幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

「時は今 雨が下しる 五月哉」

幸福の科学」信者のLEOさんが明智光秀について書いておられました。

明智光秀が、主君・織田信長を本能寺で討ったのは歴史的事実ですが、そのときの明智光秀の心境はどうだったのか、という点にはいろんな説があって、必ずしも定かではない。
けれどもこの場面を説得力をもって描くためには、その行動に至るための明智光秀の心の動きをこそ、リアリティーをもって描けなければ、謀反に至るまでの光秀の行動が理解できなくなる。

とのこと。今回は別に批判するわけではないので、信者の皆様はご安心下さい。
何故これを取り上げたかと言うと、ちょうど、一週間ほど前に、某アンチの方から明智光秀の話題を振られたことがあったのです。それで色々と思い出していたら、ちょうど信者の方からも同じ話題が出てきまして、不思議な共時性を感じました。
先週も実は、明智光秀ゆかりの坂本城趾へ行っていました。『竜馬が行く』にも書かれていましたが、坂本龍馬の名字の由来もここにあるとかいう話があるそうですね。明智秀満の子孫だとか何とか。
で、私は、坂本城趾に行けば何かあるものだと期待していたのですが、道路脇に石碑があるだけで、城の跡はどこにもなく、ただの住宅街になっていました。
f:id:antikkuma:20130615174127j:plain
こういうあっさりした感じが、明智光秀らしいとも思いました。
本能寺の変が起きたのは、1582年6月21日とのことですから、431年前の今日あたりですね。今頃は兵を率いて上京している頃でしょうか。

十年前に書いたもの

話が前後しますが、某アンチの方のお返事として、「十年前に書いたものですが……」ということで、ハードディスクから引っ張り出してお見せしたのがこちらです。

「(2003.6.24)」とありますから、今からちょうど十年前ぐらいです。六月末というのは、明智光秀について語りたくなる時期なのかも知れません。改めて読んでみましたが、大筋では今も同じ考えです。当然、私が「幸福の科学」信者であった時に書いたものですから、「仏神」という用語を使ったりしていますし、今の「幸福の科学」信者の方でも共感して戴けるのではないかと思います。
当時はまだ大学生で、明智光秀の心理について書かれた歴史小説を読み漁っていた頃でした。司馬遼太郎の『国盗り物語』にも明智光秀の心理描写があったのですが、司馬遼太郎の描写では単なる私怨みたいな感じであり、いまいちだったと記憶しています。上記リンク先でも挙げているように、吉川英治の描写が最高でした。

大川隆法が説く「織田信長」の変遷

やっぱり言及せざるを得ないので、以下、ちょっとした批判になります。

1986年刊・坂本龍馬の霊言

まあ、わしらよりもずっと昔を見れば、桶挟間の戦いなんていうのがあって、うーん、織田信長の急襲で、今川義元が首を斬られた。あー、三万の大軍を率いて悠々と織田を突き抜けて、横っ面はりたおして、京都へ行こうと思うちょる矢先に雨が降って、あわてて陣を整えて休んでおるところに、上から織田信長が、馬もろとも飛び降りてきて首ぶち斬りにきた。それで、今川義元は死んで、信長は英雄になって、義元はハイそれまで、で終わってしまった。まあ、じゃがその結果はどうなっとるかというと、肝心の信長先生はどうやら地獄のほうで、いまだに戦をやっとるらしい。
今川義元先生は、首はないのに天国へ来て、「ああ首がないということは、まことに執着がのうて、よいことじゃ。オホホホホホーッ」とやっとるようじゃ。もちろん、どれほど偉い人かは知らんがのう。まあ、それほど交渉があるわけじゃないが、天国に還ったことだけは確かのようじゃ。まあ、戦のときには、勝つ側より負ける側のほうが、潔ようて神様の受けはよいとみえる。
まあ、それ以外で見ても、あの有名な明智光秀だな、逆臣の汚名を被って長らく日本人のなかで尊敬されることはまったくなかったが、あれなんかもちゃんと天国へ還ってきとるから、これは不思議だ。逆賊の汚名を、一身に負って、あのおかげで信長先生は天下統一が脆くも崩れてしまったと、こう言われているわけじゃが、信長が暗いところにおって、光秀は「こりゃこりゃ」やっとるわけです。

