引用はしませんが、信者の方はよく読んでみられたらよいかと思います。
幸福の科学が、正統派のスピリチュアリズムの人たちからダメ出しされているという事実は、幸福の科学内部ではマインドコントロール維持のため、決して信者に知らされることのない事実です。

神と悪魔との、区別・判別さえも出来ませんから
ごっちゃにして、理論構成が混沌状態に成ります
彼の頭の中では、ゴミ捨て場と、同じ状態に成って居るハズです
そして、霊的経験を、幻覚や幻聴として分類しています
彼にとっては、過去世さえも、荒唐無稽な世界なのでしょう
「悪霊・悪魔は、実在しません」とまで言い切っていますから
宗教法人『幸福の科学』から、追放されて当然です

追放されたわけではありませんが、袂を分かったのは当然です。
シルバーバーチも、悪魔などいない、と言っています((4)人霊以外の霊的存在者〈1〉―“天使”/6.霊的世界の存在者たち)。神道でも悪魔はいないし、儒教でも道教でも悪魔はいません。「悪魔」というのは、キリスト教文化圏のみで存在するもので、まやかしの存在です。洗脳の手段でしかありません。
ピッポさんにはそれが実在と感じられるのだとしても、それは、単なる思い込みです。自分自身の恐怖心や被害妄想が生み出した幻影です。「己心の魔」という意味での「マーラ」はありますが、霊的実在としての「サタン」などというのは実在はありえません。
幸福の科学の「霊的真理」は、大半がいい加減なものです。真に、正しい霊的知識を学びましょう。
真のスピリチュアリズムは、従来の信仰にある迷信の部分を廃し、現代の最先端の科学や哲学とも親和性があり、より正しく真理を現したものでなければなりません。
幸福の科学の「信仰」は、中世の強権的な迷信の世界に逆戻りする間違った「信仰」です。
真実の信仰に目覚めましょう。それは、特定の組織に対する帰依ではありません。個人個人が探究し、摑み取っていくものです。幸福の科学の初期も、「正しき心の探究」等と言っていました。その原点に還るべきです。「偉大なる常識人をつくる」とも言っていました。「聖なる変態」とか、そんな気持ち悪いのはいませんでした。「立ち向かう人の心は鏡なり」とも言っていました。「相手が悪魔に見えたなら、それは自分自身が悪魔の心になっているのである」ということを言われていました。「迫害されるのには、迫害される側に原因がある」とも言っていました。キリスト教を例に取り、「まだ勢力が小さい頃に迫害を受けた宗教は、大きくなってから、他を弾圧するようになる」とも言っていました。幸福の科学は、まさにそれじゃないですか。幸福の科学がかつて批判した邪教の姿そのものになっています。
言っていることとやっていることが正反対だから、「詐欺」だと言っているのです。幸福の科学のかつての理論でいけば、こんな宗教が大きくなったら、必ず他の人々を弾圧するようになります。それが、信者を続けてこの宗教を大きくしようとすること自体が悪であるという理由です。だから、私は、「幸福の科学の信者である」というだけで批判されるに価すると思っています。