幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

二世信者の苦しみ解決のために:「自己欺瞞」と「抑圧」をやめましょう

信者・アンチを問わず、恐らく宗教全般に当て嵌まることなので、信者の方も真面目に読んで戴ければと思います。
クリスチャン・スイートピーさんの日記(神様に聞いていただく事 | クリスチャン・スイトピーの日記)経由で、水谷潔先生*1の以下の記事を読みました。

「キリスト教会独自の『親子関係未清算』」という言い方をされています。でも、幸福の科学でも全く同じことが起きています。
以下、少し長いですが、一部引用します。

キリスト教会独自の「親子関係未清算」というものがあるように思うのです。


 「真面目な父親は家族のため働き超多忙で、娘に愛を示す余裕もなかった。」との理解。
 「教会の奉仕、神様のためだから、自分は寂しかったけど、仕方なかった」との寛容。
 「父は残念ながら、他者を愛せない人間だった」という事実認識。
 「愛以外の理由での体罰もあった。罪人だからそんなもの」との達観。


 ・・・と自分に言い聞かせています。意識上では、そのように自分を納得させています。でも、心の底での思いは異なります。


 「どんなに忙しかったとしても、自分は父にもっと愛されたかった」との強い不満。
 「教会の奉仕、神様のためだからと言っても、、寂しいものは寂しい」との本音。
 「父は残念ながら、他者を愛せない人間だった。その事実を納得できない」という怒り。
 「愛以外の理由での体罰もあった。罪人だからそんなものだろうが、それでも赦せない」との憎しみ。
 

 理性と感情、意識と無意識が乖離しています。皮肉なことにこうした乖離は、キリスト教会だからこそ、起こるように観察しています。では、どうして、こんな乖離が起こるのでしょう。それは、教会がこう教えるからです。そして、それは原則としては、聖書的で正しいことだからです。


「父と母を敬いなさい」
「赦しなさい」
「憎んではいけません」


 こうした聖書の言葉、聖書の教えに応答して、最初のように、克服できればよいのです。しかし、それが簡単には、できないような場合も多々あるようです。そこで、起こる事は、偽の解決であります。言い換えれば「自己欺瞞」と「抑圧」です。

 現実にある、父から愛されなかった強い不満、寂しかったという本音、残念な父への怒り、赦せない思いや憎しみ・・・・。それらは、心の奥底に現にあるのに、信仰という名目で「ないこと」にしてしまいます。あるいは、表面上の意識に出てこないように心の奥底に押さえつけます。神様が喜ばれないから、罪の思いなので、捨てるのです。いいえ、捨てられない自分なのに、捨てたことにするのです。
 
 これは、克服でも、解放でも、聖化でもありません。「自己欺瞞」か「抑圧」です。そして、このままですと、親子関係未清算状態となるのです。そして、不幸恋愛の泥沼にはまっていくのです。このように、信仰の名目での自己欺瞞や抑圧を、克服、解放、聖化と自分に思い込ませてしまうことは、珍しくないことでしょう。

「理性と感情、意識と無意識が乖離しています」と述べられています。その理由として、教会が「父と母を敬いなさい」、「赦しなさい」、「憎んではいけません」と教えるからであると。
幸福の科学でも全く同じですね。「大悲父母恩重経」とか、「両親に対する反省と感謝研修」などと言って、両親に対する感謝や、不満や憎しみを向けることへの反省を強要されます。
そして、水谷牧師が言うように、「信仰の名目での自己欺瞞や抑圧を、克服、解放、聖化と自分に思い込ませてしまう」ということになります。熱心な信仰者ほど、このような「自己欺瞞」や「抑圧」状態を維持することとなり、苦しむことになります。*2
水谷牧師は、解決策を以下のように述べています。

 「信仰的偽装」をしている限りは、一歩たりとも本物の信仰には、近づきません。神様の前に正直な思いを認めることからしか、親子関係の清算は、始まらないと私は思います。


 神様の前に「もっと父に愛して欲しかった!」と泣くのです。
「教会に父親をとられたようで、寂しかった」と本音を訴えるのです。
「どうして、あんな父なのですか?」と神様に正直な怒りを伝えるのです。
「父の体罰で傷つき、父を憎んでいます」と憎しみをも神様の前に認めるのです。


 できれば、信頼できる導き手となるクリスチャンに聞いていただき、受け止めていただいてもよいでしょう。

幸福の科学では、信者でも支部長でも精舎講師の方でも、このようなことを受け止めて下さる方はいませんね。正直にこんなことを言ったら、逆に「あなたには悪霊が憑いている」などと言われたり、「心の三毒」を持ち出して「愚痴ってはいけません」と言われたり、「両親を尊敬しなきゃダメですよ」などと説教されておしまいです。または、先ほどの「両親に対する反省と感謝研修」などを薦められたりするでしょう。
でも、それでは逆効果なんです。ますます「抑圧」や「信仰的偽装」が進むだけです。
本当に、心から救われるためには、抑圧されている感情を、吐き出す必要があるのです。
この問題について、信者とかアンチとかは関係ないです。アンチの私が言っているのが信用ならないのだと言うなら、リンク先のクリスチャン・スイートピーさんや、水谷牧師の言葉について、真剣に考えてみて欲しいと思います。
これは、日本だけの現象ではないようで、『毒になる親 一生苦しむ子供』(isbn:9784062565585)という海外の翻訳本にも詳しく書かれていました。具体例も挙げられ、非常に参考になるので、オススメの一冊です。
以下は私の理解ですが、自分の感情を偽って「赦した」と思い込むことは、本当の意味での赦しではありません。そういう状態では、自分自身も赦せないし、他者も赦すことができません。
寧ろ、内心、両親を憎んでいたりする自分を、あるがままに認め、そういう醜い心を持った自分をあるがままに受け入れること(または誰かに受け入れてもらうこと)が大事なことです。「そういう醜悪な心を持った自分でも、神様は赦して下さっている」ということを知ることが、「赦し」ということの第一歩だと私は思います。そうやって自分自身の悪を赦すことで、他者への寛容さとか赦しの心とかも芽生えてくるのだと思います。
繰り返しますが、この問題に、信者もアンチも関係ありません。幸福の科学に限らず、宗教全般に関わる問題です。特に、二世信者の方には、水谷牧師のブログ記事を読み、考えるきっかけにしてもらえたら、と願っています。

*1:夜回り先生かと思ったら別人でした

*2:幸福の科学の「抑圧」については、過去の種村ブログでも詳しく述べられていたと思います。