幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

自称「才谷梅太郎」さんへ

この四本の記事を読んでのお返事です。
楽山日記さんが、

こちらでそれぞれ反論を書いて下さっています。いつも有難うございます。

にほんブログ村に巣くうアンチ幸福の科学の研究」というタイトルは適切か

タイトルが漸く決まったようですが、「にほんブログ村に巣くうアンチ幸福の科学の研究」というタイトルは、大川隆法著の『「週刊新潮」に巣くう悪魔の研究』というタイトルのもじりかと思われます。
信者にとってみれば、「アンチ幸福の科学」=「悪魔」なのでしょうから、そこは理解できます。
しかし、「巣くう」という言葉には悪意があり、何か悪いものがそこに集っている、という印象を与える言葉です。ですから、「にほんブログ村に巣くう」という表現は、「にほんブログ村」に対する中傷にもなります。
しかも、この表現は、実態から懸け離れたものです。私がブログ村の「幸福の科学」カテゴリに登録していた時であれば、「ブログ村の『幸福の科学』カテゴリに巣くうアンチの研究」といったタイトルなら適切でしたが、信者の通報によってそこを追い出された現在、「巣くう」という表現は適切ではありません。
自称「才谷梅太郎」さんにお願いしたいのですが、信者としてアンチに対して攻撃するのはいいのですが、周りの人を巻き込んで迷惑を掛けるのは良くないと思います。この際、「ブログ村」は無関係なので、「にほんブログ村に巣くう」の部分は取り下げた方がいいのではないでしょうか。

個人の思想に関して「カルト性」とはどういう意味だろうか

さて、昨日、UMAの「幸福の観測所」の「自殺は罪であるか、再考してみた」を読みました。
カルト性があるので、以下、転載します。

と言われています。「カルト性がある」と断言していますが、そもそもカルトというのは、特定の閉鎖的集団のことを指すものであり、個人の思想に関して当て嵌めるべき言葉ではありません。

「カルトの特徴」に悉く当てはまる「幸福の科学

こちらに、マイクル・シャーマーという人による「カルトの特徴」が挙げられていました。

指導者に対する崇拝
聖人、あるいは神格に向けられるものとさして変わらない賛美。
指導者の無謬(むびゅう)性
指導者は絶対に間違いを犯さないという確信。
指導者の知識の広さ
哲学的な事柄から日常の些細なことまで、指導者の信条や口にすることはなんでも無条件に受け入れる。
説得のテクニック
新たな信徒を獲得し、現状の信仰心を補強するために、寛大なものから威圧的なものまで手段はさまざま。
秘密の計画
信仰の真の目的と計画が曖昧としている、あるいは新規入信者や一般大衆にはそれらが明確に提示されていない。
欺瞞
入信者や信徒は、その頂点に立つ指導者や集団の中枢部に関してすべてを知らされるわけではなく、また大きな混乱を招くような不備や厄介事に発展しそうな事件、あるいは状況は隠蔽されている。
金融面および性的な利用
入信者や信徒は、その金銭およびそのほかの資産を差し出すよう説得され、指導者には一人かそれ以上の信徒との性的関係が許されている。
絶対的な真理
さまざまなテーマにおいて、指導者、あるいは集団が見いだした究極の知識に対する盲信。
絶対的な道徳観
指導者、あるいは集団が確立した、組織の内外を問わず等しくあてはまる、思考および行動に関する善悪の基準への盲信。その道徳の基準にきちんと従えば、組織の一員としていられるが、そうでない者は破門されるか罰せられる。

