幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

本日、強制移動を食らいまして、またいつ移動させられるか分からないので、書いておきます。
以前、ピッポさんのブログのコメント欄だったか、「じゃあ、あなたは幸福の科学の信者は、死後、地獄に堕ちると思うのか」と問われたとき、「うーん、分からない」という風に答えたことがあった。
改めて考えてみるに、「地獄に堕ちる」ということが、「罪に対する罰」の意味であるならば、「幸福の科学」の信者は地獄に堕ちることはないと思う。
幸福の科学」の信者に罪はない。彼らは宗教詐欺師に騙されただけであり、寧ろ被害者である。
また『聖書』からの引用で恐縮であるが、イエスは十字架にかけられたとき、

「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」

新約聖書・ルカによる福音書第23章より引用)
と言ったという。
それが悪いと自覚して「幸福の科学」の信仰を続けている人などいない。今日もアンチをブログ村から追い出すための通報祭り・追放祭りが行われたようだが、彼らはそれが正義だと思ってやっているのである。所謂「知らずに犯す罪」である。「幸福の科学」の信者は皆「善人」ばかりである。どうして、彼らを責めることができるだろうか。
私は、大川隆法だって、「宗教詐欺師」と呼んではいるものの、始めから騙そうと思ってやっているのではないとも思う。確かに、彼は「仏」や「神」を僭称するという、宗教的には最も深い罪を犯している。しかし、彼には、そうするしか道が無かったのである。生まれ育った環境により、健全な精神を獲得することができず、「スピリチュアル」の世界に逃げ込むしか無かった。不幸なことに、そこで彼の天賦の才が発揮されてしまい、教祖となり、果ては「仏」や「神」を僭称するに至ってしまった。周りの人が止めるべきであったのに、周りの人もそれをおだてて持ち上げてその気にさせてしまった。
では、周りの人が悪いかと言えば、それもそうではない。それが悪いと分かっていて持ち上げたわけではない。「幸福の科学」設立の立役者の一人である原さんにしても、初めは本物と思っていたのだ。悪いと知っていて大川隆法を教祖に仕立て上げたのではない。彼女はその後、大川隆法に失望して偽物であったと気付いたときに「幸福の科学」を去ったわけであり、彼女は彼女なりのけじめをつけた。
きょう子氏にしても、種村氏にしてもそうである。両者とも、一時期、「幸福の科学」の教勢拡大に荷担したと言っても、教団を去った後、きっちりとけじめをつけてきた。
それでも、今も不幸の連鎖は続き、入れ替わり立ち替わり、大川隆法を持ち上げる人が登場する。しかし、いずれの人も、やはり、自分が悪いと思って「幸福の科学」の信仰を続けている人はいない。
悪いと思ってやっているのではない人を地獄に堕とすほど、神様は無慈悲な方ではないと思う。
そう考えてみると、結局のところ、最も罪深いのは、私である。(大川隆法や「幸福の科学」の信者とは違い、)私は、「幸福の科学」とその教えが偽物であり、人を不幸にするものであることを知っている。知っているのに、「幸福の科学」の信者たちを説得できず、みすみす不幸の再生産を続けさせてしまっている。これは偏に私の責任である。
私は、「信者の方に気付いてもらうには、アンチと接触を重ね、交流をするのが一番だ」と思って、「幸福の観測所」というブログを始めた。ブログ村に登録したのもその一環である。そのやり方が最善かどうかは分からない。文章表現にしても、もっと説得力のある表現であれば、信者の人でさえ気付いてもらうことが出来たかも知れない。
「罪と思っていない人が罪を犯す」というのは仕方のないことである。しかし、「罪と思っていない人が罪を犯しているのを黙ってみている」というのは、許されることではないと私は思う。だから、もし、地獄に堕ちるとしたら、それは他ならぬこの私である。
少し前に、ブログ村の幸福の科学カテゴリの中で「アンチの動機」を邪推されている方がたがいたが、これでアンチの動機はお分かりだろうか。
アンチが何故アンチ活動を熱心にやるのか、お分かりだろうか。

「鳥カゴ」の喩え

幸福の科学」というのは、鳥カゴのようなものである。飼い主から、「外の世界は危険がいっぱいだ」と吹き込まれ、「鳥カゴの中の自由」を満喫している鳥のようなものである。
信者に対し、「そこは鳥カゴの中の世界である。しかも、朽ちかけている。早くその鳥カゴから出てきなさい」と言っているのがアンチである。また、「外の世界には危険なんてない。私たちはそれを実証している。真の自由は鳥カゴを出たところにある」と言っているのがアンチである。
それなのに、「嘘をつくな、外に人の住める世界なんてない。ゴキブリどもめ、あっちへ行け!」と言って、鳥カゴの隙間からアンチに対し石を投げつけているのが信者である。
鳥カゴの扉は、内側からしか開かないようになっている。外側から声を掛けることはできるが、無理矢理連れ出すことはできない。自分で出てくるしかない。
「鳥カゴの中には仲間がいるから安心」と思っている人たちへ。鳥カゴの外にこそ、あなたがたの本来の家族や友人たちが待っています。鳥カゴの外の世界が、本来の世界です。制限されることのない自由の世界がそこにあります。本当の幸福がそこにあります。世間の人をもっと信じましょう。