幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

鎌田東二著『宗教と霊性』読書感想文

都合により拾い読みで申し訳ないのだが、面白い記述が幾つかあったので、引用しつつご紹介します。

「霊性」とは何か

幸福の科学でも「霊性の時代」という言葉は使われていたが、「霊性とは一体何か」ということについて、詳しく解説されたことは無かったと思う。(もし、大川隆法が「霊性」について説いている箇所があれば、是非、教えて下さい。)
この本では、タイトルにもあるように、「霊性」という言葉が使われるようになったはじまりから解説されている。鈴木大拙の『日本的霊性』という本が、「霊性」という言葉を世に広めた代表的な著作らしい。私は未読なので、また読んでみたいと思う。
以下、第一部 もう一つの日本精神史「平田篤胤から鈴木大拙への“霊性論”」より引用です。

昭和十九年(一九四四年)に出版した鈴木大拙の『日本的霊性』における「霊性」の語は、このスウェーデンボルグのいう「霊性 Spirituality」をふまえたものだ。鈴木大拙は「霊性」を人間のもっとも根源的で普遍的な「宗教意識」だと考えた。「霊性は精神の奥に潜在しているはたらき」で、「宗教意識は霊性の経験である」という彼は、「霊性」に目覚めなければ「宗教」の何たるかがわからないと強調する。
(中略)
鈴木大拙のいう「霊性」とは、霊魂や神霊や幽霊や精霊などの実体的な霊的存在を意味しない。むしろ、そうした霊的なるものへの固着したとらわれを突破する根源的知性こそが「霊性」のあらわれであり、それは「無分別智(無分別識)」であるともいっている。
鈴木の霊性論で重要なのは、「霊性」の中核に「自由」があると主張している点だ。そして、「日本の霊性化には、どうしてもまず自在・自主・自由ということについて十分の了解がなくてはな」らないと強調している点だ(『日本の霊性化』)。

云々と。

これからの「宗教」について

第二部 宗教体験と霊性「霊的世界と人間」より。

二十一世紀は、よく「宗教の世紀」になるだろうといわれる。あるいは「こころの世紀」「精神の世紀」になるだろうと。
私は精神性や霊性を否定する者ではないが、しかし二十一世紀が「宗教の世紀」になるという予見には反対である。私は二十一世紀は「宗教の解体の世紀」になると確信している。とはいえ、この時、生命論や自然観の変革をともなった霊的世界観、霊的人間観は復権すると考える。おそらく、人間や生命や自然の本性もしくは存立根拠が問い直されるだろうと思う。

別の書籍では「宗教の枠を超える」という意味で「超宗教」という表現を使っておられたが(【読書感想文】鎌田東二著『霊性の時代』ほか - 幸福の観測所の下のほう参照)、ほぼ同じ意味のことであろうと思う。
関谷さんも、『虚業教団』のはしがきの中で、以下のように書かれていた。

 いま、私の胸に一つの苦い問いがある。
 ── 宗教に団体は必要なのか!?
 神と共に生きるのには、組織が必要なのか。一人では、神の望む生活は不可能なのか。教団に入らなければ、幸福は科学できないのか。
 断じて、否である。
 むしろ団体が、組織が、人を神から遠ざける。 そんな場面を、私は 〈幸福の科学〉 という神理探究の集団に幾度となく見てきた。

 その教義内容は、たとえ世間の有識者が何と言おうと、良いことを言っているのだし、また「霊性時代の樹立」 「偉大なる常識人」というスローガンも、時節柄を鑑みて思うに的を得ていると賛同している。
 ただ問題なのは、その本来の素晴らしい教えが、〈教団〉 という形に形勢されていく途中のどこかで、天の御心にあるまじき形態に、 内容が変化してしまうことである。
 僅か数十人、数百人の天使の集いだったものが、飛躍するうちに 「虚業教団」 になっていく。言っていることと、やっていることにどうしてもズレが出てくる。
 宗教教団とは魔物であり、多くの場合には虚業でもある。

