幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

二世信者へ贈る言葉

私が信者であったとき、最も重要視していたのが「信仰の継承」ということでした。
幸福の科学」内部では、そのことが非常に軽視されていました。親は「支部活動」だの「精舎研修」だのにかまけて自己中心的に生き、子供に対して構うことは殆どありません。そういう時、信者の子供は自宅(または託児所等)に放置されていることが多く、愛情不足で精神的に不健康に育ちます。その癖、親は「自分は光の天使であって、愛深い人間である」と思い込んでいるから大変です。
二世信者は、そんな親の姿を見て、「幸福の科学」には否定的になっていきます。自然と教団と距離を置き、うまく脱出できる人もいます。
でも、心理的にも物理的にも囲い込まれてしまい、脱出できない二世信者もまだまだ沢山います。そんな二世信者の中には「教団はおかしいけど教祖は正しい」と考える人は多いだろうし、「教団や教祖はおかしいけど、教えは正しい」と考える人もいるでしょう。
でも、そういう人は、「エル・カンターレ」の檻の中から一生脱出できません。教えも間違いなんです。一度、今まで得た知識を白紙に戻して清算する必要があります。

悪の連鎖は止められるか

退会してアンチとなった今、最も重要視するのは、やはり「信仰の継承」ということです。
近年、「幸福の科学学園」というものができ、囲い込み・洗脳のための隔離施設ができました。12歳から18歳という、最も多感な時期に、親元から離れ、閉鎖的な施設で集団生活をさせられる子供たちがどういう風に育つかというのは、私も全く分かりません。
私にできることは、淡々と真実を明らかにしていくことのみです。
私は「幸福の科学」の(元)二世信者としては、恐らく最高齢あたりになると思います。ちょっとだけ先輩として、後れてくる二世信者たちのために、今後も、私が学んだものを遺していきたいと思います。この度、過去の関連記事にも「二世信者」タグを付けました。

二世信者へお勧め書籍・作品

過去にも紹介しましたが、改めてリストアップします。

幸福の科学」信者の親は、例外なく「毒になる親」です。情に訴えかけていつまでも絡んでくるのも厄介な存在です。毒になる親とは、心理的に訣別しなければなりません。単に物理的な交流や関係を絶つだけでは、心理的に訣別したとは言えません。強い拒絶は、依存の裏返しでしかありません。そのための方法も書かれています。親の悪影響から脱し、真に人間として自立するために必要なことが書かれてあります。
『毒になる親』と言っても、子供向けのものではありません。寧ろ、二十代から三十代以上になってから読んだ方が、よく分かるものだと思います。

新興宗教の二世信者を描いたラノベです。ラノベなので読みやすく書かれていますが、内容は重いです。人間の心理をよく考察されていると思います。

こちらも新興宗教の二世信者の葛藤を描いたアニメです。放映当時は賛否両論ありましたが、新興宗教モノとして考えると、評価は高いです。
二世信者はどうしたら救われるか、または救われないか、ということが分かります。

絶望の底にある希望

二世信者は、「信仰という名の手綱を手放すのは恐ろしいことだ」と子供の頃から教えられてきた筈です。「信仰だけは手放してはいけない」と。そうやって洗脳され、潜在意識下に刷り込まれてしまっているので、どんなに疑問があっても、教団から離れることができなかったりします。
しかし、私は経験者として言います。絶望に向かって生きよと。信仰を捨てるということが絶望を意味するとしても、絶望という名の暗闇を経なければ絶対に分からない人生の真理というものがあります。
私は今でもふと絶望感に苛まれることがあります。世の中は、何一つ自分の思い通りにはならない。ささやかな望みでさえ叶うことがないのだという思いが溢れ、死にたい気持ちにもなります。でも、そういう状態になって、初めて真の希望というものが見えてきます。
「運命」とか「神様のお導き」等と言ってもいい。
真っ暗闇になって、初めて瞬く星々が見えてくる。
絶望の世界が、見方を変えるだけで、一転して光り輝く世界に変わる。
パンドラの箱」の例にもあるように、ありとあらゆる災厄を経なければ、本当の希望というものは摑めないというのは、やはり一つの人生の真理なのかなと思います。
絶望と希望はいつも隣り合わせの表と裏。
希望の裏には常に絶望がつきまとう。
絶望を忘れた希望には、やがて悲劇が襲う。
今後も、二世信者に向けたメッセージは、機に触れ書いていきたいと考えています。