という風に書かれており、信長は地獄に居て、今川義元明智光秀は天国に居る、ということになっています。

1992年第六回講演会『逆境からの脱出』

上記霊言より六年後、信長・秀吉・家康は現代日本に生まれていると言い、織田信長=小林興起豊臣秀吉鳩山邦夫徳川家康=住博司、という風にハッキリと言いました。『理想国家日本の条件』という書籍に収録された際にはカットされていますが、講演ビデオや講演テープの中ではハッキリ言っているので証拠があります。
ちなみに、このうち、住博司氏は1998年に腸閉塞で亡くなりました。私の実家があったので、よく知っています。私の母も、住博司氏に突撃して献本したりしていたようです。
その他の二人も鳴かず飛ばずです。
あと、ソースは忘れましたが、初期の頃、項羽=織田信長、劉邦徳川家康ということも言っていましたね。これも信者の間では周知の事実でしょう。

2013年『織田信長の霊言』

さて、大川隆法は今年になって、『織田信長の霊言』をやり、「小林興起」という生まれ変わりも否定されたようです。

この辺を参照。

項羽と関係があるとしたら、それは、出来の悪い弟分だろう。
☆秀吉、家康は、私の手下とその手下の手下みたいなもの。
☆信長の現代への転生は、21世紀最大の秘密。
☆私は、日本の秘密兵器。

ということだそうです。

まとめ

こうして並べてみると、一度言ったことをすぐに否定し、暫くしたらまた否定するということで、全く一貫性が無く、もう、支離滅裂としか言えませんね。「霊言」なら「霊が言ったことだ」ということで霊のせいにできますが、織田信長の生まれ変わりを小林興起だと言ったのは、「霊言」ではなく、大川隆法自身の言葉です。「幸福の科学」的には「仏言」であって、霊言よりも絶対的なものです。
今の信者さんたちは、どういう風に考えているのでしょうか。最近の「織田信長の霊言」が正しいとすると、1992年の大川隆法は「観自在」ではなかったということになります。そうすると、信仰の大前提が崩れてしまいますから、困ったものです。
逆に、92年の大川隆法が正しかったとすると、霊たちの言っていることは昔も今もでたらめだらけということになります。どっちにしても不都合が生じるわけで、困ったものです。
信者を続けたいなら、考えるのを止めるしかありません。アンチになれば、「口から出任せを言っているだけなのだ」とか「統合失調症だからなのだ」とか言うことで、非常にスッキリと納得することができます。

織田信長=地獄説は、高橋信次由来か

余談ですが、こんなのも見かけたので、ちょっと長くなりますが、引用します。

秀吉という男は草履取りから、位人身を極めた。今日、秀吉の魅力は大分半減したようだが、それでも出世主義は男の生甲斐になっている。
秀吉は謀略の名人で、敵対する者は、ことごとく殺し、我が世の春を謳歌する。しかし、その反動は死の数年前から現われ、彼は自分の悪を清算できず、あの世に帰った。

ということで、高橋信次説では、秀吉は地獄だそうです。

一方、歴史の上では悪の代名詞のようにみられてきた明智光秀は、神界にあって、自適の生活を送っている。
殺された信長も秀吉同様、今以って地獄にあるのに、殺した光秀が神界に在るとは、誰しもげ解せぬであろう。
殺された信長は権力の盲者であり、殺戮に快感を覚える精神異常者であった。
殺した光秀は平和主義者であり、このため信長を討つことに随分と迷う。
しかし世の混乱のモトは信長にあり、逆臣の汚名を着せられても信長打倒に意を決し、本能寺を襲う。
勿論、こう決心するには、秀吉の奸計が裏で働いていた。彼は、信長に光秀謀反を伝え、光秀には信長打倒を促がしている。
光秀はこれに感づいてはいたが、敢えて信長打倒に踏み切ったのである。

云々ということで、信長は地獄であり、光秀は天国だそうです。
大川隆法説では、秀吉は地獄では無かった筈なので、高橋信次説の丸パクリというわけでもなさそうです。

更に余談

仮に大川隆法=織田信長とすると、現代の明智光秀が現れるのかどうか、密かに私はそこに注目しています。時は今、雨が下しる五月哉。お膝元にいるような現役職員が「本能寺の変」ならぬ「大悟館の変」を起こす可能性があるのではないか。現代では勿論暴力ではなくて、何らかの致命的な告発ということになるかと思いますが。
「心知らぬ人は何とも云はばいへ、身をも惜しまじ名をも惜しまじ」
こういう心意気で動く人、出てこないでしょうか。