虚業教団』は、一つの宗教団体の体験談ではあるが、その中身には普遍性があると思う。
いつの時代も、組織が個人を抑圧し、そこから自由を求めた人たちが新しい宗教や新しい時代を創ってきた。
カトリックからプロテスタントが生まれたときもそうだったし、日本の鎌倉期の新宗教のときもそうだった。
その点、「スピリチュアリズム普及会」などは、理想的な組織運営をされていると思う。

スピリチュアリズム普及会」は、現在約40名からなる小さなスピリチュアリスト・サークルです。

と述べ、

●私たちのサークルは、中年・老年が大半の熟年サークルです。最年少は43歳、最高齢は75歳に至ります(*2011年現在)。55歳以上が約半数を占め、まさに中年パワー・老人パワーに頼って運営されています。新会員を募っていないので若者がいません。

とも言っている。「新会員を募っていない」という理由は、やはり、数十名程度なら健全な組織運営ができる、というような常識的判断があるからだろう。
また、

スピリチュアリズムという霊的絆で結ばれた同志が、全国各地で活発な活動をしている」――これが私たちの願いとするところです。たとえその方々のお名前を知ることもなく、生涯面識を持てないとしても、そのようにして本物のスピリチュアリズムが広がっていくことを心から望んでいます。従来のような宗教組織のないところで、高級霊からの「霊的真理」を共通の絆として、“霊的ネットワーク”が広がっていくことが私たちの願いです。

これも、鎌田氏や関谷氏の考えと合致する考え方だろう。私もこういう形を理想的と思う。
さて、本の紹介に戻ります。

審神者なき降霊の危険性

第一部 もう一つの日本精神史「審神者と霊学」より引用。

第一次大本事件の裁判では、京都帝国大学教授の精神科医などが出口王仁三郎の精神鑑定書を提出したが、宗教活動の内容の一端を「霊学」者の長沢雄楯が「鑑定」したのである。長沢は「神懸り百首」と題した「霊学」修行の指標となる和歌の中で、「神術の林の奥に入らむには審神者ぞ道のしるべなりける」「霊術に審神者し無くば邪神の神憑り来しを見分けかぬべし」と「審神者」の重要性を強調している。おそらく長沢は、出口王仁三郎にもさらなる「審神」が必要だったと述べたかったのであろう。
その出口王仁三郎は、「霊学とは内部の生命の探究である」といい、「霊学はこころを清め身をねりて 世人をすくふ神のまさわざ」とも歌っている。そして、「幽祭に認識かけば善人も たちまち悪魔の容れものとなる」と警告を発している。その出口王仁三郎が「悪魔」呼ばわりされ、「淫祠邪教」の教祖と批判されたのは皮肉な事態である。
さて、「幽祭」とは、一般に神社や家庭で行なわれている形の定まった祭式「顕祭」に対して、神憑かりおよび「鎮魂帰神」をいう。その「幽祭」に「認識」すなわち「審神」が欠けると、「善人」もたちまち「悪魔の容れもの」になるというのだ。サニワなき神憑かりがいかに危険なものか、多くの「霊学」修行者がくりかえし注意を促している。

