幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

「ユートピア」についての考え方

今回は、いつも鋭い考察を上げられている楽山日記さん(「幸福の科学」観察日記の人)の記事の一部引用からです。

最近の「幸福の科学」では、ユートピアについてどんな風に説いているのだろうか?
アンチ(幸福の科学に批判的な人)を排除して、信者だけになってこそユートピアは実現すると説いているのだろうか。
それとも、みなが調和され、共存できてこそ、ユートピアが実現すると説いているのだろうか。
いったい、どちらを理想とすべきユートピアだと教えているのだろうか。
ちなみに、わたしは、後者の考え方をしている。

私も後者だと思います。
幸福の科学は、「全人類救済」と言っているのだから、その中には当然、自分たちに対して批判的な勢力も含まれるわけです。それを想定せずに「仏国土ユートピア建設」と言っているのだとしたら、それは机上の空論でしかありません。
また、「批判的な勢力は排除すればよい」という考え方は、意に合わぬ者たちを強制収容所送りにしたり、批判的勢力を皆殺しにしたりする独裁国家と変わらないものです。そこには「ユートピア」という名の下に、地獄絵図が展開されることになります。
現在の幸福の科学の中には、両方の考え方の人が混在しているように思われます。きょう子氏や種村氏に対する処分を見るに、大川隆法や教団の運営の考え方としてはは前者なのでしょう。だから、後者の考え方をする人は、ついていけなくなっているのだと思います。

「それぞれのモノサシ」を読んで

こちらの記事を読みました。この方も、どうやら「アンチはユートピアの中には含まれない」という考え方のようです。
しかし、幸福の科学というのは、個別の問題に対して反論できなくなると、こうして話題をズラしてくるんですね。具体的な話をせずに、抽象論に終始する。幸福の科学学園関西校と住民の間でも同様のやり取りがありました(http://kitaootsu-net.sakura.ne.jp/stop_plan_menu/meeting_history.html参照)。
「エル・カンターレの説かれる法は高く、広く、そして深い」とか言いながら、中身は全くありません。これで本当に人を説得しようとしているのでしょうか。自分を納得させるためだけに書いているようにも思われます。
結局のところ、中身のない「総裁先生には何か深いお考えがあるのです」論を展開しているだけですが、それでは、アンチも、世間の人も、納得はしません。mercyさん本人も、本当は納得していないのではないでしょうか。だから、こういう文章を書かなければならなかったようにも思われます。

はっきり言って、「私は悟りの入り口に立てませんでした」「私のモノサシはけっこう短かったですわ」ということを表明してることに他なりませんね。

これはmercyさんの自己紹介と受け止めておきます。
幸福の科学の信者は、大川隆法という小人物の「モノサシ」を超えることはできません。悟りの世界には程遠い口だけの詐欺師だから、信者も口だけの詐欺師になるしかありません。
小さい世界に籠って、外部の人たちを左翼だ唯物論者だ無神論者だ悪魔だと決め付け、その妄想の中で生きていくしか道はないのです。可哀想なことです。どうか、早く気付いて、エル・カンターレの呪縛から解き放たれ、本来の自由で健全な精神を取り戻して欲しいものです。