幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

ガンちゃんへのお返事

こちらの記事に対するお返事です。

呼称について

いままで、「ガンブロ氏」と呼んでいましたが、自称の通り「ガンちゃん」とお呼びさせて戴きます。自称に「ちゃん」を付けたりするのは、「信仰にも段階があるという話 - 幸福の観測所」で書いたように、「幸福の科学」の幼児性をよく現しているものです。
ついでに、今日から「幸福の科学」と括弧書きにすることにしました。だって、本当の幸福や本当の科学とは全く無関係のものですから。

マインド・コントロールされている」と指摘するのは礼儀に欠けているか

人を勝手な解釈で、マインド・コントロールされているような言い方は、どうなのでしょうか?

「勝手な解釈で」と言われますが、マインド・コントロールされている側は、マインド・コントロールされていることには気付かないものです。
「礼儀に欠けている」という意味もよく分かりません。「幸福の科学」では、「正しいものは正しい、間違っているものは間違っていると言いなさい」と教えられている筈です。私はアンチでガンちゃんは信者ですから、「正しい」と「間違っている」の判断は正反対ですが、私は私の立場から正しいものを正しいと言っているだけです。
そして、「幸福の科学」がいけないのは、世の中に害を為す存在だからです。
そもそも、「幸福の科学」の信者だって、「世間の人はマスコミや日教組に洗脳されている」と言っているじゃないですか。

新聞やテレビなど、マスコミは、「悪いことは大きく報道する。良いことは小さく報道する」ということを基本原則にしています。また、「権力のある人のことは悪く言う。権力のない人のことは持ち上げる」ということも基本法則です。
これをまともに受け取っていると、だんだん頭が“洗脳”されていき、そのように世の中が見えてくるので、「独自の視点」を持つ必要があります。
独自の視点を持つためには、それとは「まったく違った考え方」を吸収し、考える材料の一つとして持っておくことが大事です。違う考え方が一つ入るだけで、物事は相対的に見えるのです。
宗教の立場から言うのは、ある意味、逆説的ではありますが、マスコミの発信する情報に“洗脳”されないように気をつけてください。マスコミは「邪教の洗脳」を解く仕事をしていますが、逆に、「マスコミの洗脳」を解くのが正しい宗教の仕事になっています。これが、現在、幸福の科学が置かれている立場です。
国民がマスコミの言説に“洗脳”を受けているため、これによって、みな同じほうへと心が動いていき、“レミングの大量死”のように、日本全体がバーッと海に突っ込んでいくような感じになるのを止めようとしているわけです。オバマ氏の「黄金の舌」ではありませんが、今、私はこの“舌一枚”で危機を止めようと、全国および世界各地で毎週のように説法を続け、戦っているところです。
「『脱・洗脳』『脱・マインドコントロール』が宗教の使命」というと、読者のなかにはおかしく聞こえる人がいるかもしれませんが、実際、やっていることは、まさしくそのとおりです。

これは「国民に対し、勝手な解釈で、『洗脳されている』と決め付けている。失礼だ」ということにはならないのでしょうか。ガンちゃんの「礼儀に欠けている」という批判は、まず大川隆法に当て嵌めて考えるべきことです。
ちなみに、上記引用文も、巧妙なすり替えの入った詐欺師の言葉であり、自分がマインドコントロールしていることを隠すため、マスコミに転嫁して、自分たちは「脱・マインドコントロール」をしているのだ、と本当に巧妙にすり替えています。
幸福の科学」が「大本営発表」的な「イイシラセ」しか信者に流さずに情報をコントロールしていることや、疑うことを禁止したり信仰を捨てれば地獄に堕ちるなどと脅してマインドコントロールしていることを棚に上げて、「マスコミの洗脳を解くのが正しい宗教の使命」などと言っている。これも非常におかしなことです。「お前が言うな!」という話です。

《ガンブロ氏は「自助努力」と「他力」を比較して、「自助努力」の方が優れている、と言いたいようです。私はそうは思いません。》
これも観測所さんの勝手な思い込み、あるいは解釈です。自分自身のなかで~と言いたいようだと予測を立てて、自分でそれは違うと言っているだけです。

