幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

絶対的でないものを神と崇める愚

神は絶対です。
絶対的存在であり、絶対的真理、絶対的正義です。
信仰とは、その絶対的のものを信ずるということです。
逆に言うと、絶対的でないものは、神ではありません。
絶対的でないものを、無理に神と信じ込もうとしているのが、幸福の科学の「信仰」です。
疑おうと思えば、幾らでも疑い得るものは、絶対的真理とは言えません。(疑っても疑いきれないものが真理である。)
神ならぬ存在を神と信じてしまっている。これが幸福の科学の不幸の始まりです。(神ならぬ存在を神とするから、物事の見方に歪みが生じ、「悪魔」を作り出さなければならなくなる。)
神は絶対的存在であり、普遍的存在でもあります。
全ての存在を平等に遍く愛しておられるのが神です。
特定の宗教の信者だけを特別扱いすることはありません。
「神を信ずる者」だけを特別扱いすることもありません。
全ての存在を導き、護り、育んでおられるのが神です。
絶対的なものが神なのであって、神だから絶対的なのではありません。
大川隆法=神」という間違った前提を持っている以上、幸福の科学の信者が真の信仰に辿り着くことは、絶対にできません。

追記

ここ2,3日は、ピッポさんのブログなどにもコメントしていました。

この辺です。
それで、恐らく私の書き込みを受けて、自称「聖なる変態」ピア健氏が

こんな記事を書いていました。私には理解できない比喩でした。
あと、

「大疑のもとに大悟あり」という有名な言葉は、

と言っていますが、全然「有名な言葉」ではないでしょう。何でも知ったようなフリをするのは、ソクラテスの言った「無知の知」とは程遠い態度です。それは教祖の大川隆法からしてそうですので、よく師の後ろ姿を見習った弟子というべきでしょう。

国之常立神について」について

こちらのブログ、まだ紹介してはいませんでしたが、大本教についておかしなことを書いていたので、一昨日あたりにツッコミコメントを書きました。でも、承認されなかったか、まだ承認されていないようです。
彼はこのように書いています。

 出口王仁三郎氏の生前の誤認により、国之常立神が「祟り神」として不当に貶められる形となりましたが、皇道大本で形成され百年以上続いた「常識」がすぐ覆されることは難しいとしても、今後10年20年の間に幸福の科学の新説(真説)が次第に世に浸透して行くでしょう。

これは全く間違いです。出口王仁三郎について、大川隆法が言っていることを鵜呑みにしているからこうなってしまうのだろうと思われます。
出口王仁三郎氏の生前の誤認により」とか書いていますが、出口王仁三郎のことを「誤認」しているのは、このsugawara氏の方です。
私の理解によれば、生前の出口王仁三郎が説いていたのは、艮の金神=国之常立神であり、長い間、艮の方角に押し込められていた。
しかし、世の中が西洋世界から入ってきた思想により、「利己主義(われよし)」とか「弱肉強食(つよいものがち)」の世となり、乱れに乱れてきたので、本来の神である国之常立神が(みろくの神とともに)世に出て、そういう乱れた世界の「お立て直し」をする、ということである。
もちろん、私もそれほど大本について深く学んでいるわけではないので、大本の信徒の方から見れば、これでもまだ正確とは言えないだろうが、sugawara氏の理解よりは正しいだろう。
つまり、「利己主義(われよし)」とか「弱肉強食(つよいものがち)」というのは、幸福の科学で言う「裏の世界」のことであり、大本の国之常立神はそれを否定しているのだから、大本で言う「裏の神」は、幸福の科学で言う「表の神」のことである。「裏」と「表」の意味が、幸福の科学と大本ではほぼ正反対の意味で使われている。
そのことを理解せずに、「出口王仁三郎氏の生前の誤認により、国之常立神が『祟り神』として不当に貶められる形となりました」と断定するのは、明らかに間違いである。大本の「国之常立神」は、幸福の科学の言うような「祟り神」では決してない。
あと、「皇道大本」という呼称も謎である。
よく調べもせず、教祖からの一方的な情報を鵜呑みにして間違いや妄想を事実と思い込むというのは、まあ、幸福の科学の信者にありがちなことではあるので、些細なことかも知れないが、幸福の科学の信者の奇行の一例として取り上げてみた。

追記2(2月24日)

この記事に関するコメントを頂きました。
分かりやすい比喩で、私の言いたいことを代弁して貰った感じです。是非、合わせてお読み下さい。