幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

出口王仁三郎関連書籍三冊読了

百瀬明治著『出口王仁三郎 あるカリスマの生涯』(PHP文庫、1995年、isbn:4569568106

当たり障りのない伝記という感じ。面白かった部分を一部引用します。

鎮魂帰神法について

まだ王仁三郎が修行中の頃のお話です。

ちょっと話が難しくなるが、神道には顕斎と幽斎の二つのまつり方がある。
このうち、私たちがふつう見なれているのは、顕斎のほうだ。すなわち、一定の神社や祭壇にまつられた神々に対し、祝詞や神饌物をささげ、柏手をうつなどして神意の加護を祈る儀式が顕斎である。
一方の幽斎は、もっと神秘的であり、したがって説明も容易ではない。神道書などには「霊を以て霊に対する法」などと説かれているが、要するに神の霊と人間の心霊が直接に対峙し、感応しあう、言語・論理の世界を超えたすこぶる玄妙な宗教的時空のまつりであるらしい。
前掲『巨人 出口王仁三郎』には、「特定の場所や時間、祭儀などにこだわらず、神霊に心魂をまつりあわせる神がかりの法である」との解説が付されている。
王仁三郎が長沢雄楯に学んだ鎮魂帰神法は、その幽斎が一部門であり、もともと白川神道の秘伝だったという。
白川神道は平安時代に発する古い歴史をもつが、戦国時代に入って吉田神道に圧倒され、ずっと衰微したまま幕末にいたった。
そんな状況のもとで、鎮魂帰神法を再興したのは、諏訪神社の神官本田親徳である。それを受け継いだのが長沢雄楯であったから、王仁三郎はいわば本田の孫弟子にあたるといってよいであろう。
鎮魂帰神法も神秘の世界のこととて、体験した者でないと理解不能な次元に属するが、本田親徳の再興した法の特徴は、霊媒としての神主よりもその神主に憑霊した霊の正体を見きわめることのほうが重要だとする「審神学」にあった、とされる。
つまり、ある人間が神がかりしたとする。その場合、人間自体の霊格は二義的であり、憑依した神の神格の審査のほうが重視されたということだ。
『神仙の人 出口日出麿』(出口斎編)は、大本教の鎮魂帰神法のやり方を、次のように描写している。
「すわって手を組み、審神者(心霊の善悪正邪を審判する役)が高らかに祝詞を奏し、石笛(いわぶえ。天然の穴のあいた小石で、清澄な音色がでる)を吹く。やがて、体内の憑霊が発動し、両手や身体を振動させたり、本人がまったく考えてもいなかったことなどを口ばしる。その霊は高級神霊から下等の狐狸の霊の類までさまざまである」
王仁三郎は、このような鎮魂帰神法を修得し、しかも長沢雄楯みずからの審神によって、自分に憑いているのが狐狸や天狗などではなく、より高等な神だと鑑定してもらえたので、意気揚々と亀岡に戻った。

王仁三郎はしばらくこの「鎮魂帰神法」により教勢を拡大し、浅野和三郎谷口雅春等の一流の知識人なども全国から綾部に参集してくることになります。大正十年の「第一次大本事件」以後は、「鎮魂帰神法」は大本では禁止になります。
これはGLA高橋信次が「霊道現象」としてやったことと同じですし、大川隆法の「霊言」も同じことです。何か特別目新しいことを始めたわけではありません。
現在の大川隆法の霊降ろしに、「審神者」は存在していません。これは、出口王仁三郎の時代から比べて、霊降ろしの手法としては衰退していると言わざるを得ないものです。「幸福の科学」とか言って「科学」の名を冠しながら、客観的第三者からの検証を拒否するということをやっている。こんなものは科学でも何でもない。「疑似科学」ですらない、詐欺の言葉である。

大川隆法がされた「審神」の例

ちなみに、関谷晧元氏によれば、高橋信次の親族からは、偽物認定されている。

八八年の十月、〈幸福の科学〉の代表として、高橋信次の実弟にあたる高橋興和と会うことになった。新宿のホテル・サンルートで、二十七日の二時と日時も決まった。
 はじめて見る信次先生の弟さんは、予想していた通り温厚な紳士だった。
「私は実の弟です。兄の性格は百も承知しています」
 と彼は念を押した。
「ほんとうに兄の霊がでてきたなら、すぐにでも飛んでいって話をしたいと思います。でもねェ、関谷さん。違うんですよ。巧妙に似せてはありますが、兄じゃないんです。私も残念なのですが」