GLA以降の降霊に於ける問題点は、やはり、「審神者」の機能がすっかり抜け落ちてしまっていることだと思う。伝統的な「霊学」修行者が繰り返し注意を促してきたにも関らず、最近の宗教家たちは、何故か審神者を置かなくなってしまった。
幸福の科学に適用するならば、外部の霊能者で、誰か「大川隆法は、確かに再誕の仏陀である」とか「神々の主である」とか言った人がいるだろうか?という話になる。それはもちろん皆無である。大川隆法を審神した人はいない。
今後、幸福の科学が崩壊していくにつれ、会内の霊能者やスピリチュアル好きが中心となり、レムリア・ルネッサンスのような派生の霊能団体が出てこないとも限らない。そういうものは、人間の一定の需要があって出てくるものだろうし、全て頭から否定するつもりはないが、「『審神者』を置かないスピリチュアリズムは、必ずおかしくなっていくだろう」と私は警告しておきたい。
審神者を置きたがらない理由は、分からなくもない。恐らく、霊能者は、基本的に繊細で傷つきやすいため、自分のいうことをただただ信じてくれる人たちの中に入って身を護りたがるのである。しかし、それだと、霊能者が曲がっていったときに、それを諫言してくれる人もいない(逆に諫言した人を追放したりする)。
耳痛いことをきちんと言ってくれる人も身近に置かなければ、結局のところ、出口王仁三郎が言ったように「たちまち悪魔の容れものとなる」のだと思う。それが、戦後の霊能系新宗教の跳梁跋扈から日本人が学ぶべきことであろう。
大川隆法の場合も、初めは善川三朗や富山誠という「審神者」(と言っても身内であったが)を置いてやっていたので、ある程度の信頼性はあった。しかし、彼らを遠ざけ、自分一人でやるようになって、だんだん曲がっていってしまった、という風に見ることもできる。最近の「霊言」は酷いものである。幹部もイエスマンしかいないので、最早、その霊が偽物か本物かを判別する人はいない。
「善人も たちまち悪魔の容れものとなる」とは、まさに現在の大川隆法のことに外ならない。

