幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

アンチを「悪魔」と呼ぶことの危険性

この辺の続きです。

信者の言い分の確認

呆れた さん
UMAが悪魔でなけりゃ、そもそも地獄はいらない。北朝鮮や中国を「反面教師様」と崇めるならば、HRPもいらない。
つまり、HS自体いらないし、我々が会員である必要もなく、伝道も何もかもいらない。
これって、恐ろしい議論なんだよ。人間が人間を続けるか、爬虫類に堕すか、の境界線がここにある。 (2013.02.20 10:48:44)

これまた匿名信者氏の言葉で、どうして匿名で悪口を書き続けるのでしょうか。
私が悪魔でなければ、地獄はいらないと言い、「人間を続けるか、爬虫類に堕すか」などと、意味不明のことを言っています。

通りすがりのゴキブリ さん
「反面教師」と崇める馬鹿がいるし、「悪魔に対し、悪魔と言えない馬鹿」も多い。結局、全員が悪魔となってしまうのだ。
主は嘗て以下の如く説かれた。
「悪霊は隔離します。99人善霊で、一人悪霊が紛れただけで、そこは地獄なのです」と。 (2013.02.20 10:58:46)

「『悪魔に対し、悪魔と言えない馬鹿』も多い」などと言って、上の論を補強し、アンチを「悪魔」と呼ぶことを煽っています。

私の考え

繰り返しになるのですが、幸福の科学の信者の方にお訊きしたいのは、釈尊は生前、生身の人間を悪魔扱いしたことがあったのだろうか?ということです。一般人から恐れられた連続殺人鬼のアングリマーラを改心させたりしたエピソードは知っていますが、生きている人間を悪魔扱いし、排除しようとしたことはあったのでしょうか。
ダイバダッタに対してすら、救おうとされていたのではないですか。
私の考えでは、魔というのは、「己心の魔」以外にないのであると思います。「他者の中に悪魔を見出す」というのは、修行者としてはあり得ないことです。その行為そのものが己心の魔にやられてしまっているというのみです。
私は、「世界というのはあるがままで既に調和されている」というような考え方を持っています。幸福の科学の信者であった時から、そのようなことを考えていました。倉田百三の『出家とその弟子』や、ゲーテの『ファウスト』や、西田幾多郎の『善の研究』などを読んだりして、その考えを強めるようになりました。
然るに、幸福の科学は、「日本人は信仰心のない人間が多い(だから幸福の科学は受け入れられない)」と言い、「中国が悪い」、「北朝鮮が悪い」、「左翼が悪い」と言い、「世の中の半数の人が地獄に堕ちている」と言ったりもします。そして、それを救うことができるのは、大宇宙の根本仏が下生した姿である大川隆法という救世主以外にないと言う。自分たちは光の天使たちであり、自分たち以外の宗教や世間の人たちは皆レベルが低く、不調和な状態にある、と考えています。だからこそ、伝道しなければならないし、自分たちの存在意義がある、と思っています。(その意味で、上の「呆れた」氏の論は、信者の考えとしては筋が通ったものです。私を「悪魔」にしなければ、幸福の科学の信者を続けられないのです。)
要は、幸福の科学は、世間は間違っていると言う。私は、世間はそのままでも美しいと思っている。私のような考え方をする人間が、幸福の科学と相容れなくなっていくのは、無理もないことだったのだと思います。
でも、幸福の科学でも、「他者の中に仏性を見出す」とかいう教えはあった筈です。「他者の中に魔性を見出す」とか「他者の中に悪魔を見出す」という教えは無かった筈だと記憶しています。(余談ですが、そこが幸福の科学の巧妙なところでもあり、教えとしては一見正しいことを説いていながら、実際は正反対のことを行うのです。教祖以下、言動と行動の乖離が甚だしいです。だから、「愛を説いていながら愛がない」と言われるのです。)

殺人にも繋がりかねない危険なカルト思想

生身の人間を「悪魔」と呼ぶことは、世間の常識から見て、非常に危険な思想に見えます。だからカルトと呼ばれるのです。(幸福の科学の教えの中で、そういう思想があるのでしょうか?私が信者であったときに勉強した範囲で、そういう教えがあった記憶はありません。私が不勉強なのでしょうか。あったら是非ソース付きで教えて下さい。)
幸福の科学は、その根本経典『仏説・正心法語』の中の「仏説・降魔経」で、

地上の悪魔は撃退せん 地下の悪魔は粉砕せん

と言っています。これを狂信的な信者が拡大解釈して、「地下にいるアンチは粉砕してもよい」と思い込み、地下鉄のホームに立っているアンチを後ろから突き落とさないとも限りません。
名指しで「あいつは悪魔だ」と言ってしまえば、あなたはいいかも知れないけれど、周りの信者が勘違いして、どんな凶行をしでかすとも限りません。私やアンチを「悪魔」と呼んでいる方々は、そこまで責任が持てますか?それとも、私を「悪魔」と呼ぶ人自身が、私を殺してしまいたいと思っていたりするんでしょうか。
既にこのブログでも紹介してきたように、自ら「統合失調症」とカミングアウトされていた方もいるし、そうでなくとも、一般に見て正常な判断もできない信者が多いです。「変態」という言葉も、褒め言葉として会内で日常的に使われています。『創造の法』以降、「非常識」ということも、幸福の科学内では褒め言葉になってしまっています。
何か問題が起きてからでは遅いです。
信者がアンチのことを「魔に惑わされた可哀想な人」と思うぐらいならまだいいです。「彼らにも仏性があるのだ。いつか、気付いてくれるだろう」と信じ、エル・カンターレファイトでもしていればよいでしょう。
幸福の科学内の空気をおかしなものにしないためにも、言動にはくれぐれも気をつけて欲しいと思います。宗教というのは、その人の行動原理の根本にあるものですから、そこに少しでも変な毒が混じっていると、冗談では済まなくなります。(まあ、生身の人間を「悪魔」と決め付けるやり方を発信しているのが教祖自身であり、教祖から発する毒素が信者に巡ってしまっているというのが現状だろうとは思いますが、そういうことを指摘すると、益々私を「悪魔」と言わなければならなくなるでしょうから、そこは強くは主張しません。)