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幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

子供に「与える愛」の思想を吹き込む危険性

「普通がいちばん」ということ

幸福の科学」の元信者で、「kkとは何だったのか」というアンチブログをされていたほーねっとさんが、先頃、引退されました。いつも鋭い考察を書かれていた方で、教義批判などは私も非常に参考になりました。
仕事や家庭の方が充実してきたためとのことですので、良かったです。カルト教団から離れた所で、幸福な人生を歩まれることを祈念します。
ほーねっとさんの言葉で最も印象に残っているのは、「普通がいちばん」と言われたことです。これは、「幸福の科学」とは真逆の態度です。
幸福の科学」では、教祖は「私は地球で一番偉い。宇宙で一番偉い」と言い、幹部職員には過去世認定や宇宙人認定をして特別扱いし、信者たちも「エル・カンターレ信仰を持つことが出来る私たちは特別」と思っています。
「自分は特別」と思うのが「幸福の科学」の信仰の正体です。恐らく、他のカルト教団とも共通するものでしょう。
逆に、ほーねっとさんが言われた「普通がいちばん」という極シンプルな言葉が、ほんとうの「悟り」なのだと思います。

「オトナコドモ」とか「中二病」とか

ほーねっとさんの指摘していたことで、「幸福の科学」信者は「オトナコドモ」ばかりだ、というようなものがあった。これは、「幸福の科学」に限らず、日本社会全体に見られる傾向でもあると思う。
えー、以下は、思いつきのメモみたいなものであり、ちょっと極論と思われる部分もあるかも知れないけれど、多少大目に見て欲しいと思います。
例えば「三十代女子」とか「四十代女子」とか言って、いつまでも「女子」であろうとする。本来、それは凄く恥ずかしいことなのに、社会全体がそれを容認する傾向がある。
大人がアニメやゲームに嵌まったりするのもそうだし、右も左も「オトナコドモ」ばかりの変な社会だなあということをつくづく思う。
「オトナコドモ」の特徴は、一言で言えば「自己中」ということだと思う。自分のことしか考えていない。思考や行動が全て自分のためである。結婚するのも自分のため、子供を産むのも自分のため。子供が生まれても、子供よりも自分の都合を何より最優先にする。結果、子供は愛情不足で歪んで育つ。
幸福の科学」信者の家庭の場合もそうで、親は子供のことなど顧みず、「チーム会」だの「地区会」だの言って、子供を放ったらかして宗教活動に励む。それでも子供は親の期待に応えようと頑張って、「いい子」であろうとする。内心では望んでもいないのに、少しずつ宗教活動を手伝ったりする。そうすると、他の大人から褒められたりして、当の親は、信仰深い子供を誇らしげに自慢したりする。
親は自己中心的に生き、子供はそれに合わせて自己欺瞞をするしかない。子供にとって、親は全てであるから、そうするしか、生きる道がないのである。
二世信者にとって、最も害となるのが「与える愛」の思想である。「幸福の科学」では、「愛とは与えることである。奪う愛は偽物である。見返りを求めてはけない」ということを教える。それは、一見非の打ち所のない思想のように見えるが、ここに子供にとって一番の害毒となるものがある。
子供はこの「与える愛」の思想を教え込まれることにより、親に対して甘えることができなくなる。甘えようとすると、時には「奪う愛をしないで!」というようなことを言われ、叱られたりする。「与える愛」の思想が、裁きの原理となるのである。
二世信者の子供は次第に自分で自分を規制して、心に闇を作っていく。それでも表面的には明るく振る舞っているように見える。二世信者の心の闇は深い。一生消えることが無いのではないかと思う。親がカルト宗教の信仰を持つということは、子供の一生を台無しにするのだから、非常に大きな罪である。その元締めたる教祖の罪はもっと遙かに大きい。
幸福の科学」では、もう一つ便利な理論がある。それは「生まれ変わり」であって、「子供は天上界で親を選んで生まれてくる」というものである。これもスピリチュアルな人からすると、「ええ話やな」ということになるかも知れないが、ここにも子供にとっては非常に毒になる思想がある。
つまり、全て子供の責任にされてしまうのである。子供が親の欠点を指摘すると、親は「そういう親を選んで生まれてきたのもあなたなのよ!」と言うのである。こう言われると、子供は反論できない。親の責任は一切なくなる。ここにまた、深い闇の発生源がある。これはもう、「ええ話」どころではなく、子供に一生呪いをかける、悪魔の思想である。
だから、親が子供に対し、「生まれてきてくれて有難う」というようなことは、「幸福の科学」には存在しない。逆に、一方的に「子供は親に感謝すべし」というのが「幸福の科学」の思想である。「大悲父母恩重経」などは、学生部でよく行われる研修であるが、あれも洗脳のための研修である。
幸福の科学」以外でも、最近では保守派の間で「親学」なるものがあると言う。あれも、「幸福の科学」の思想と同様、子供を歪ませる危険な思想である。

愛は行動で表すもの

愛というのは、「与える愛」とか「奪う愛」とか、固定した言葉で表現すべきものではない。行動で示すべきことである。「与える愛が大事だ」ということを示すには、そのことを言うのではなくて、行動で示すだけで十分であるし、行動で示す以外の方法はない。愛は働きであって、言葉ではない。
老子が「言う者は知らず、知る者は言わず」と言ったのはこのことである。本当に「知っている人」は、愛という言葉を使わずに愛を表現し、愛を体現するものである。「与える愛」などと殊更に言う人は、「自分は愛を知らない」ということを自ら表明しているようなものである。
「与える愛」とか「奪う愛」とか、尤もらしいことを言っていながら、行動に於て愛が無ければ、全く意味がない。「幸福の科学」に於ける「オトナコドモ」たちは、「与える愛」を叫びながら「奪う愛」を繰り返している。その最たる人が教祖である大川隆法である。

負のスパイラルから脱するために

親がいつまでも自己中心的に生きることで、その子供たちが犠牲となり、歪んで育つ。その子供たちも、子供のうちに愛されなかったことにより、成長しても大人になり切ることができず、自己中心的に生きることになる。
これは「幸福の科学」に限らず日本全体の問題で、こうして負のスパイラルが完成し、世の中は少子化となり、科学技術は進歩し、十分に経済繁栄もしたのに、人々の幸福感は一向に向上しないということになっている。
元を辿ると、諸悪の根源は、やはり、明治維新以後に入ってきた欧米的価値観やライフスタイルであろう。第二次大戦の敗戦によりそれが顕著になったとは言うものの、それ以前からその傾向はあった。「人権」だの「自由」だの「平等」だの言って、「個人主義」が持て囃されるようになった。それを突き詰めていっているのが今の日本の姿である。ある意味、その最先端を行っているのが「幸福の科学」であると思う。
その負のスパイラルから脱するためには、大人が自己中心的な生き方を止めなければならない。今の日本の社会の構造が、大人中心に出来ている。それをもっと、子供中心にする必要があると思う。次の時代を創るのは、いつでも子供たちである。子供を大切にしない国は、衰退する。子供はどんな時でも愛され、大切にされる必要がある。
愛されなかった子供は、大人になっても他人や子供を愛することができない。一生、愛に飢え、自己愛のままに生きることになる。逆に、愛された子供は、同じように他者や子供を愛することができるようになる。
どんなときも、主役は子供であって、大人が主役になってはいけない。
というようなことを思いました。
一方、大人になり切れなかったオトナコドモたちは、「インナーチャイルドを育てる」といった方法で、正しく大人になる必要があるのだとも思います。
また、色々勉強して、考えを深めてみたいと思います。