幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

大谷光見氏は「幸福の科学」の信者です

大谷 光見(おおたに こうけん 1965年(昭和40年)9月4日 - )は、浄土真宗の僧で、浄土真宗東本願寺派第26世法主。同派の本山・東本願寺住職。幼名は光養麿。法名は聞如。早稲田大学理工学部物理学科卒業。ニューヨーク大学大学院哲学科宗教学専攻修了。東京本願寺ニューヨーク代表兼住職。

この人は「幸福の科学」の信者です。
私が以前に北陸正心館(「幸福の科学」の宿泊型研修施設の一つ)で雲水修行をしていた時、「ハワイ支部 大谷光見」という人が宿泊に来ていたのを覚えています。また、大川隆法によるハワイ支部精舎説法だったか、大谷光見氏自らが大川隆法に対して何か質問していたのをビデオで見たのも覚えています。
大川隆法氏が『文藝春秋』のインタビューで

浄土真宗系の教祖様もウチで活動しています。

と語ったことがありますが、これはまさに大谷光見氏のことです。
更に、

エル・カンターレ財団法人、アメリカ・パブリック・チャリテイ非営利組織、教育による霊的人生観の確立。自殺防止をはじめ青少年と老年層の架け橋をはじめとした社会貢献を目指します。大川総裁先生よりご認可を頂きましたことを心より感謝申し上げます。

という、大川隆法公認の「エル・カンターレ財団」なるものに、名前を連ねています。

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以下は大谷光見氏のfacebookアカウントです。

「rajigir」というのはラージギル、霊鷲山のあった場所で、仏教の聖地の一つのようです。写真は勝海舟です。お友達は非公開にされていますが、逆に「幸福の科学」の信者の方から大谷光見氏のアカウントを見つけることができます。

大谷光見氏は大川隆法の浄土真宗に対する暴言的批判をどう思っているのだろうか

まあ、何をしようが個人の自由ではありますし、信者であるのに信者であることを隠しているのは、周りの人たちから止められているか、それとも大谷光見氏の方が周りの人に対して配慮しているのかは分かりませんが、浄土真宗の僧侶でありながら「幸福の科学」の信者を続けることができる理由が、いまいちよく分かりません。

こちらの記事によれば、大川隆法は、親鸞聖人について、このように述べているとのことです。

親鸞の霊言を受けて大川総裁は、戦後民主主義の中で善悪を一緒くたにしてしまう日本人の考え方と親鸞の思想の共通性をあげ、「人間の側から見たら、世界は相対的にしか見えない。その時でメジャーなものが善悪を決めているとしか言いようがない、という言い方」であると、親鸞の思想の本質を語った。
そのうえで浄土真宗の教えを、死にそうな人の痛みを緩和させることに例えて「モルヒネ教」、罪悪感を持った人が救われたいという思いで信心する「免罪符教」だと語った。
また、「悪の問題が本当にわかりにくい時代になっているからこそ、幸福の科学の存在が必要になっている」と、真の正しさ、善悪の基準を説けるのは現代において幸福の科学しかないことを、改めて確認した。

大川隆法曰く、浄土真宗は「モルヒネ教」であり「免罪符教」なんだそうです。大谷光見氏も、浄土真宗のことを「モルヒネ教」であり「免罪符教」だと思っているのでしょうか。大川隆法公認のエル・カンターレ財団に名前を連ねるくらいの熱心な信者だから、それは当然であると私は思いますが。
いいのかなあこれ。私は別にいいんですけど。信徒のみなさんや、所属する僧侶のみなさんはこれで納得するんだろうか。

大川隆法親鸞に対する誤解

ついでなので一部取り上げますが、大川隆法に降りたとする「親鸞」は、余りに酷いです。上の記事で、親鸞大川隆法)は、以下のようなことを言っています。(本物の親鸞聖人と区別をするために、以下、大川隆法が霊言をしたと主張する親鸞には「親鸞大川隆法)」という表記をする。)

親鸞大川隆法)は、地下鉄サリン事件などの殺人テロを行ったオウム真理教の教祖・麻原彰晃について「悪人正機説」によって救われるのかと問われると、「麻原は、悪人正機説というより、むしろ密教系の毒水を汲んでおる。わしのほうに調べられると、ちょっと困る」と、質問をかわそうとした。
だが、さらに「麻原は天国に入れるかどうか?」と追及すると、親鸞大川隆法)は「(麻原に)回心があったりするかどうか、分からない」と答え、「善か悪か、はっきり言ってください」との質問にも、「分からんよ。何を基準にして善と言うか悪と言うかということだから」と、善悪の判断から逃げ続けた。

大川隆法の理解では、「親鸞は善悪の判断ができない」ということになっているようです。ところが、一般の浄土真宗信徒の方のご意見は、以下の通りです。山折哲雄氏の『悪と往生』について語られた文章から一部引用です。

私が教えられた「悪人正機」における「悪人」とは「自分を悪人として自認している人」であり、法律的な立場、倫理・道徳的な立場での悪人ではないとされています。仏教的な「悪人」で、換言すれば「自力では死生を離れがたく阿弥陀様の本願に頼らざるを得ない煩悩具足の人」となります。いずれにしても「悪人正機」では麻原彰晃のごとき刑事上の極重悪人は「悪人」と解釈されないのです。即ち「機」(=阿弥陀様が救済の目当てとする人)には、麻原彰晃のごとき刑事上の極重悪人は該当しないとするのが浄土真宗で教える「悪人正機」の理解なのです。
(中略)
実際には考えられないことですが、ある日極重悪人の麻原彰晃が「自分を悪人と自認している人」、「自力では死生を離れがたく阿弥陀様の本願に頼らざるを得ない煩悩具足の人」になったとしたら、麻原彰晃は阿弥陀様の救済の目当てである「悪人」となったと言い得ましょう。

とのこと。なるほど、この説明はよく分かります。
「自らの悪を自覚し、謙虚に生きる」という姿勢に於て、浄土真宗の教えは「幸福の科学」とは対極に位置します。親鸞聖人は、自らを「愚禿」とか「極重悪人」と呼び、「自力では死生を離れがたく阿弥陀様の本願に頼らざるを得ない煩悩具足の人」を自認していて、自らを最も低い所に置いた。一方、大川隆法は自らを「国師」とか「世界最高のサイキック(神通力保持者)」とか「ワールドティーチャー」とか「再誕の仏陀」とか「神々の主」とか「仏陀の魂の本体」とか「イエスが父と呼んだお方」とか「大宇宙の根本仏」とか言って、とにかく自らを他のどの存在よりも高い位置に置こうとしている。
このように、精神的態度が全く正反対であるので、大川隆法親鸞聖人の思想を一ミリも理解できていないのは仕方ないとして、大谷光見氏は、どのようにして自分の中でその思想を整理されているのだろうか。そこにちょっと興味があります。大谷光見氏の著作など、また機会があれば読んでみたいです。
ちなみに、私は「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」という道歌が好きです。