これも異なことです。
前回の記事で、ガンちゃんは「自助努力と対極にあると思われるのが、他力型宗教でしょう。」と言って、「自助努力」と「他力型宗教」を対置させています。そして、「人生の苦しみを自分自身の自助努力でのりこえてきた人達は、他人に対しての優しさを持ち合わせているような気がします。」と言い、続けて「相手の批判ばかりする人は、自分自身のことを棚に上げ、他の人の苦しみがまったく理解できないのでしょう。」と言っています。文章の構成から言って、前者を「自助努力」の人、後者を「他力型宗教」の人、という風に対置して書いているのだと解釈するのは自然なことです。諄いかも知れませんが、更に言うと、「他人に対して優しさを持ち合わせている」というのは褒め言葉であり、「他の人の苦しみがまったく理解できない」というのは貶す言葉です。
従って、私がこの文章を読んで、「ガンちゃんが他力より自助努力の方が優れていると言いたいようだ」と思ったとしても、何ら不自然なことはありません。国語的に文章解釈のやり方が間違っているならば、どうぞ重ねてご指摘下さい。

「自我力」とは何か

あなたがいう自力とは、自我力のことを指しているのではないでしょうか。

私は、寡聞にして「幸福の科学」以外で「自我力」という言葉を聞いたことがありません。「自力」と「自我力」を分ける教えは、どこから出たものなのでしょうか。これは皮肉ではなく真面目な質問で、寧ろアンチの詳しい方にお聞きしたいところですが、どなたかご存知ないでしょうか。
私には、「幸福の科学」の言う「自力」も「自我力」も共に「(私の言う)自力」のこととしか思われません。
中島敦の『名人伝』という有名な小説があります。ガンちゃんもよく知っていると思います。ガンちゃんが言う「自力」というのは、どの段階で必要なことなのでしょうか。私には、非常に低次元なものではないかと思われてなりません。まあ、これは価値観の相違であり、議論が嚙み合うことは無さそうです。
私は、「上善は水の如し」であって、それぞれの人や物が、意識することなく「自然」に働く姿を理想的と考えます。*1

鸚鵡返しの論を始めたガンちゃん

《ガンブロ氏は「他力型宗教」を批判したいようですが、どうも、ガンブロ氏は大川隆法が説いている(架空の)「他力型宗教」なるものを真実だと思い込み、実際の他力型宗教を見ずに、一方的な思い込みにより「他力型宗教」を悪しきもの(または足りないもの)と錯覚してしまっているようです。》
どうもあなたは、自分の思い込みで他の人を、批判する傾向があるように見受けられます。

ガンちゃんは、私がいつも、大川隆法や「幸福の科学」の信者のことを批判しているやり方で、私を批判しようとしているようです。
でも、私はいつも具体的なことについて取り上げ、それに批判を加えています(信者がどうして具体的な反論ができないか、考察してみた - 幸福の観測所など参照)。
「自分の思い込みで他の人を、批判する傾向がある」と私のことを言ってますが、どの辺が「思い込み」なのでしょうか。「傾向がある」ということは、過去の記事にも共通するということになります。それなら、具体的に例を示すべきです。

私も以前、お寺のお坊さん(他力信仰型と修業型)や他宗教の方々と、議論したことがあります。
また、家族や一般の人達とも真理の話をしたこともあります。

なるほど。じゃあ、やっぱり、大川隆法が説いている(架空の)「他力型宗教」なるものを真実だと思い込み、色眼鏡が掛かってしまっているから、実際の他力型宗教を見ても、そのありのままの姿が見えなかったということでしょうね。その色眼鏡を外すこともできなければ、掛けていることにすら気付いていないから、「マインド・コントロールされている」と言っているのです。

《ガンブロ氏にも大川隆法にも共通するのは、本で得た知識だけを元に、実体験を経ず、思い込みで現実を判断してしまうということなのかなあと思います。》
「実体験を経ず、思い込みで現実を判断してしまう」と書かれていますが、思い込みで相手を判断しているのは、観測所さんの方ではないでしょうか。
自分の中で、想像して(架空の)それを真実だと思いこみ、その思い込みで相手を悪しきものと錯覚して批判しているようですが。
本で学んだ知識や経験を元に、現実を判断することは当たり前のことです。

ついに、ガンちゃんは鸚鵡返し作戦を始めたようです。皮肉のつもりなんでしょうか。
まあ、確かに、ガンちゃんのことはそこまで知っているわけではありません。しかし、大川隆法のことはよく知っています。実体験を経ていない机上の空論ばかりだというのは、現在の私の見解です。その理由は、教えを実践しても幸福にならない現実を散々見てきたからです。理由があるので「思い込み」という批判は当たりません。もし、私の主張を「思い込みである」と言いたいのなら、「幸福の科学」の教えが実体験に基づいた万人を救うことのできる教えであることを、実践レベルで証明するしかありません。
他ならぬガンちゃんを始め、これを読んでいる「幸福の科学」信者一同が、「幸福の科学」の信仰を熱心に続け、誰が見ても幸福な人生を送り、大成功して見せればよいだけのことです。
私はそれは不可能だと主張しています。「幸福の科学」の教えに、万人を幸福にする力はありません。逆に、世間にとって害悪になる存在です。だから、その撲滅を願って活動を続けています。