以下、高橋興和さんの言葉のみを引用する。

「ほんとうの神理を樹立してくれるなら、ありがたいと思います。でも、大川さんが書く本の内容は、絶対に兄のものではありません。あのようなレベルで次々に本を出されては困るんです」

「二つはハッキリしています。関谷さんも気づきませんか。一つは、″愛の波動が伝わってこない″ということ。愛を説く言葉は上手に並んでいるけれど、暖かみが伝わってきません。ハートではなく頭で理解させ、うなずかせる感じです。二つ目は、″冗談の言い方の違い″ です。大川さんの冗談には品性がありません。兄はあんな下品な言い方のできない人でした」

「このままでは兄の悟りは、この程度の浅いものとして広まってしまうんです。『新幸福論』や『愛の讃歌』はひどいものです。あれでは猥褻書以下です。何が神理ですか。一人ひとりに対して、兄はもっと真剣な愛を持っていました。そこのところを正しく伝えなくてはならないんです」

云々と。
親族からこのように偽物認定されたにも関わらず、それを本物と称して出版を続け、挙げ句の果てには「幸福の科学を乗っ取ろうとした」などとして、まさに盗っ人猛々しい論理によって高橋信次に全ての汚名を着せるということをやったのが大川隆法という人である。

大本教に影響を受けた人たち

さて、本書の内容に戻る。浅野和三郎谷口雅春岡田茂吉と言った、のちの宗教家になった人たちの他に、文筆家なども名前が挙げられていた。

大本に集まった学生たちの多くは大本神諭の愛読者であり、小山内薫芥川龍之介らの文化人もまた大本神諭に好意的な反応を示した。

のちに『出家とその弟子』や『愛と認識との出発』などを著し、青年層から圧倒的な人気を得た倉田百三も、前向きの評価をもって綾部の神域を何度か訪れたシンパの一人であったと伝えられる。

云々。この本には書かれていませんでしたが、芥川龍之介の作品に霊界描写が多いのは、大本教の影響だとかいう話も聞きました。

松本健一著『増補 出口王仁三郎 屹立する最後の革命的カリスマ』(書籍工房早山、2012年、isbn:9784904701300

wikipediaでよく引用されていたので、とりあえず読んでみた。
冒頭、三島由紀夫の『英霊の声』に触れ、出口王仁三郎友清歓真三島由紀夫という鎮魂帰神法の系譜に言及している。
こちらは出口なおの伝記も含まれており、「神がかり」と言っても、当時流行していた金光教などの新宗教の影響を受けていたことが記されている。
その辺の出口王仁三郎出口なおの思想的ルーツを探っているあたりが面白かった。
あと、時間がなくなってきたので詳細は省略するけれども、著者はもともと北一輝研究をされてきた方のようで、北一輝との関係を述べている辺りも独特の視点がった。

鎌田東二という人について

第四章より。

こういった王仁三郎の発言には、何らファナティックな民族主義はない。きわめてインタナショナルな理想家といった印象である。王仁三郎を「皇道霊学」といった側面からしか見ようとしない鎌田東二(『神界のフィールドワーク』一九八四刊)は、王仁三郎の思想を「世界主義、人類同胞主義」と要約する梅棹忠夫(『日本探検』一九六〇刊)とともに、きわめて一面的である。

私は鎌田東二さんという人はよく知らないんですが、逆にこの人の本を読んでみたくなりました。
どうも、上記二冊は、出口京太郎や出口日出麿を高く評価していたりと、どうも大本本部寄りのようなんですよね。逆に、鎌田東二という人は、大本信徒連合会寄りの方のようなので、ちょっと読み比べてみようかと思います。公式サイトを見ていたら、「神道ソングライター」とか言っていて、すんごい面白そうです。

須藤アキオ著『王仁三郎の霊界物語は科学でこう解ける』(isbn:4198605726

この人は霊界物語の世界にどっぷり浸かったスピリチュアル系の人の自称「科学」即ち疑似科学なので、普通の方にはオススメしません。私もまともには読んでいませんが、鋭いかもと思ったのは、

この辺です。というか、このタイトルだけで充分です。
他にも「神霊界とは虚数の世界である」とかいうのも興味が惹かれるものがありますが、こちらはよく分かりません。霊界=多次元説よりも、霊界=虚数の世界説の方が現実味があるような感じはしました。

フラクタルの魅力

繰り返される相似形、しかし変化は無限に続く。その無限の変化も、実は一つの単純な数式で表現される。あらゆる地点に現れる、同一の「型」。極大と極小の型の一致。言葉でも説明できますが、見て感じるものだと思います。フラクタルっていうのは、とにかくフラクタルなんです。ということで、お気に入りを貼るんやな。