幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

「試すなかれ」ですって

当時の支部長・職員・信者さんにも責任はあったのでしょう。でも小さな出来事を大きな出来事にしてしまったのは、みろたんさんの被害者意識だったのではないでしょうか。

繰り返し、繰り返し考えているうちにだんだんと被害者意識に囚われていったのではないでしょうか。

こんなことを書いています。他の記事でも「被害者意識」という言葉が何度も出てきますが、私には聞き慣れない言葉で、この人自身が「被害者意識」の強いタイプなのでしょう。それは、「試すなかれ」というタイトルにもよく表れています。
「試すなかれ」という言葉で思い出すのは、『聖書』の中で悪魔が「神殿の屋根から飛び降りてみろ」と言ったことに対し、イエスが「汝、神を試すなかれ」と答えたことです。
潜在意識的に、自分=神、アンチ=悪魔と想定しているのでしょう。
実際には、そんな大げさなものではありません。単なる人間同士のやり取りです。
「試すなかれ」ですか。ははあ。私には、この場面で「試すなかれ」ということ自体、神に対する冒瀆であるように思われます。
過去の聖賢たちの真理の言葉尻だけ捉えて、自分の都合の良いように使うというのは、大川隆法以下、「幸福の科学」の信者全般に見られる傾向でもあります。

「私には関係ないですから」ですって!

私は事実関係を知りません。当事者でないですから。
空想で話をしています。
何が事実かなんて詮索する気もありません。
私には関係ないですから。余計なことに首を突っ込む気はありません。

あれあれ?こないだはアンチを批判して「何が事実で、何が真実かという地道なことはやらず、やっていることは印象操作です」と言っておきながら、今度は「何が事実かなんて詮索する気はありません」と言う。
何なのでしょうか、この人。「空想で話をしています」とか断言しちゃってるし。大丈夫でしょうか。
しまいには、「私には関係ないですから」と言う始末。今までさんざんアンチに対する一方的な悪口を書いていながら、この無責任っぷりは何なのでしょう。教祖の大川隆法にもよく似ています。こういう無責任なタイプでなければ、二十数年来信者を続けることもできないのでしょう。