幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

大本大道場修行体験記 その2 建物や信者の様子などについて

一日目から四日目の午前中までが亀岡で、四日目の午後から五日目が綾部での修行となっています。幸福の科学的には「総本山・正心館」と「総本山・那須精舎」というところでしょうか。
もっとも、幸福の科学とは違い、全国各地にこのような研修施設があるというわけではないようです。
まず、これら二つの教団の「聖地」について説明したいと思います。

亀岡「天恩郷」

元々、明智光秀によって築かれた亀山城のあった場所で、大正八年(1919年)に出口王仁三郎が購入したものだそうです。着々と宗教施設を建設し、整備を進めていたものの、昭和十年(1935年)、大日本帝国政府が大本を弾圧するという「第二次大本事件」(また次回以降に詳述します)が起き、出口王仁三郎以下幹部は逮捕・収監され、亀岡にあった神殿等の建物は悉く爆破されてしまいました。(余談ですが、爆破をしたのは清水建設(当時の清水組)だそうで、それが幸福の科学の宗教施設の建設を請け負っているというのは、何かしらの因縁を感じます。)
戦後、出口王仁三郎は無罪放免となり、亀山城址の地も大本に返還され、それから再び「聖地」としての再整備がされたということです。
亀岡は「宣教(=伝道)」の中心地であり、綾部は「祭祀」の中心地、という位置づけのようです。
敷地は旧亀山城址ということで、かなり広いです。苑内は、街の喧騒からは完全に隔離され、静寂が保たれていました。
宿泊者には、基本的に「朝拝」と「夕拝」が義務付けられており、「万祥殿」という礼拝殿に参拝した後、苑内の参拝所を巡拝することになります。特に旧天守閣の部分は、「月宮宝座」と呼ばれ、禁足地となっていて、一番尊い場所になっているようです。

明智光秀について

出口王仁三郎は、明智光秀千利休、という説を唱えていたようです。

などを参照。この辺は、明治の頃の新説をそのまま鵜呑みにしていたようで、あまり当てにはなりません。
でも、大道場修行の中には、「食作法」の研修もあり、お抹茶を戴いたりしました。大本の中には茶道とかも入っているようで、『へうげもの』の世界に近いものがあるなあと思いました。

合気道」について

「道」繫がりで、つでに合気道について書いておきます。
「最強の格闘技」と言われることもある「合気道」ですが、これも大本が発祥ということを、今回、初めて知りました。
合気道の創始者・植芝盛平が、出口王仁三郎に魅せられ、大本に入信して綾部に引っ越してきて、そこで完成させたのが「合気道」だそうです。
幸福の科学の東京南部支部の信者さんでも、合気道の高段者の方がいて、私も一度だけ体験させてもらったことがありますが、その時に教えて貰ったのは、「円を描くような動作を基本としているのだ」ということでした。見た目も非常に美しいという印象がありました。
その他、詳しいことは全く知らなくて、取敢ず先程wikipediaを読んでいましたが、

この辺のエピソードを読むだけでも色々と凄すぎました。

綾部「梅松苑」

開祖である出口直の屋敷跡を中心に、こちらもかなり広大な敷地でした。「みろく殿」と「長生殿」という大きくて立派な礼拝殿が二つあり、他にも様々な施設があるようでした。龍宮界を模した池などもありました。大本では、綾部は「陸の龍宮」とも言われているそうです。

幸福の科学の精舎との比較

幸福の科学はギリシャ神殿風の建物が多く、渋谷精舎のように、「外見は立派だけど中は狭い」というものも多いです。
大本は全ての点で正反対で、純和風の建築であり、外から見るよりも内側が立派なものが多いように思われました。

集まっている信者や職員たちの様子

受付では、普通の事務員のおばちゃんのような方が、ごく普通の笑顔で応対して下さいました。まあ、ごく普通だなあという印象でした。
一緒に研修を受けていた方は十数名で、信者以外の一般で参加したのは、私ともう一人だけでした。