もう一度「自力」と「他力」について

上村勝彦氏の文章を引用して、私を批判しているようですが、私自身は他力を否定していないし、自力も他力も宗教として必要な教えであると認識しています。
(中略)
宗教によってどちらも必要ですと書いていますが、この辺は読んだのでしょうか?

読みましたよ。ガンちゃんの方こそ、私の記事をちゃんと読みましたか?私は、「自力」は宗教として必要な教えとは思いません。従って、「自力も他力も宗教として必要な教えである」という意見には賛成できません。

批判するのに実績は必要か

観測所さんは、総裁先生をののしっていますが、相手を批判するのであれば、その相手より努力をし、実績を積んでからにすべきであると思います。

やはり、正しいものは正しい、間違っているものは間違っているのです。
大川隆法もドラッカーの言葉を引用して、「誰が正しいかではなく、何が正しいかだ」と言っていました。
私も人間ですから、個別の問題について、私が間違っていることもあるでしょう。同様に、大川隆法が間違っていることもあります。間違っていることを正し、正しいものを積み重ねて周りの人や後世の人たちに伝えていくことが、全ての人間に共通の使命だと思います。
個別の事柄について、間違いを指摘していくことは必要です。例えば、『仏陀再誕』で「家庭ユートピア」を説いていながら、実際には全く実践できていないことが明らかになった。「再誕の仏陀」などと言いながら、法を実践しない仏陀はいません。「われは法そのものである」と言いながら、法を体現しない「法」もありません。大川隆法自身の行動が、全ての評判を落としている根本原因です。
最近は、「われ(=大川隆法)」の都合に「法」を曲げていくようになりました。ガンちゃんも、私の言うことは理解できる筈です。大川隆法が自称「国師」とか言いながら、世間からは全く尊敬されず、カルト的集団に止まっているのは、大川隆法が口で言うだけで法を実践しないからです。逆に、教祖自身やその周辺の不品行ばかりが目立つからです。悪いことがあると、必ず他人のせいにするからです。「二十年かけても妻を教育できなかった、私が悪かった」とは絶対に言わないからです。「予言を外してすまなかった。私の思い違いだったようだ」とは絶対に言わないからです。「衆院選の惨敗は、全て私の責任である。信者のみなさんも職員も幹部たちも、みんな、本当によく頑張ってくれた。ただ、私の見通しが甘かったせいでこんな結果を招いてしまった。すまなかった」とは絶対に言わないからです。

まとめ

過去にどのような経緯があって、総裁先生を批判するかは知りませんが、同じような批判ばかり書いていないで、読んだ人がプラスになるような記事を書くように努力された方がよいのではないでしょうか。

私のブログを読めば分かりますが、「幸福の科学」批判をしているだけではありません。「同じような批判」と言われますが、私は間違っているものは間違っていると、気付いてもらうまで何度でも指摘するつもりです。私の「間違っている」という主張が間違っているのなら、私に対して説得をすればよいだけです。私も聞く耳を持たない人間ではありません。
しかしまあ、確かに、言いたいことは大体言いましたし、正直、アンチ活動もしんどいもので、労多くして益少ないものです。幸い、退会後の仕事は順調で、いよいよ忙しくなってきたので、今後の更新の頻度は落ちる予定です。今日の記事なども、非常に時間が掛かっています。お返事を下さったガンちゃんに敬意を表して、丁寧にお返事を書かせて戴きました。
一般的に言って、退会したてのほうが、アンチとしての情熱もあり、内容も真に迫ったものになります。今後は「仏陀再婚」にショックを受けての退会組が、徐々にアンチ活動を始めて下さることと思います。退会して間がなく、まだ心が若干揺れているぐらいの方のほうが、退会を迷っている現役信者の方がたには身近に感じられ、福音となるとも思うので。「脱マインド・コントロール体験記」という感じのものが出てきてくれるといいなあと期待したりしています。

*1:幸福の科学」的には、老子は「八次元如来界」の存在であり、真理の一面しか現していない存在ということになりますが、私はそうは思いません。