「指導者に対する崇拝」……言わずと知れた「大宇宙の根本仏 エル・カンターレ 大川隆法総裁先生」です。
「指導者の無謬性」……これもその通りです。離婚・再婚も、衆院選での失敗も、何もかもが無謬です。何かある度に会内で使われる「総裁先生には何か深いお考えがあるに違いない」という言葉に現れています。
「指導者の知識の広さ」……これもその通りです。
「説得のテクニック」……これもあります。普通の伝道行為の他に、いじめ・自殺防止と言った切り口もあれば、天変地異予言のような威圧的なものまで様々あります。
「秘密の計画」……これはよく分かりませんが、「エル・カンターレ財団」や「軽井沢精舎」など、一般の信者には知らされていないものもあります。
「欺瞞」……これはいつものことですね。都合の悪いことは、隠蔽されます。教祖夫妻の不仲などは、ずっと隠蔽されてきました。大川隆法の胃ガンや心臓病なども、隠蔽されてきました。(胃ガンについてはまだ非公表で、噂レベルですが。「オーケーのブログ(「アンチHS(by アイマイミー氏)」の記事保管庫) : 犯罪組織 幸福の科学の事件簿(138) 大川は薬物中毒で「お陀仏」寸前!」を参照。)
「金融面および性的な利用」……「幸福の科学」信者は分からないでしょうが、ここまで金銭的要求をしてくる宗教は、他に類を見ません。創価学会ですら、ここまで酷くはありません。「植福」などと言って、言葉巧みにその功徳を説き、金銭を差し出させるように仕向けている。「性的な利用」に関しては、噂で伝わっている愛人説が正しければ
、当てはまります。そうでなくとも、定義では「一人かそれ以上の信徒との性的関係」とあるので、近藤(大川)紫央さんを一人と考えれば、それだけで当てはまります。
「絶対的な真理」……「幸福の科学」の教えを絶対的な真理と考えるのは、信者の間では当然のことです。
「絶対的な道徳観」……これも上に同じです。
ということで、私の見たところでは、「幸福の科学」はマイクル・シャーマーという人の言った「カルトの定義」に、殆ど見事に当てはまりました。
これは流石に信者の方も擁護できないでしょう。信者の方が擁護するとすれば、「カルトの定義がおかしい」と言うしかありません。
私の記事について「カルト性がある」と断言された「幸福の科学」信者の自称「才谷梅太郎」氏は、どういう定義で以て「カルト」と言っているのでしょうか。
自称「才谷梅太郎」氏は答えないでしょう。相手の弱みにつけ込んで攻撃し、都合の悪いことには返事をしないのが自称「才谷梅太郎」氏のやり方です。それは、「幸福の科学」のやり方でもあります。ちなみに、私が繰り返し自称「才谷梅太郎」氏と書いているのは、坂本龍馬やそのファンに対して失礼だと思うからです。
内容については、「現役信者の方にはなかなか理解されないだろう」と書いた通り、理解はされませんでしたね。楽山日記の方は理解して、代わりに擁護して下さいました(本当にいつも有難うございます)。実は、私自身、この記事は余り自信が無かったのですが、他にも意外と一般の方からの好意的な反響が多くて少し驚き、また「実はみんな思ってたことなんだな」と思い、安心しました。

自称「才谷梅太郎」氏のアンチ批判の動機?

信者にせよ、退転者にせよ、アンチにせよ、心のなかには必ず魔(己心の魔)が潜んでいます。
特に私のように攻撃的な人は、退転するとアンチとなって暴れ始め、死後、本当に悪魔になってしまう可能性があります。
映画『神秘の法』の「木花開耶姫のテーマ」の歌詞に「甦りの生命 善となれ神獣 八岐大蛇よ 羽を生やし 飛び立てよ」というフレーズがありますが、私の半生を振り返ってみると、まさに、本来、攻撃的で「悪」であったものが、今、エル・カンターレを護るために一時的に「善」となっているにすぎないような気がするのです。
だから、本当は私の心のなかにもアンチと同じ魔が潜んでいて、希望を失ったとき、挫折したときに、同じように退転してしまうかもしれないのです。
そういう意味では、にほんブログ村に巣くうアンチ幸福の科学は、私の過去の姿か、未来の姿かもしれず、彼らの失敗は、私の反省の材料に適しているといえます。

ふむふむ。

実は、私は昨年12月の総選挙から幸福の科学の運営に疑いを持ち始め、1月中旬頃には「これではアンチと変らないのではないか?」というところまで退転してしまったのです。
実際に悪霊も来てしまって、1月は体が重く、仕事のとき以外はずうーっと寝ていました。
疑いを持った原因は総選挙の結果ではなく、信者との口論だったのですが、このときに魔が入ってしまったのです。
また、同じ頃、幸福の科学系のSNSで、にほんブログ村のアンチの話を知りました。
当初、私は、「アンチ対策は他の人に任せよう」と思っていたのですが、しばらくたってから、「アンチ対策をやりながら、私の考えがアンチの考えと変らなくなってきた原因を研究しよう」と思うに至ったのです。

なるほど。
これはいい兆候ですね。もし、聞く耳があるのであれば、最近話題になっている、アルゴラブさんの「ダブル・バインド」の話を読んで見て下さい。

こちらです。
これに対し、正面から反論を試みてみるとよいかと思います。幾ら「にほんブログ村に巣くうアンチ幸福の科学の研究」というタイトルだからと言って、ブログ村以外のアンチ幸福の科学の研究をしないわけではないでしょう。
本当は、

こちらの記事についても反論しようかと思いましたが、楽山日記さんが既に書いて下さったし、全く的外れな中傷レベルのものなので、どうでもいいです。
ところで、この方にも「ダブル・バインド」の特徴がよく現れていますね。本当は「幸福の科学」や大川隆法の教え(の中の間違った部分)が悪いのに、それらは無謬だという前提だから、個人が悪いという方向に持っていくしかない。この人自身、「幸福の科学」でそういう扱いをされて、そういう思考形態が身に付いてしまっているのだと思われます。