幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

教育とマインドコントロール

思うに、教育も一種のマインドコントロールなのだろう。教育というのは、要は特定の集団の信ずる正義を教え込むことである。
何をどう教わるかということについて、教わる側に自由はない。
大人の間で議論のある事柄であっても、そのうちの特定の一つの説を根拠として教育が行われる。
理系、自然科学の分野では、その弊害は少ない。特に数学は、どのような立場であっても確実な真理のみを教えている。
しかし、文系、社会科学や人文科学の分野では、弊害が大きくなる。例えば、歴史でよく取り上げられるのは、南京事件従軍慰安婦の問題である。鎌倉時代が始まった年度は、二十年前と今とでは変わっている。「聖徳太子は実在しなかったのではないか」という説もある。邪馬台国の場所も確定していなかったりする。
国語の分野では、戦後、表音主義に基づいた「国語国字改革」が行われ、国語教育もその延長線上で行われてきている。国語国字改革に反対の立場であった時枝誠記博士による「時枝文法」というようなものは、全く無視されてきた。その立場からすると、今の学校で教えている文法は、でたらめである。
人文科学の分野のことは、どちらが正しいかということは、数学のような証明はできない。経済学にしてもそうで、専門家の間でも全く正反対の説で対立していたりする。どちらが正解かということは、専門家によって意見が変わる。
結局、政治的に力を持った方の説が採用されたというだけのことである。教えていないから間違いということでもないし、教えているから正しいということでもない。つまり、正しくないかも知れないことを平気で教えている。そのことを教える側が自覚しているならまだよいし、教育を受ける側にも自覚させているならよいのだが、どちらも自覚なく「教育」なるものが行われていることが大いに問題である。
そういう意味で、出口王仁三郎が遺言として「今の変性女子はニセモノじゃ」と言ったことは、私は大いに評価している。同様に、義務教育の最後でも「実は、今まで教えてきたことは正しいとは限りません」ということを正直に教えるべきである。それが「教育」という名の下に行われたマインドコントロールを解き、多様な価値観を認める寛容さを養い、カルト宗教に引っ掛からないような健全な精神を作ることになると思う。

映像とマインドコントロール

さて、義務教育が終わり、大人になってからもマインドコントロールは続く。現代で最も大きな力を持っているのは、映像によるマインドコントロールである。映像を観るというのは、完全に受動的な行為である。異論があっても、口を挟んで反論することはできない。
議論や対話形式で行われるというのもマインドコントロールの手段の一つである。

こちらの「3. 情報的テクニック」のところを参照して欲しいのだが、マインドコントロール下であっても議論は行われる。しかし、その議論内容がコントロールされているのである。
同じように、映像越しでの議論や対話というのも、議論内容がコントロールされることを意味する。自分は参加していなくても、自分も実際に考えているような気分になってしまう。そうして思考の誘導、即ちマインドコントロールがされることになる。
文章で書かれたものでも、「対話篇」などというものはよく注意した方がよい。対話形式というのは読みやすいので好まれがちだが、「読みやすい」ということは「余り頭を使わなくてよい」ということを意味している。
幸福の科学」でも、映像によるマインドコントロールが多用されている。「御法話拝聴会」と言って、一方的な言い分を刷り込まれる。異論や反論は、六大煩悩の「疑」に当たるなどと言われ、決して認められない。
三年おきにアニメ映画を創っているが、あれを信者は何回、何十回と観る。そうして「感動」が刷り込まれるのである。実際に観ている信者は、涙を流して感動してしまう。自分ではそれが偽物の感動だとは気付かないし、マインドコントロールされているとも気付かない。
老子』には「五色は人の目をして盲せしむ」という言葉があるが(第十二章 五色は人の目をして盲なら令む。 - 時すでにyas史参照)、人間の感性というのは当てにならない。実際のところ、本物でないものであっても、思い込み次第で幾らでも感動するものである。
私も、つい二年前までは、大川隆法の「御法話」を聴いて、涙を流していたものである。『君よ、涙の谷を渡れ。』などは何度も聴いて、その度に泣いていたし、『西郷隆盛の霊言』などを聴いても泣いていた。だから、今の『東条英機の霊言』を聴き、感動して泣いてしまう信者の気持ちは分かる。当時、アンチになった人たちのことを見ては、「信仰を失ってしまい、かわいそうに……」と思っていた。そういう気持ちも分かる。
なので、逆に言うと、現在熱烈な信者であっても、何らかの切っ掛けで、ふと我に返る瞬間というのはやってくると私は信じるものである。

おまけ

上の方で言及したサイトのまとめ部分に、カルトの特徴まとめみたいなものがあったので、一部抜粋する。

(1)カルトは必ず個人の権利と自由を否定する。しかも、表向きはそれを尊重する態度をとる。
(2)カルトは言葉と行動が違う。教義の二面性はカルトの第一の特徴である。
(3)カルトは細かい規則を子どもに強制し、その結果、児童虐待が発生する。
(4)カルトは児童虐待の実行者を組織全体で保護し、親も虐待を支援する。
(5)カルト信者たちは自分の制度を変えることはできない。下からのコントロールを持たないからである。
(6)カルト組織内で問題が発生する場合、悪いのは常に一般信者か外部の人間である。教祖と組織の問題点は議論されない。
(7)カルト組織は、指導者にすべての権限が集中する階層制度をもつ。

1と2はまさに当て嵌る。3と4は、私の見てきた限りでは無かった気がするが、「幸福の科学学園」が出来て以降、内部がどうなっているかは分からない。5は信者でさえ認めるであろう。6について、組織の問題点は時折議論されるが、教祖の問題点は決して議論されない。7はその通りで、大川隆法の許可がなければ何事も動かない。
ここで「カルトは」と言っているのは、オウム真理教が念頭にあるようである。つまり、児童虐待の部分以外は、「幸福の科学」とオウムはよく似ているということのようである。