幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

本日の信者ブログ観察記

梅ちゃんがブログ削除(三ヶ月ぶり二度目)

見事に消えています。はてなidごと消してしまったようです。完璧主義的なタイプなんでしょうね。私にもそういう所があります。私の場合、事情は異なるけれども、今まで二回ブログや運営していたサイトを全削除したことがありました。結局のところ、自己中心だったなあと反省しています。読者がいるのに、自分の都合で削除するというのは自己中でした。他人のことよりも自分の都合を優先するやり方でした。でも、人間だもの、時にそういう思いに陥ることもあります。私自身も、そういう傾向があることを自覚しつつ、少しずつ直していけたらと思っています。
余談になりますが、私は、

こちらで書かれているような意見が正論だと思います。

ピュアナさんも更新停止

6月20日から始まったピュアナさんのブログ(未紹介)でしたが、6月30日付けで、

皆様へ
仕事が大変忙しくなった為、急なのですがブログをお休みさせて頂きます。後々は閉鎖するかも知れません。
応援して下さった方、楽しみにして下さった方、本当に申し訳御座いません。m(u_u)m

というメッセージが書かれてありました。同時期ということは、もしかすると、梅ちゃんと同一人物であるという可能性もあったりするのでしょうか。
信者さんに言いたいのですが、「信頼性」という観点からすると、同じハンドルネームで一つのブログを長く続けた方がいいですよ。匿名よりも、大まかな住所や簡単なプロフィールぐらいは明かしておいた方が、情報の信頼性は増します。もし「伝道のため」とかを考えているんだったら、W布教所さんとかのように頻繁にブログを削除したり復活させたりを繰り返すようなやり方は逆効果です。

「霊言」に関する私の考え

信者にも分かるように説明すると、霊界というのは主観の世界です。主観しかなくて、客観のない世界です。同様に、「霊言」というのも、主観しかない世界です。その人の主観の中で、神様の人格を演じてみたり、誰かの守護霊の人格を演じてみたりしているだけです。
結局のところ、
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こういうことです。「霊言」とか「守護霊の言葉」とか言うのは責任逃れだし、権威付けをして相手の反論を封じる卑劣な態度だとも言えます。自分の意見として、責任を持って発言すればいいと思います。
「霊言」をする人というのは、出口王仁三郎にしても大川隆法にしても、劣等感の塊のような人なのだろうと思います。自分に自信がないから、自分の意見として言うことができない。だから、「神」や「霊」の権威を借りて発言するというやり方をする。一度そうやって、他人に受け入れられ称讃されると、味を占めて「霊言」というスタイルを繰り返すようになる。
ところで、私は「霊言」そのものは否定しません。「神」と呼んでもいいし、「守護霊」と呼んでもいいですが、そうやって自分自身の潜在意識と対話することは、自分の普段気付かない本音を知るということができるという点で、有効なことです。普段気付かない発想が出てくることもあります。
ただ、それを絶対視したりするのはおかしいし、他人に発表するという行為もおかしいことです。そうすると、不調和が生まれてきます。そこには、何かしら自己に対して称讃を求める心や、他人を服従させたいという心など、必ず不純なものが含まれています。私もそれで大いに失敗したことがあります。なので、反省や自戒も込めて書いています。
結局のところ、「霊言」は主観でしかありません。主観を絶対視したり他人に押し付けたりすると、必ず不調和が生じるというだけのことです。
だから、スピリチュアルな人に言いたいのは、仮に「霊言」によって出てきた発想や意見であっても、他人や世間に発表する際には、自分自身の言葉として発表すべきです。
「キリストの霊言」などと言わなくても、「もしキリストなら、こんなとき○○と言うと思う」と言えばいいだけです。実際、「霊言」というのはその程度のものです。「ビートたけし守護霊の霊言」とか言っても、それは、「ビートたけしの潜在意識はこんなことを考えていると大川隆法は思っている」というだけのことです。
同じ内容でも、表現次第で、一般人にも受け入れられることにもなるかと思います。