幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

宗教詐欺・マインドコントロールに荷担する信者の例 (2/8追記あり)

幸福の科学の信者は、宗教詐欺の被害者であると同時に加害者となってしまっている」というのは他の人も言っているし、私も同意するところである。
信者の中には、自らが教祖(または教団)に騙され、惑わされているにも関わらず、その騙されているという事実を認めたくないために強引な理窟を捏ねて自己正当化し、他者も自らと同じように惑いの中に引きずり込もうとする者もいる。
ここにもまた、カルト教団のマインドコントロールに荷担して、信者をより深く惑わせようとする信者がいる。

「聖書」や「仏典」を引用してカルト教団の教祖を擁護する信者

だいたい、「罪」を説くこと自体が、恐怖による支配の一つである。それも、「人殺し」とか「嘘を吐く」とかいった一般的な罪ではなく、「聖霊を汚す罪」という、一般には理解不能な「罪」である。そもそも、「聖霊を汚す」とはどういう意味だろうか。人間が「聖霊」を汚すことなどできるのだろうか。人間に汚される「聖霊」など、本当に「聖霊」と呼べるのだろうか。
ガンブロ氏は、キリスト教と仏教の例を挙げて、キリストや仏陀を誹謗する罪が重いということを説いていることを引き合いに出し、「大川隆法の悪口を言うのは罪である」ということを言いたいようである。
しかし、私はそもそも、ガンブロ氏が示したキリスト教や仏教の例は、過去の宗教の中の悪しき伝統であると思う。宗教が捨て去るべき迷信の一つである。
仮に、ガンブロ氏の言うように「聖霊を汚す罪」が「重い罪」だとしても、大川隆法がその「聖霊」であるという証拠は全くない。
更に言えば、統一教会だって「聖書」に基づいてやっているし、オウム真理教だって「仏典」に基づいてやっていた。「聖書」や「仏典」を引用し、それと共通点があるからと言って正しいとは限らないことは、統一教会オウム真理教の例を見れば分かる。寧ろ、そうやって権威に縋って誤魔化すやり方が、カルトの常套手段なのであり、ガンブロ氏もそのカルト的手法をそのまま使ってしまっているのだが、それを自覚できないようである。

「仏典」に反しているのに「共通している」と強弁する信者

ガンブロ氏は、

そしるべき人を誉め、また誉めるべき人をそしる者 彼らは口によって禍をかさね、その禍ゆえに幸せを受けることができない。

という「仏典」の言葉を引き合いに出しているが、私から言わせれば、その「そしるべき人」がまさに大川隆法である。幸福の科学の信者は、それを反転しているので、「その禍ゆえに幸せを受けることができない」のである。さすがは「仏典」である。

幸福の科学の教えを学んでも幸福になることができないと考えている人や、教えを学んで不幸になったと考えている人がいるかもしれませんが、そのような方でも私達が生活する場が、三次元物質世界だけではなく、霊的世界が理論整然として存在し、心の在り方や、認識力や愛の思いによって階層的にすみ分けられているということを、知識として学ぶことができたはずです。

回りくどくて分かりにくい一文である。「理論整然」というのは「理路整然」の誤りだろうが、それこそ、もっと理路整然とした文章を書いて頂きたい。
どうやら、「アンチでも、霊界の次元構造説は学んだであろう。それは正しいと認めるだろう」ということを言いたいようであるが、私はそのことこそが詐欺でペテンだと言っている。本当は何も知りもしない癖に、高橋信次の説を真に受けて、妄想の中で「霊界次元構造説」なるものを作り出し、間違った世界観を尤もらしく語って世に広めてしまった。
あんなものは真理でも何でもないし、信じたからと言って、人間の幸福にとって、何の影響も与えない。寧ろ、幸福の科学の霊界観を信ずれば、幸福になるどころか、逆に不幸になる。
幸福の科学の霊界観は、形を変えたカースト制に過ぎない。バラモン教による生まれ以ての差別を否定した仏教とは正反対の考えである。仏教は「断見」も否定したが、「常見」も否定した。然るに、幸福の科学では、死後もハッキリとした個性が残るということを言っている。それはつまり、仏教で言うところの「常見」である。仏教的に見ても、間違った霊界観を説いている。
ガンブロ氏は幸福の科学の教義に関する真偽については思考停止してしまっていて、幸福の科学の教義を以て「仏典」や「聖書」を読んでいるから、その間違いに気付かないのである。

なぜ、私が幸福の科学の教えから引用しないで、仏典や聖書、あるいは人智学や哲学からいろんな言葉を引用しているかと言いますと、聖書や仏典と幸福の科学で説かれている教えの内容が共通しているからです。当会の教えを素直に聞くことができなくとも、歴史の試練に耐え抜いて現在に語り継がれている真理をすべて否定できるほどの人はいないでしょう。

残念ながら、ガンブロ氏の論は、「仏典」や「聖書」の正しい部分や間違った部分の判別ができていない。「罪の意識」を煽ったり「地獄に堕ちる」と脅したりする部分は、間違った部分であり、カルト的な部分である。そこを「幸福の科学との共通点」として説明しても、幸福の科学がカルトだと説明しているに過ぎない。私は可笑しくてしかたないのだが、ガンブロ氏は、カルト教団の教説にすっかりマインドコントロールされ、「仏典」や「聖書」と幸福の科学の共通点を探して権威付けすることしか考えていないから、その自己の言説の可笑しさに気付かないのである。

