読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

「愛に敵なし」なのに「仏敵折伏」とはどういうことか

教義批判

アンチ創価学会の方のブログで、こういうのを読みました。

ところで、仏敵って何?
仏教にそんな言葉はありません。
第六天魔王はあるけどね。
仏教徒は人を脅したりしません。
振る舞いが大事と教えられるはずなのに
学会ではいつの間にか仏敵を倒すことが仏教になっています。

どうしてそうなるのか・・・。
たぶん、学会員の心の中に人を倒したい願望があるからではないかと・・・。
そうでなければ、
「仏敵」という言葉を聞いただけでおかしいと感じるはずです。

なるほど。「仏敵」というのは、どの辺が出典なのかは分かりませんが、確かに他では余り聞かない言葉です。生前のお釈迦様の言葉として「仏敵」というのはあるのでしょうか。専門家の方に聞いてみたいところです。

幸福の科学」の根本経典に記された「仏敵折伏」正当化の言葉

さて、上の文章、「学会」を「幸福の科学」に置き換えると、そのまま通用しそうです。
というのも、「幸福の科学」の根本経典『正心法語』の中の「解脱の言葉 仏説・八正道」に、次のような一節があります。

ただし 仏敵折伏には 勇気ある 批判と知恵を 忘れるな

と。「仏敵」とか「折伏」とか、お前らは創価学会か、というぐらいなのですが、これは本当に「幸福の科学」の根本経典の話です。
熱心な「幸福の科学」信者は、毎日これを唱えていまして、ネット上で口の悪い信者たちも、この根本経典の言葉を根拠に暴れ回っているから、ちっとも悪いとは思っていないのです。
信者がそれを引用して励まし合っている証拠を、他のブログからの引用で示します。

ニャーは幸福の科学の根本経典である「仏説・正心法語」の経文の一つである解脱の言葉、「仏説・八正道」で不悪口を学んでいます。不悪口とは他人の悪口を言わない事という戒めの教えです。
ただ、そのあとには但し仏敵折伏には勇気ある批判と知恵を忘れるな、理想社会の建設には積極性を忘れるな、正語を弱さととらえるなとあります。
ニャーは民主党の人々も、人間として魂修行をしている仲間であると言う大きな教えでは良き人々と認めていますが、左翼政権で信仰心が無く、宗教を否定している事は容認出来ないのです。

とか、

私たちは、主より、原則、人には8割のやさしさ(摂受)、そして2割の厳しさ(折伏)で接しなさいと教えていただいていますが、それは同時に
「平時は、愛と寛容をもって人に接するべきだけど、いったん有事になったらば断じて悪を犯させない厳しさ、教導の怒りも必要である」
ということでもあると今非常に肝に銘じております。


危機の時代においてはなおのこと、
「仏敵折伏には勇気ある批判と知恵を忘れるな」
ですね!!言いかえれば、
「今こそ悪の侵略計画に対して、こちらももっと真剣に徹底的なネガティブ・キャンペンーン(光の防衛網)をはって、国民的な言論のうねりを起こしていかねばならない!」
ということです。

とか。下の方はアンチを「幸福の科学」カテゴリから追い出した自称「アマミキョ」の言葉ですが、そういう行為について、ちっとも悪いと思っていないだろうことが窺えます。

「愛に敵なし」じゃなかったの?

大川隆法は、『太陽の法』とかで、「愛に敵なし」って言っていましたよね。キリストの「汝の敵を愛せよ」というのを取り上げて、「それではまだ足りない、敵を作っているようではまだ未熟である。本当は『愛に敵なし』なのだ」みたいなことを言っていたのも覚えています。
それが「仏敵折伏」とか言うんだから、おかしな話です。(それも「八正道」を説いている中で!)
幸福の科学」教義では、「仏とは愛そのもの」ではなかったの?
ということで、こうして見ると、信者の異常行動は、教えそのものの中にその種があるということがよく分かりますね。毎日唱えている「根本経典」の中に毒が含まれているから、信者の精神は日々毒されているわけです。毒麦の種を蒔き続ければ、そこに実るものは毒麦です。