幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

自殺は罪であるか、再考してみた

従来の宗教の考え方

キリスト教では自殺を罪と教えている。『奇蹟の輝き』という映画でもその様子が描かれていた。新興宗教でも、自殺は罪であると教えている。「幸福の科学」でも「自殺する者は地獄へ堕ちる」とか、「地獄へ堕ちることすら出来ず、本来の寿命まで地縛霊となって地上を彷徨う」とか言われていた。それより以前に、「生長の家」の谷口雅春氏も、自殺者の死後の様子を描き、自殺するのは「罪悪である」と述べている。

<< 自殺者の死後の運命は、罪を犯した人の死後の運命と非常に共通した点があるのである。それどころか、普通の罪人以上の悪い運命を受けるのである。自殺とは卑怯なる行為であり、その結果に恐怖すべき報いを招く罪悪である。来るべき苦痛を避けようと思って自殺したる死後の霊魂の言葉を借りて言えば、吾々各人は地上に於いて成し遂げねばならぬ責務または使命を持っているのである。此れは吾々自身の「善」と向上の為に耐え忍ばねばならぬ試練である。(この地上の世界を試練の世界と観る事はスピリットたちの一致して告ぐるところであるから信じてよいと思う)。此の試練を避けて、定められた時以前に人間的苦痛から逃げ出すのは自然の法則に反逆することである。自然の法則に反逆する者は、自然の法則から恐ろしい復讐を受けなければならない。自殺は肉体的苦痛を逃れる道ではない。自殺した者の霊魂は、破壊した肉体から容易に蝉脱する事が出来ない。その苦痛は、決して一思いに死ぬなどの苦しみとは比べものにならない甚だしさである。>>

云々と。
こういうのが、従来の宗教の考え方である。伝統宗教であるか新興宗教であるかを問わず、宗教はみな自殺を罪としている。これは当然であると思う。

村上密牧師の意見を読んで

私も最近までは上記のような考え方を概ね受け入れてきたのだが、以下の村上密牧師のブログ記事を見解を読み、考え方を深く考えさせられた。

何事も置かれた状況によるのであって、一律に自殺を罪とする考え方は誤っている。法律では自殺を罪としていない。聖書の中でも自殺を罪としていない。自殺を罪とするのは、習慣的な考え方である。この習慣が自殺をした人の遺族を苦しめる原因になっている。作られた罪意識が、人を苦しめるなら、私たちはそれを変えていかなければならない。鬱の回復期の自殺を罪と見做すのは酷である。自死を選択するほどに追い詰められた状況、原因にも目を向けるべきだ。よって、私は自殺を罪とするキリスト教的な教えを聖書の教えと違うものと見做している。

私は、この村上牧師の考え方は、愛に満ちたものだと思う。自殺者の立場、それからその遺族の立場をよく慮ったものだと思う。
この記事を読んだのは少し前のことで、それから私も「自殺」について、何度か考える機会があった。今のところの結論は、自殺は罪と言えば罪であるし、罪でないといえば罪ではない、ということになる。
自殺は他殺と同じく大きな罪であるとする。だとしても、それは、その人個人に全責任があるわけではない。その人と関わった全ての人に責任があり、その人の所属する社会を構成している一人一人の責任でもある。
これは、「罪」ということ全般に言えるのだけど、本当は一人の罪というのはない。究極に於て、「人類は皆兄弟」であり、社会の中で何らかの繋がりを持っている存在である。潜在意識下ではみな繋がっている。だから、一人の罪はみんなの罪である。
自殺が罪であるとするなら、それはその関係者全ての罪である。「自殺者だけが全て悪い」ということには、絶対にならない。だから、自殺は個人の罪として責められるべきものではない。具体的にいえば、自殺者を追いつめた者はもちろんのこと、自殺するほどに苦しんでいたことに気付いてあげられなかった罪、その苦しみを和らげて解消してあげることができなかった罪、そういう心に苦しみを持った人に適切な休息の場を与えることができるような社会システムを作り上げる努力をしてこなかった罪、等々がある。
その罪の軽重に差はない。一人の罪はみんなの罪である。みんなの罪は一人の罪である。だから、一人はみんなのために、みんなは一人のために生きなければならない。
「霊的に見て死後苦しむ」というのも、私はでたらめだと思う。私の信じる神様は、自殺の責任を全てその人だけの罪として罰して、長い苦しみを与えるようなことはされないと思う。自殺するほどまでに苦しんだ人を、死後もさらに罰するようなことをされるような神様は「祟り神」、「裁きの神」であって、到底「愛の神」とは言えない。
仮に自殺が罪だとしても、自殺するに至るまでの逡巡やその苦しみで、その罪は既に贖われていると私は思う。決して自殺の勧めをしているわけではない。自殺をするよりもしないに越したことはない。でも、「自殺は罪だ」という言葉の裏には、冷たく刺々しいものがある。それだけでは、全ての人を救うことはできないと思う。
これは、「幸福の科学」でよく聞いた自己責任論とは対極に位置する考え方であるから、現役信者の方にはなかなか理解されないだろうとは思う。でも、今の私には、こういう考え方のほうがしっくり来る。