五十代の一般男性の様子

五十代で、既婚者、子供は既に成人しているとのこと。船井幸雄氏の本を読み、大本に興味を持って参加したそうです。坂本政道の本なども読み、ヘミシンクにも興味があるようでした。そういったスピリチュアルに興味を持っている方で、『神秘の法』も、自腹でチケットを買って観に行ったとのことでした。
この方は、朝拝と夕拝にも毎回キッチリ参加して(私は殆どさぼっていた)、大本信者の方とも連絡先を交換して、かなり馴染んでいらっしゃいました。

信者の様子

他は皆信者さんでしたが、夫婦で参加していた方が多かったのが印象的でした。三十代の夫婦が二組で、一組は二歳ぐらいの子供連れでした。講義室(大道場)には母子室も完備されており、幸福の科学との待遇の違いを感じました。他には老夫婦も二組いて、とにかく、信者夫婦の仲睦まじい姿が印象的でした。
大本では、「神界では男女一組で一柱と数えられる」という教えがあるらしく、「夫婦和合」というのは基本なのでしょう。どこぞのエル・なんとか様のように、離婚再婚が当たり前、というようなことは大本にはありません。
勿論、一人で来ておられる方もいました。男性もいたし、女性もいました。
幸福の科学にも、何割か、霊好きの人がいますが、大本にもそういう方はいました。割合で言うと、一割ぐらいでしょうか。「○○神様がね、○○っておっしゃったのよ」というようなタイプです。妙に目が据わっていたり、挙動不審だったり、空気の読めない発言をしたりします。そういう一見してちょっと正常じゃない人が一割ぐらいいました。(誰とは言いませんが、ブログ村にも何人もいらっしゃいますよね。霊能系のタイプの方々。)
私は幸福の科学で慣れているからいいものの、結局、そういう人たちが、「宗教」の評判を落とすんですよね。まともな人を宗教から遠ざける役割をしてしまっている。でも、そういうタイプの人は宗教の中でしか生きられないのも事実なので、暖かく見守ってあげなければいけないのだろうとも思います。
それから、中には「ひいおじいちゃんの代から信者でした」という方もいてびっくりしました。でも、それが普通のようでもありました。八割方は、祖父や曾祖父の代から受け継いだものであるようです。
研修参加者以外でも、お正月に向けてのお祭りの準備で、沢山の方がボランティアで来ていました。窓拭き隊もいたり、餅つき隊もいたりと、正心館の様子を思い出しました。年齢層的にも性別的にも特に偏っているという感じはせず、老若男女が集っていました。

中学生の様子

ちょうど、学生部合宿のようなことが行なわれており、四、五十人ほど集まっているようでした。朝の掃除や食堂で見かけただけですが、普通の中学生とそんなに変わらないかな、という印象でした。でも、挨拶はしっかりしていました。大人も含め、大本では挨拶の励行が行き届いていました。

挨拶の励行と横の繫がり

知らない人でも、擦れ違う時には「お早うございます」などと必ず声を掛け、お風呂に入るときも「こんばんは」と声を掛け、お風呂から出るときも「お先に」と声を掛ける等々、とにかく挨拶が習慣になっているのが印象的でした。
幸福の科学の精舎では、基本的に「聖黙」と言って、せいぜい会釈するぐらいでしたので、そこは大きな違いを感じました。気軽に挨拶をするという精神は、研修参加者同士での会話もスムースにさせているようでした。私は敢てちょっと引いた立場から観察していたのですが、先程の一般男性などは、頻繁に話し掛けられ、色々と交流していました。「一般も信者も関係ない」という雰囲気が素晴らしかったです。非信者を全く見下したりはしていないのだ、と思いました。
幸福の科学ではこうはいかないです。
幸福の科学は、秘密が多すぎるんですよね。一般の人と、信者の人に対して、話す内容を使い分けなければ話が通じないです。職員に対してと信者に対してとでも違いますし、職員間でも情報格差があります。再婚問題でもそれはハッキリとしています。幸福の科学という団体は、閉鎖性が極めて高いです。
その点、大本は、非常にオープンであると感じました。一般でも信者でも、殆ど差はありません。非信者を見下したりとか、職員が信者を見下したりとかいうことはありませんでした。(というものの、大本にもタブーな話はあるようです。この件も次回以降に書きます。)

