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幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

「神」を自称する者への批判記事紹介

個別記事紹介

これです。
私も退会して一年以上が経ち、大川隆法の本を読む機会が無くなったので、このような信者さんによる生の声というのは大変興味深いです。
本題に入る前に、少し余談から入ります。

「地獄」に堕ちている筈が、何故か普通に喋る霊たちの謎

当初驚いたのは、
地獄に堕ちた霊は、地獄の責め苦に悶え苦しみ、呻吟しているんだろうな、そう漠然と抱いていたイメージが、実はそうではなく … 。
実際に下に落ちている地獄霊の通信を聞くと、何というか、あんがい普通にしゃべっているように見えて、別に地獄の業火に焼かれているわけでもないらしい。(ま、堕ちてるところにもよるのでしょうけれど。)
それが驚きだったのを覚えています。

不思議ですよねえ……。アンチの立場から言えば、「全部大川隆法の表面意識が喋っているからだよ」という非常に分かりやすい説明ができるのですが、信者の方たちは、納得するのが大変です。

余談:「大阿鼻叫喚地獄」のイメージ

地獄の様子といえば、「マンガで見る幸福の科学」シリーズで描かれたものがありました。

こちらで紹介されているものですね。子供向けのマンガであり、私も何度も読みましたが、非常に怖かった覚えがあります。「幸福の科学」の二世信者たちは、こういうものを読んで、潜在意識下に恐怖を植え付けられて育ちます。これをカルトの洗脳と言わずに何と言うのでしょうか。

以前に説かれていたニーチェの様子

また、

唯物思想が誤りであることは、あの世に還れば、だれも疑うことのできない真実なのです。
(中略)
哲学的巨人を気取ったニーチェにしても、「神は死んだ」と叫んだその言葉が、あの世に還ってから、数限りない霊人たちの嘲笑の的となりました。
(中略)
ヒトラーとともに、地獄の最深部で、ヘドロの沼にもだえているのです。両手両足には、非情にも重い鉄球がぶら下がっている鎖をつけられているのです。
大川隆法著 『黄金の法』 86~87頁)

とのことでした。
正常な理性を持っていれば、こうした矛盾に気付き、「大川隆法はおかしい」という判断を下すことができます。しかし、「大川信仰を続ける」ということが前提になると、矛盾していることに対して無理に整合性を付けねばならず、自分の正常な理性の方を狂わせていくしかありません。そこからカルト宗教特有の人格異常や人格破綻というものが生まれていくのだろうと思われます。

レオさんの感想は、共感することばかりです

さて、レオさんの本文に戻ります。

地獄に堕ちても、いまだに自分の非を認めずに、あくまでも自分は正しい、といって開き直っている人がたくさんいるんだな。

そうですね。私も、カルト宗教に嵌まっても、いまだに自分の非を認めずに、あくまで自分は正しい、といって開き直っている人がたくさんいるんだな、ということをつくづく感じます。

いままで読んできた、悪霊系の人たち、地獄に堕ちている人たちとの共通点が、はっきり出ているのを、読んでいて感じさせられました。

ほうほう。

それは、神さまというのを、非常に軽々しく考えているというか、というより、単なる代名詞だか肩書のようなものとでも思っているのか、
すぐに自分を、神だとか、キリストだとか言ってしまう、そうした傲岸不遜な精神傾向があること。そうした共通点があるように思います。
マルクスの霊は「わしが神なんだよ。わしはキリストと同じ存在」と霊言で言っていたし、
ダーウィンの霊は、「自分が新時代のキリストではないか」と言っていたし、
生前から「神は死んだ」とうそぶいていたニーチェは、霊になってからも、「自分は神以上」と言い切っていました。

なるほど、非常に鋭い洞察ですね。さすがレオさんです。我々アンチには気付くこともできませんでした。
私も、現代日本の宗教家で、すぐに自分を「再誕の仏陀である」とか「キリストが天の父と呼んだ存在である」とか「アラーである」とか「神々の主である」とか「大宇宙の根本仏である」とか言ってしまう人を知っています。「仏陀であり、救世主でもある」とも言ってましたっけね。「傲岸不遜な精神傾向」、まさに共通していますね。

今回の自称・従軍慰安婦の守護霊もまた同じく、自分は韓国を救おうとしているジャンヌ・ダルクだとか、平然と言ってのけてました。

その教団の幹部たちは、やれ曹操の生まれ変わりだのシーザーの生まれ変わりだのと、平然と言ってのけていますね。これも共通していますね。

それだけの実績があるのならともかく、生前の実績においても、救世主と呼べるほどの実績があったわけでもなく、それどころか、
死後みずからの魂が、暗い洞窟に閉じ込められたり、繭の中で無意識状態にあったり、あるいは、病院で寝たきりで苦しい、とかいう状態にありながら、自分を「神」「キリスト」と言い張るその傲慢さは、いったいどこから来るのでしょう。

本当にその通りですね。三十年近くも活動してきて、救世主と呼べるほどの実績があるわけでもなく、選挙に出てもせいぜい二十万票ぐらいしか取れない。心臓病で死にかけたり、胃癌で激ヤセしたり、歳を取るごとにどんどん貧相になっていく状態にありながら、自分を「神」とか「再誕の仏陀」とか言い張るその傲慢さは、いったいどこから来るのでしょうね。賢いレオさんならお分かりになるのではないでしょうか。

というか、軽々しく自分を「神」だ「キリスト」だと言い切ってしまえる、傲慢なその態度からは、真実の造物主、あるいは救い主に対して、心から敬慕し、うやまい、感謝していくという精神は、みじんも感じられません。
そもそも、神、神、自分は神だ、と言っているその人の「神観念」は、非常に浅薄なものであって、おそらくは当人の中で、この「神」という言葉の意味は、
単なる「この世の支配者」もしくは「世界を仕切る者」みたいなイメージでしかなく、そういう立場に立てば、それが神なのである。といった、ひじょうにお粗末な神観念にもとづいた、「自称・神」発言なのだと感じられます。
はっきり言えば、実のところ、造物主としての神、の存在などは全く信じておらず、存在そのものを否定しているのだと思います。無神論ですね。
そして単なる、肩書としての、神、キリスト、そうした言葉を乱用しているだけのこと、のように見えてしまいます。

いやあ、素晴らしくキレのある文章ですね。「幸福の科学」にも、まだこれだけ正論を書ける人がいたんですね。是非、「神」や「仏陀」を自称している教祖様にも読んで貰いたい文章です。