幸福の科学大川隆法について

ハッキリと言及されていましたので、少し長めですが引用します。
第二部 宗教体験と霊性「宗教──自分探しの旅」より。

一九九一年に話題になった発言の中に、「私は大川隆法であって、大川隆法でなーい」という言葉があった。いうまでもなく、東京ドームでの誕生祭やフライデー抗議事件で世上を騒がせた宗教法人「幸福の科学」の主宰者・大川隆法の語った言葉である。甲高い声で語尾を長くのばす独特の言いまわしで、一躍流行語のようになったこの言葉は、良くも悪しくも現代日本人の精神状況を端的に表わしているのではないかと私は思う。「私」がいったい何者なのか答えが見いだせず、そしてまたあらゆる存在の根拠が限りなく不確かになった時代の不分明さを如実に示しているからだ。
ベルリンの壁の崩壊から始まり、東西ドイツの統一や湾岸戦争を経てソ連邦の解体に至る国際政治の激動は、近代国家の存立根拠の不確かさを見せつけた。「私」の境界が不分明であるばかりでなく、「国家」の境界もまた実に不分明なものであるということが露わになった時代が現代なのだ。
およそ二千三百年前、アレクサンドロス大王によって世界帝国が樹立され、古代の都市国家(ポリス)が解体して世界国家(コスモポリス)が出現したとき、ポリスに対する帰属感情の持っていき場を失なった世界市民(コスモポリテース)は、個の不安を解消するために安心立命を求め、「幸福」を探求した。そして禁欲的な修行を通して何ものにも心を動かされることのない絶対的平静の境地・アパテイアや、快楽の追求の果てにアタラクシアという何ものにも心乱されない平安の境地に到達する生き方が提唱された。ストア派やエピキュロス派の発生である。
しかしやがて、そうした倫理的な「幸福」の追求に飽き足らず、ローマ帝国時代には真の救いと解脱を求めて神的存在との神秘的合一(ウニオ・ミスティカ)を説く思想あ現われた。エクスタシス(脱魂、恍惚)という一者との神秘的合一を説く新プラトン主義やグノーシス(霊的認識)を得て神的人間に進化することを説くグノーシス主義などの神秘主義の思想である。
「歴史はくりかえす」というが、こうした二千年前頃の政治状況や精神状況は驚くほど現代と似ているように思われる。いずれの時代も、「私」の境界と「国家」の境界が不分明となり、そこからその不分明さから抜け出すための思想や宗教が輩出してきたからである。に千年前近くに起きたいわゆる世界宗教や普遍思想の出現は、こうした境界崩壊に新たな統一的秩序を与える役割を果たしたといえるだろう。
しかし現代ではどうだろうか。境界崩壊に新たな統一的秩序を与える思想と実践が出てきているだろうか。新たな段階の世界宗教や普遍しそうが出現しているだろうか。
確かに今、新宗教が流行っているように見える。そればかりか、チャネリングや自己開発セミナーも活況を呈しているかのように見える。若者たちがそこに群がり、「私」と「世界」の意味を見いだしているかに見える。だが、はたしてどうだろうか。自分探しは完成し魂の飢えは満たされているだろうか。実際は、もっと深い「私」と「世界」の不分明さと魂の飢えにみまわれているのではないだろうか。
私はオウム真理教にも幸福の科学にも関心を抱いている。どちらも現代日本の精神状況を映し出す鏡のような役割を果たしている宗教だからだ。オウム真理教がイニシエーションなき現代社会にイニシエーションの問題を、幸福の科学が死後観の不分明な現代社会に輪廻転生の問題を突きつけているからだ。しかし、いずれも「真理」(オウム真理教)や「神理」(幸福の科学)の探求を標榜している。ということはその逆に、「真理」や「神理」が見えない状況が現実にあるのだということを示している。
オウム真理教ではイニシエーションの階梯を説き、解脱の道を説き、教祖麻原彰晃を最終解脱者と価値づける。その通りだとすれば、麻原は「真理」を悟り解脱した現代の覚者(ブッダ)ということになる。また大川隆法は、自分がブッダの生まれ変わりであることを公言している。ということは、少なくとも現代日本にはブッダが二人いたということになる。実際には、自分をブッダの再来とか生まれ変わり、○○神の化身だとか称する数百のブッダ、数千の神々がいるのであるが。
私個人は彼らの主張には批判的であるが、ここで問題にしたいのは、彼らが現代社会に向かって突きつけたイニシエーションと輪廻転生の問題である。それは、人間存在についての根源的な問いである。
(中略)
オウム真理教幸福の科学やチャネリングに興味を示すほとんどの人が輪廻転生や生まれ変わりを信じている。輪廻転生の立場からすれば、当然のことながら、「私は私であって、私ではない」ということになろう。なぜなら、「私」という存在は限りない過去世から限りない未来世に続いている中継地点であり、「私」は常に複数の「私」として存在しているからである。今、臨死体験や体外離脱体験とともに、輪廻転生の問題が宗教のみならず精神医学における重要な問題として浮上してきているのだ。
宮沢賢治が生前に出版した唯一の詩集『春と修羅』の冒頭の詩に、「わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です/(あらゆる透明な幽霊の複合体)」という一節がある。宮沢賢治はここで、仏教的にいえば縁起の思想を語っているのだあが、もっと端的に「わたくしといふ現象」が「あらゆる透明な幽霊の複合体」であるという複数の「私」性のありようを語っている。
ここ数年来の宮沢賢治ブームの背景には、こうした自己像を生み出す宇宙論的宗教性ともいえる賢治の存在意識への共感がはたらいていると私は思う。宮沢賢治は、自己即媒体、存在即メディアという世界観をもつシャーマンでありチャネラーであった。賢治の中で、宗教と科学と芸術が分断されずに息づいている姿に、未来の宗教と科学の調和的関係を夢見る人も多いのかもしれない。宮沢賢治は、自分探しの時代の宗教性を先取りしていた「銀河意識」人なのである。

この文章の初出は、一九九二年一月十三日付の毎日新聞でのことだそうである。九二年当時なので、「神理」と書いたりしている。この段階で、オウムと幸福を並べて扱い、「私個人は彼らの主張には批判的である」と述べている宗教学者がいたということは知っておいてよい。