講師の様子

講師の方が一様に言うのは「お取り次ぎ」という言葉で、「自分たちは神様の教えを取り次いでいるだけである」という謙虚な心が染みついているようでした。(シルバーバーチの言う「道具意識」にも通じるものがあります。)それは、講義を受けていても感じました。
講師の質に関しては、幸福の科学と遜色が無い感じでした。五日間で計十数名の講師の方から講義を受けたことになりますが、面白い人もいましたし、中には真面目くさってそれほど面白くない人もいました。それも幸福の科学と同じです。
こういう人たちは、幸福の科学でもそのまま講師として勤まるだろうし、どこの宗教へ行っても通じるのでしょう。逆に、幸福の科学の講師の方が大本の講師に転職したとしても、充分に通用するだろうと思われました。
唯一、大きな違いは、講師の服装がみんな和服(着物)ということでした。実際受けてみると分かりますが、これがまたいいもので、特に女性の着物姿は美しく、女性らしさを際立たせていて、とても良かったです。

礼拝の様子

礼拝殿に正座をして座ります。右側に男性、左側に女性が固まって座ります。
導師(?)の方は普通の神主さんの恰好をして、のりとを奏上します。その所作がまた、見ていて非常に心地良いものでした。
「一揖二礼四拍手一礼一揖」が基本的な礼拝形式です。「一揖」は軽いお辞儀なので、「二礼四拍手一礼」ということです。出雲大社などと同じです。(ちなみに、現在の「二礼二拍手一礼」というのは、明治維新以後に全国で統一された形式であり、それ以前は各神社によってバラバラだったようです。)
のりとは神道風ののりとで、少し引用すると、

高天原に大天主太神(もとつみおやすめおほみかみ)あまたの天使(かみがみ)をつどへて永遠(とことは)に神つまります、・・・・・・
(略)
もろもろの曲事(まがこと)罪穢(つみけがれ)を、祓ひたまへ清めたまへとまをす事の由を、天津神国津神、八百万の神たちともに、・・・・・・
(略)

天津祝詞より引用。大本オリジナルというわけではなく、従来の神道で使われていた天津祝詞を多少改変しただけのもののようです。読み上げの様子は以下の動画などをどうぞ。

「かんながらたまちはえませ」というのはいい言葉だなあと思いました。「神の思し召しのままに」という感じの、正しい信仰の姿だと思います。
ちなみに、ここで「大天主太神」というのは、天御中主神であり、幸福の科学の言う「至高神」や「根源神」、「根本仏」を指します。

世界の各宗教ではこの主神のことを、ゴッド、エホバ、アラー、天、天帝などいろいろな名称で呼んでいます。

世界万物を造りたる神はただ独神(ひとりがみ)、天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)とたたえ奉る。天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)の神様をつづめて天帝という。また真神という。 (出口王仁三郎

等々。

まとめ

幸福の科学の信者としては、特に違和感は無かったです。幸福の科学の人向けに言うならば、「幸福の科学を純和風にしたら大本になる」というような説明でよいと思います。幸福の科学の信者さんで、神道系が大好きな方は、大本の信者としてやっていった方が幸せなんじゃないかと思います。
あと、伝道活動の強要とか極端なお布施の強要とかは無いようでした。
講師の人たちは、こんな少ないお布施でどうやって生活しているのだろう、と疑問に思うのですが、本当に最低限のつましい宗教的生活をされているようです。幸福の科学との一番大きな違いは、そこでしょうね。収益を上げるということは、全く考えていないようです。

