読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

「祈願」について

こちらの記事で、このようなコメントを戴きました。

はじめまして、ベロだしチョンマです。
何か大きな勘違いをされているのでは?
自分が成功するかしないかは、自分の努力次第ではないのですか?
お布施の基本は、無私無我であり、本来は、
私は幾らお布施をした!などとのたまわる輩は、お布施の意味を知らないだけだと思います。
また、何かの祈願が幾らだから効いた・・?
などと思っている輩は、祈願の本当の意味すらも知らないだけかと存じます。
結局、ご利益信仰は、偽物の信仰であって、自らの霊性、神性を掴み切れずに苦しんでいる可哀そうな輩であると存じます。
貴方は、本当に可哀相な方だ、このような表現しか出来ないなんて・・・
自立できないのであるならば、心底、無私無我にして、帰依してください。

ふむ。

「ベロ出しチョンマ」と「ベロだしチョンマ」は同一人物か別人か

まず、本題に入る前に、コメントを書く記事を間違えておられるようでもあるし、ベロだしチョンマという人は、以前に

こちらの記事でも紹介したように、「はじめまして」ではありません。いや、以前の人は「ベロ出しチョンマ」だったから、今回の「ベロだしチョンマ」氏とは別人なのでしょうか。KK信者は、「不妄語」とか「不両舌」とか言いながら、他人の名前を騙ったりもするので、その可能性もあります。困ったものです。
同一人物として考えればよいのか、それとも「はじめまして」と言われているので、やはり別人だと考えるべきか。好意的に考えて、ハンドルネームが偶然似たものになった可能性もあります。

「勘違い」しているのはどっちでしょうか?

何か大きな勘違いをされているのでは?

という言葉以下、やはり他のKK信者と同じく、自分の勝手な独断に基づいて相手を裁くという地獄的文章を書かれています。
「勘違い」しているのは恐らく「ベロだしチョンマ」氏の方でしょう。教団内で信者に対して説かれている「お布施の意味」とか「祈願の本当の意味」は、それはある程度の真理ではあります。しかし、ここがカルトの巧妙なところで、そこに巧妙な摩り替えが入っています。
それらは、全ては集金のための口実であり、祈願が効かないことの言い訳に過ぎません。可哀想なのは、気付かないうちにマインドコントロール下にあってこういう言説を信じ込まされている信者たちの方で、アルゴラブさんの「ダブル・バインド」論で説明できるものです。
「ベロだしチョンマ」氏は、

自分が成功するかしないかは、自分の努力次第ではないのですか?

と言われました。ふむ、それも一理ありますが、その通りだとすると、「祈願」は何のためにあるのですか?
幸福の科学」の祈願は効かない、ということになります。実際そうで、新宿精舎で講演中の佐々木英信さんが倒れた時も、全国の信者が『病気平癒祈願』をしましたが、そのまま亡くなってしまわれました。
そのような事例は事欠かないものです。2009年の衆院選では、何人の人が『大勝利祈願』をやったことでしょうか。結果は「大勝利」どころか、惨憺たるものでした。

私の「祈願」に対する考え方

私は今でも神前にてお祈りをすることはあります。ただし、私の言う「神」とは全智全能の存在であり、人格神ではなく、人間として生まれることなどあり得ない存在です。「神」とはいいつつ、本来は名付くことができないものです。
で、何か叶えたい願いとかがあって、神様の前に立つわけですが、いざお祈りをする段になると、既に「全智全能のご存在は、全智全能であるのだから、当然、今からお祈りしようとしていることも知っているのだ」ということに気付き、急に恥ずかしくなったりもします。
でも、恥ずかしく感じることすら神様はご存知であって、全てを受け入れて下さっているので、ただ感謝するしかありません。結局、お祈りすることは、日々、生かされていることと、日々、お導き下さっていることへの感謝のみになります。
だから、「ベロだしチョンマ」さんの言われることは、大筋ではよく分かります。
幸福の科学」の信者であった時と今と比較して、唯一違うのは、信者であった時は、「感謝と精進の誓い」と言われていた為、「精進の誓い」も立てて考えていたことです。今の立場からすると、その点が非常に違和感を覚えるところです。
キリスト教とかでは「誓ってはならない」と言われているんですよね。しかし、「幸福の科学」では誓いを立てます。その裏には、「私はこれこれこういうことをしますから、神様、どうか願いを叶えて下さい」というような、「願掛け」にも似た「神との取り引き」があるように思われます。
幸福の科学」では、事あるごとにキリストが禁じた筈の「誓い」を立てさせます。その点から考えて、「偽りの信仰」というのは、「幸福の科学」の方ではないでしょうか。

まとめ

ベロだしチョンマ氏にお伺いしたいのは、あなたは「幸福の科学の祈願は効かない」という認識でいらっしゃるのでしょうか。
もう一つ、祈願をするにも、その対象の問題があります。私は全智全能の存在に対してでなければ、祈願をする意味がありません。「エル・カンターレ」という名前を持っていること自体、私には全智全能性の否定にも思われます(『老子』第一章参照)。
総合して考えると、「幸福の科学」の信仰は、人々の欲望に応じた「祈願」を用意し*1、現世利益で人々の心を釣って高額のお布施を集め、「結果については自己責任です」と言う風に逃げ道を用意しているだけの、個人崇拝・偶像崇拝をする淫祠邪教のカルト宗教だとしか思われないのですが……。

おまけ

f:id:antikkuma:20130502081456p:plain
W布教所さんが必死になって守った筈のランキング三位に入っていたので、記念撮影しておきました。
月初めは月三回のカテゴリ変更権が復活するので油断しちゃいかんですよ。
しかし、以前と比較して、全体的にポイント数が減っていますね。先月のブログ村の幸福の科学カテゴリは、信者同士で言い争いをして、相当ドロドロしていましたからね。そりゃあ、信者の人も寄りつかなくなります。アンチとしては、その勢いで幸福の科学からも離れて下さることを期待したい所ではありますが。

*1:「病気平癒祈願」や「結婚祈願」、「就職祈願」から始まって、「ダイエット祈願」だの「収入倍増祈願」だの、果ては「聖なる愛欲経」や「三角関係解消のための祈り」まであります。以下参照。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1135097246