「宗教学」について

宗教学者である鎌田東二氏が宗教学について語っている部分で、この最終章は非常に深いと思う。
一部ではあるけれど、抜粋して紹介する。
終章 宗教学と魔と霊性より。

「神学」はある特定の信仰や教義や信条を前提とし、それに依拠し、また擁護する。それは信仰者の立場からすれば、信仰の絶対性と真理に支えられた態度といえるであろう。それはある一つの宗教に対する深い帰依と献身と信仰的探究を含んでいる。その意味では、「神学」もまた単なる所与の学説ではありえず、みずからの主体的な信仰と探究とによってかちとられたものなのである。その献身的探究は「神学」のもっとも良質な部分であるといえるだろう。私はそうした「神学」の位置を評価し、大切にしたいと思う。それは「宗教学」によっては届きえないある高みと深見への探究と導きを生み出すからだ。
しかし、とはいいながら、「宗教学」がなぜ「宗教学」として、あえて「サイエンス」を標榜しつつ登場してこなければならなかったかといえば、それは「神学」、とりわけキリスト教「神学」がもたらした抑圧的・排他的な態度によっている。ある一つの宗教を特定の色メガネで見ることをしない。ある臆断や偏見をもってその宗教に対することを禁欲する。「宗教学」は、この限りでは、宗教についてのある独断的見方を排するという消去法的な、消極的な、一歩身を引いた学問として距離をとって、それをそれとして事象そのものに即して理解し記述していこうとしたのである。それが「宗教学」──宗教現象学──の位置であり、さまざまな宗教や「神学」(教学)がある中で、そのような位置は重要な意義と役割をもっていたと私は思う。
しかし、このような態度でどこまで宗教に肉迫できるのか。美を体験せずして美を語ることができようか。恋愛を体験せずして恋愛論のみを語るとすれば、その言説は空虚ではないか。体験なき認識は空虚であり、認識なき体験は盲目である。
「宗教学」に対する根本的な疑問はここにある。それゆえ、価値中立的(没価値的)な態度を至上とする「宗教学」に飽き足らず、もっと価値内在的な理解に向かおうとする「宗教学」が生まれてきたのである。これは「宗教学」がもつ根本的な限界を「宗教学」の前提的な態度を破棄することによって達成しようとした新しい「宗教学」的意識と態度である。このような「宗教学」的態度が生まれてきたことには必然的な経路がある。それはある意味では「宗教学」の成熟であるが、別の意味では「宗教学」の破綻である。
(中略)
オウム真理教の事件があって、中沢新一島田裕巳オウム真理教を「擁護」した「宗教学者」としてヤリ玉にあげられた。かつて、「宗教学者」の島薗進によって、山折哲雄中沢新一島田裕巳鎌田東二は、体験主義的・身体的な「内在的理解」を求めようとする「宗教学」を推進する者として評価ないし批判を受けた。島薗の指摘は大枠として間違っていないかもしれないが、身体と体験がまさにその人その人の固有の身体性を有する限り、島薗進の指摘は的はずれであると思わざるをえない。本書第三部の対談である程度明らかにされているように、中沢新一はある時期からはっきりみずからを「仏教徒」と意識し、また私は「神主」や「審神者」であると意識してきた。それはある意味では、「神学」の位置に後退しているようにみえるが、そうではなく、「神学」と「宗教学」の限界と閉塞とを共に、同時的に突破しようとする試みだったのである。中沢もまたそうした問題にぶつかり、いちはやくその突破口を開こうと模索してきた。これはおそらく、日本の「宗教学」が到達しえたもっともラジカルな地平であったと私は信じる。というのも、そうした「宗教学」的態度は、つねに「宗教学」がいかに「宗教学」であり、それが宗教をどれほど深く理解し、本質的かつ主体的にかかわりうる学問であるかをシリアスに問いつづけていたからである。
しかし、中沢新一島田裕巳オウム真理教を「擁護」したとして、マスコミからも一般市民からも攻撃され、それによって彼らが属している「宗教学」も攻撃され、白眼視されている。「宗教学」が問題にされ、攻撃されることはよい、それが宗教に対するさらなる理解と探究に踏み込む契機となるからだ。問題は、「宗教学」ではなく、「宗教」であるからだ。
だが、宗教というものは単純ではない。一筋縄ではいかない。それが人間の世界の苦悩や悲しみや狂気や病や闇に深くかかわっており、その解決の方途を開示するものとして存在しているからだ。そして「宗教学」もその複雑さや微妙さに向き合うことができる方向にようやくにして進展してきたのである。