「伝道」に関する考え方

余談ですが、触れないわけにはいかないので少し書いておきます。

「この大本は、ほかの教会のように、人を多勢寄せて、それで結構と申すような所でないから、人を引っ張りには行って下さるなよ。因縁ある身魂(みたま)を神が引き寄せて、それぞれに御用を申し付けるのであるぞよ。」(大本神諭 明治32年旧7月1日)

こういうことを言っています。要は、「神様が導いて引っ張ってくるから、無理な伝道はしなくていい」ということでしょう。
これは、同時期のイギリスで起きたスピリチュアリズムの一つであるシルバーバーチも、似たようなことを言っていました。

シルバーバーチと出会う前には、霊的真理(心霊学)を広めようとの情熱から、一生懸命に伝道を展開してきたこともあります。しかしシルバーバーチに出会ったことで、そうした布教方法は間違いであることに気がつきました。

スピリチュアリズムにおける「霊的真理の普及」は、真理を受けられるレベルにまで至った人間(時期のきた人間)に、霊界からの導きの中で真理との出会いがもたらされるという形で進展していきます。したがって私たちが霊的真理の普及に貢献するといっても、相手の人間に一生懸命に真理を語って無理やり受け入れさせたり、また大会などを開いて大勢の人間にまとめて真理を伝えるという形で進めるものではありません。

こうした消極的態度は、幸福の科学の強迫的な伝道活動奨励とは正反対の態度です。
まあ、どちらを好むかはそれぞれの判断だと思いますが、「強引な伝道の奨励」ということで、幸福の科学で様々な弊害が起きてきたのは事実です。人が離れる原因になってきたのもそこでしょう。
幸福の科学では、伝道活動をしない人間を「野狐禅だ」とか「仙人だ」とか「愛がない」などと言って誹ったりしましたが、果たしてそれは本当だったのでしょうか。無理な伝道活動は、本当に「天上界」が望んでいることなのでしょうか。「事業拡大」のために人間心で行なわれたことではないのでしょうか。
「愛」というのは「啐啄同時」とも表現されるように、導きを待つ人に対し、必要な導きを与えることであって、何でもかんでも押し付けることではないのだろうと私は思います。

次回の予定

次はいよいよ教えの内容に入っていきたいと思います。
幸福の科学の言う「仏国土ユートピア」というのは、大本の言う「みろくの世」というのと同じことだと思いますし、霊界思想など、教えの類似性は幾つもあります。
勿論、違う所もあります。
例えば、幸福の科学では、経済的繁栄やアメリカ的な自由競争社会は良いことだと教え、格差社会を推進する立場ですが、大本では、西洋的な考え方を「利己主義(われよし)」とか「優勝劣敗・弱肉強食(つよいものがち)」とか言って、「諸悪の根元」とみなしていて、そこは決定的に違います。正反対と言ってよいでしょう。大本でも「進展主義」ということは言っていて、発展を否定しているわけではありません。でも、「格差社会を推進する」ということはあり得ないです。
双方の教えを見ている感じでは、「幸福の科学は、一見、大本の進化形のようでありながら、大本の劣化版なのではないか」という気がしてきています。大本について知れば知るほど、そういう風に思われます。思想のスケールもそうですし、政治への影響力に関しても、大本の方が格段に大きかったです。(だからこそ、国家権力によって弾圧されるまでになってしまいました。)
出口王仁三郎大川隆法を比較しようかとも思ったのですが、比較するのも失礼に当たるぐらい、人物の大きさが違いすぎるように思われます。合気道創始者の植芝さんのような傑物が幸福の科学から出ることもありません。
大川隆法も、『出口王仁三郎霊示集』というのを出していて、

この辺でも読むことができますが、大本で教えてもらった王仁三郎と、大川隆法の口を通して話す王仁三郎とでは、人物像が余りに違いすぎます。大本の信者が幸福の科学に宗旨替えをすることはまずないだろうと思われます。
逆に、幸福の科学の信者が大本に転向することはできるのだろうか、ということは、今、鋭意研究中です。