幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

大本大道場修行体験記 その4 幸福の科学と大本の共通点・相違点

まとめのようなものです。

幸福の科学との共通点

共通の用語

研修の際に耳にした言葉です。

  • 「この世は仮の世」

講師の方が、ハッキリとそう仰っていました。

  • 「光が入った」「魂に染みこませる」「~させていただく」

幸福の科学でもよく耳にした言葉です。

  • 「真理の太陽」

これは賛美歌の中の言葉にありました。

  • 「人は神の子」

大本の場合、「神の子」または「神の宮」とも言っていました。
以上、研修中に耳にしたもののみですので、他にも多数あると思います。幸福の科学を退会して一年余り、そういう言葉に触れて、何となく懐かしい感じがしました。
逆に聞き慣れないな、と思ったのは、「おかげをいただく」という表現でした。ググってみると、金光教や黒住教のサイトが出てくるので、そちらから受け継がれた言葉なのでしょう。

共通の教え

教えとして共通しているのは、

  • 輪廻転生を説く
  • 多神教を認めつつ、一神教をも融合しようとする試み
  • 天国・地獄はある。一口に「天国」と言っても種類があり、階層がある
  • 地上に理想社会が到来することを説く(または目指す)

そんな所でしょうか。細かい所では違いがありますが、基本的な霊界観にそれほど差はないようです。

幸福の科学との相違点

  • 現世利益を説かない

神への信仰に見返りを求めてはならないのは基本のようです。(まあ、どこの宗教でもそうだとは思いますが。)大本でも「祈願」というのも一応ありますが、それほど重要ではないようでした。
ある参加者の方は、「今の大本には、変な人が集まる要素がない」ということを言っていました。それも尤もなことで、人間の欲望に付け込んで信者集めをする、ということがありません。大道場修行に参加した際、アンケートは書きましたが、「入信しませんか」というような勧誘は一切ありませんでした。幸福の科学ではまず考えられないことです。「来る者は拒まず、去る者は追わず」という精神が徹底しているように感じました。強引に人集めをしようとする幸福の科学とは正反対です。

  • 代わりに先祖供養を説く

祖霊を祀るということは、幸福の科学と比べて、非常に重要視しているようでした。

  • 西洋的価値観よりも東洋的・日本的価値観を優先する

幸福の科学は、アメリカ的価値観をよしとするところがあります。それは、「原発推進」とか「格差社会推進」とか「TPP賛成」といった政治的な立場によく現れていて、幸福の科学では、西洋的な個人主義や自由競争社会をよしとしています。
その点、大本では、「利己主義(われよし)」とか「優勝劣敗・弱肉強食(つよいものがち)」と言って、ハッキリと否定しています。
別の表現をすると、幸福の科学では男性原理が強く、男性みたいな女性が多いですが、大本では、女性原理が強く、女性らしい女性ばかりだと感じました。着物の女性の美しさをしみじみと感じました。

大本の問題点

これが、大本以下、新宗教を乱立させた原因であると思います。
まあ、これは信者の間でも個人差があるようですが、出口王仁三郎を「救世主」と考えるのが一般的な認識のようです。
しかし、傍から見れば、出口王仁三郎が仮に神の言葉を伝えた人物であったとしても、所詮は人間ですから、当時の時代の制約もあり、自ずと限界があるように思われます。例えば、古神道を持ち出して「一霊四魂」と言って魂の構造を説明したりしていますが、それが果たして普遍の真理であるかどうかとなると、私には甚だ疑問に思われます。他にも、色々と霊界の構造を説いたりしていますが、現時点から見ると、そういうのも眉唾物としか思われないです。(大川隆法も同様。)
疑おうと思えば幾らでも疑い得るし、それを信じなかったからと言って、生きる上で何か不都合があるわけでもありません。神への信仰に於ても、何か不都合があるわけではありません。
「愛善運動」とか「楽天主義」とか、そういう行動に関する教えについては悪くないと思います。
私は、争いや分裂の起きる原因は、一人の人間の言葉を絶対視することにあると思っています。(そうなる原因は、「神憑り」の言葉を絶対化してしまうことにある。)
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」というのはやはり真理なのであって、「仏陀も人間であり、キリストも人間であり、マホメットも人間であり、出口王仁三郎も人間である」*1ということを前提にしなければ、幾ら言葉で「万教同根」などと言ったところで、永遠に和合することなどできず、逆に分派・別派を大量生産してしまうことになってしまっているのでしょう。出口王仁三郎以降の新宗教乱立の歴史がそれを証明しています。21世紀以後の社会に「カリスマ」は不要です。
「利己主義(われよし)」を否定するなら、「自分たちの考えのみが正しい」とするような姿勢をも止めなければならないです。調和というのは、お互いに譲り合うことで実現するものだと思います。一方だけが謙るのでは意味がないし、お互いに聞く耳を持ち、双方が譲り合う姿勢を持つことが争いを解決する道だと私は思います。その反対に、「お互いに自己主張をして、強い方の意見が通る」というのが西洋的な問題解決法です。これでは、いつまで経っても争いが止むことはないです。
特定の人物を神格化させるということは、その時はそれで良くても、排他性を生み出す原因となり、後世に与える弊害や悪影響がとても大きいです。どんなに優れた人物であれ、絶対化し、信仰の対象にしてはならないと私は思います。
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さて、綾部での大道場修行終了後、そこから徒歩五分ぐらいの所に大本の本部と対立関係にある大本信徒連合会の事務所にお邪魔して、そこでも少しお話を伺ってきたので、次回はその辺のことを書いて終わりにしたいと思います。

*1:当然、大川隆法も(下衆ではあるが)人間である