幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

信仰以前の問題

以下、ガンブロ氏のこの記事を念頭に置いた話です。
言っていることは大筋で納得しますが、あれなんですよね。
「信仰は尊い。だから大川隆法を信じろ」と言っているように聞こえます。これは論理的にはおかしくて、「大川隆法=神」ということを前提にした理論です。「大川隆法=神」ということを証明しなければ、成立しない話です。
信者は大川隆法を大変尊いものだと思っているけど、アンチや普通の一般人は、ただの人間(というか、宗教詐欺師)だと思っているので、尊敬の対象とはならないだけです。
尊敬する対象を判別するのは、各人の心です。それを判別する術を述べていない点が、ガンブロ氏の論には欠けています。「自称仏陀」でよいなら、麻原彰晃を信じてもよいわけです。「多くの人が尊崇している」というなら、池田大作文鮮明に学んでもよいわけです(どちらも、幸福の科学よりは信者数が多いです)。「高級霊からの通信が尊い」というなら、高橋信次でもレムリア・ルネッサンスのアマーリエでもよいわけです。それなのに、なぜ、大川隆法だけが特別なのでしょうか?
それは、信仰の問題ではありません。
本物か偽物かを判断し、信ずべきものかそうでないかを判断しているのは、信仰以前の、個々人の心の問題です。
「まず信ぜよ」と言いますが、そうやってうっかり邪教を信じたら、大変なことになります。人生そのものが取り返しのつかないことになります。(現に、幸福の科学を信じ、熱心に献身的に活動してきて、全て吸い尽くされてボロボロになってしまい、気がついたら不幸のドン底にいたという人は数多くいます。)
それなら、歴史的・伝統的に受け入れられてきて、人々を幸福に導いてきた実績のある思想・価値観を信じる所から始めた方が安全です。
何故、わざわざ大川隆法を神と崇めて信仰しなければならないのでしょうか?
大川隆法が正しいという根拠はどこにあるのでしょうか?
大川隆法が信頼に足るという根拠はどこでしょうか?
この辺は、本当は、一問一答で信者の方と対話してみたい所ではあります。
三十年近く経ち、教祖やその家族たち、それから職員たち、信者たち、全てにおいてその教えの「果実」が現れています。もう、隠しようがありません。
信者の方にお伺いしたいのは、入信前の白紙の目で見て、あなたは、現在の幸福の科学に入信したくなりますか?
理想としていた教団の姿とは、大きく懸け離れているのではないですか?
その原因はどこにあるのでしょうか。
結局のところ、マインド・コントロールを解くには、他人が幾ら言ってもダメで(ネットでは尚更無理)、各人に自分の頭で考えて貰うより外に方法がありません。
それから、生きている人間を絶対視して「信仰」するなどということは、仮に相手がどんなに優れた存在であったとしても、更にあり得ません。ガンブロ氏の論は、「尊敬」と「信仰」を混同しているように見えます。意識的にか無意識的にか分かりませんが、幸福の科学を擁護するために、無理な理窟を捏ねくり回しているように見えます。

ついでにお知らせ

暫く修行の旅に出ます。探さないで下さい。
というのは半分冗談です。31日まで、所用で更新が滞る予定ですので、宜しくお願いします。