云々と。
中沢新一氏や島田裕巳氏は、オウム真理教を擁護する一方、幸福の科学を攻撃していた宗教学者であり、そのことを以て「敵の敵は味方」的な言い方で、幸福の科学は自分たちが正しいというようなことを主張していた。
しかし、鎌田東二氏は、先ほども述べたように、オウムも幸福も「私個人は彼らの主張には批判的である」と言っているのであり、「敵の敵は味方」式のやり方で幸福の科学を擁護することはできない。「どっちもおかしい。どっちもカルトである」というのが世間の見方であるし、正しい見方である。ブログ村にも統一教会の信者で幸福の科学を批判している人がいたりするが、だからと言って、統一教会が正しいということにはならない。幸福の科学創価学会統一教会を邪教認定していたからと言って、幸福の科学が正しいということにはならない。敵の敵は味方ではない。

「魔」について

宗教学者が魔について語るということに私は驚きました。
同じく終章より抜粋して引用です。

私は、「神学」に理解できて「宗教学」に理解できなかったものに「魔」の存在があると思う。もちろん、「魔」がわからずに「神」や「仏」がわかるはずがないと思うのだが、「宗教学」は決定的に「魔」のリアリティをつかめず、それをイメージやシンボルとして、あるいはコンセプトとして稀薄化したと思う。

と言って、自身も「魔」の体験を重ねた結果、最も評価したのが鈴木大拙の「戦争礼讃」の中の「魔王論」だそうである。

ミルチア・エリアーデは『悪魔と両性具有』の中で、神とサタンが兄弟であるというルーマニアの信仰や、またキリストとサタンが兄弟であるとするグノーシスの神話を紹介し、神と悪魔、およびキリストとサタンの近親関係の根底に「反対の一致(coincidentia oppositorum)」の思想があることを指摘している。「反対の一致」とは、「究極の実在、神性の根源」および「全体性の神秘」を表現する概念であり、その「神性の根源」は「神秘と逆説」を孕み、「『善』『悪』を超えた絶対的自由」として了解されているという。
このようなエリアーデの宗教史的・宗教学的考察は、わが国の古代や中世に流布した「魔仏一如」の思想の宗教史的拝啓と思想原理を明らかにするものであるといえる。エリアーデを繙くまでもなく、神と魔の関係、仏と魔の関係は一筋縄ではいかない。特に神秘主義や密教においてはなおさらである。
しかし、とはいえ、「魔」とリアルに向かい合うことは、経験としても思想としても根本的に意味あることであると思う。
鈴木大拙は、「宗教又はその名に似せた『信仰』は時によると自分(魔王)に協力することが、いくらもある。それはその『信仰』が本当の愛又は大悲に根ざして居ないときである。即ち力に対する信仰であるときである」と述べているが、宗教や信仰が「魔」としてはたらく時があることを宗教史は伝えている。そのことをはっきりと「宗教学」は問題とすべきであった。鈴木大拙は「魔」と「霊性」を対置することによって、思想原理としても経験としても「魔」に向かい合う基準と指標をつくったと思う。それは鈴木の偉大なる功績である。

云々と。
他にも、幸福の科学と向き合うに当たって、非常に参考になることが多々書かれてある。
ちなみに、鎌田東二氏は、自らの魔との対決を乗り越えたあと、「魔も仏も 我よりほかに なかりけり」という道歌を創られたという。私は、この言葉は非常に深い含蓄のある言葉だと思う。
しかし、幸福の科学の信者で、この言葉が理解できる人がどれぐらいいるだろうか。大川隆法が見たら、即座に否定することは間違いない。彼にとっては、自分以外は敵か、さもなくば自分よりレベルの低い存在しかいないからである。
こういう思想からすると、幸福の科学の「魔」の定義は、極めて幼稚に見えてしまう。幸福の科学の教えは、実体験が無く、全て机上の空論なのである。だから、説得力が極めて乏しいし、人をして悟らしめる力もない。だから、例えば「家庭ユートピア」を説いていても、信者家庭が全然ユートピアにならなかったりするのである。
鎌田さんの本は、『神界のフィールドワーク』という本も借りていたのだが、時間的に読む余裕が無かった。さすがに二度の延長はできないので、また日を改めて借りたいと思う。