宗教家は口ではなく行動で判断されるということ

もちろん、大川隆法は非常な読書家であり、徹底したパクリストであるから、言っていることは部分的には正しいこともあり、正しい部分での共通点もある。
「正しい部分」で信者を釣って、ほんの少しの間違った毒素を入れている。それが詐欺の詐欺たる所以である。
大川隆法が詐欺師である証拠は、幾ら口で立派なことを言っていても、行動が全く伴っていない点である。
例えば、大川隆法は「家庭ユートピア」を説いている。否、「説いていた」と過去形にすべきだろうか。
『仏陀再誕』という書籍では、

あなたがたも、私の次なる言葉をよくよく聞きとってほしい。
まず、家庭をおろそかにしてはならない。
家庭をおろそかにして仏国土建設ということはありえないということを、
肝に命じなさい。
自らの家庭をおろそかにして、
たとえ外においていかなる慈善事業をしようとも、
たとえ外においていかなる難民救済をしようとも、
たとえ外においていかなる献金をし、いかなる信仰深い行為をしたとしても、
もし、家庭というものをおろそかにしたならば、
そのような信仰は本物ではない。

と述べている。口ではこういう立派なことを言いながら、行動を見れば、自分の家庭が崩壊してしまっているのが大川隆法である。
口で立派なことを言うなら、誰でもできる。寧ろ、口で立派なことをいう人の中に、いい加減な人が多い。孔子は二千五百年前に「巧言令色、鮮なし仁」と言い、「剛毅木訥は仁に近し」とも言っている。宗教家の評価は、行動で決まる。
「家庭ユートピア」を説いている教団なのに、教祖自身の家庭が崩壊し、信者や職員たちの家庭が崩壊している。これでは、「巧言令色、鮮なし仁」を体現しているに過ぎない。
「愛」を説いているのに愛がない。常に上から目線で、「与える愛」などと言ってはいるが、相手の気持ちを斟酌せずに、自分の都合で押し付けることしか知らない。人の話を聞く耳を持たず、自己中心的である。困っている人がいても、「自己責任」という言葉で冷たくあしらったり、「優しくするとその人のためにならない」などと言って切り捨てたりする。
「知」を説いているのに知恵がない。疑うことを禁止され、思考停止状態が続いている。教祖の妄言を鵜呑みにしているため、常に偏見を持ち、正しく善悪の判断をすることもできない。神でないものを神と思い込んでいるから、悪魔でもないものを悪魔と見まがうのである。
「反省」を説いているのに反省がない。予言や予測は外しまくり、選挙で負け続けても、一切反省しない。どんな場合も自己正当化をして、自らの過ちを認めようとしない。「反省」をしたとしても、表面的な「反省」しかできず、根本的な反省ができないため、自らが一度得た「信仰」が誤っていることにも気付かないのである。
「発展」を説いているのに没落していく。選挙は負け続け、信者の経営する企業も倒産を続け、信者は減り続けている。学園も定員割れである。「イイシラセ」と言って、いいことばかりが喧伝されるが、実際には信者には病人が続出していたりする。
口では立派なことを言っていても、行動が伴わない。「言行不一致教」、「巧言令色教」、「口だけはでかいビッグマウス教」、「宗教詐欺教」、それが幸福の科学である。
現時点での幸福の科学は、かつての大川隆法が説いた基準からしても「邪教」というより他にない状態である(大川隆法がかつて批判していたカルト教団の姿 - 幸福の観測所など参照)。
宗教家は行動で示すべきである。信者の家庭が幸福になり、信者一同が心からの幸福を手にし、教祖や職員たちの家庭も理想的で、それぞれの子供たちも立派に成長したならば、そこで初めて評価されるべきである。
教祖自身が立派な人格者で、その周囲の人たちもそれに感化されて立派な人格者となり、やがて世間に認められていく。そういうのが本物の宗教の姿である。
繰り返すが、宗教家は、口ではなく、行動で示すべきである。行動が伴わない宗教家は、口でどんなに立派なことを言っていても、宗教家とは呼べない。

聖霊」を汚しているのは大川隆法であること

ガンブロ氏は、大川隆法に降りてくる天照大神が本物の天照大神だと思っているのだろうか。私には、あのような祟り神的存在が天照大神だとは到底思えない。神の名を騙り、「聖霊」の名を汚しているのは、大川隆法に他ならない。
キリストや仏陀など、他の「高級諸霊」の存在も、大川隆法にとっては、自らの権威付けのために利用される存在に過ぎない。「聖霊」を汚しているのは、大川隆法に他ならない。
ガンブロ氏の説が正しいとすれば、ガンブロ氏は大川隆法による「聖霊を汚す罪」に荷担しているので、「いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」ということになる。
また、ガンブロ氏は「そしるべき人を誉め、また誉めるべき人をそしる者」であるから、「その禍ゆえに幸せを受けることができない」ということになる。こうやって私が矛盾点を指摘してあげても、ガンブロ氏は我を曲げず、自己正当化を繰り返すであろう。まことにご愁傷様である。
BAKA-BOMB氏はガンブロ氏のことを「正心宝をぶら下げた悪魔」と言っている。そう言われるのも私は尤もなことだと思う。
ガンブロ氏は、自分だけが惑うならまだしも、他の人を迷わせることは、私は同じ人間として許しがたいものがある。だから、ガンブロ氏にこれ以上の罪を犯させないためにも、少し厳しい言葉になったが、書かせて頂いた。