幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

「経営」が「経を営む」ですって?(7/6追記あり)

当方で未紹介の信者ブログなのですが、気になる記述があったので。

経営とは「経を営む」という仏教用語で、宇宙の教え(経)を企業に降ろしてくる尊い活動。変革すべきところは変え、日本の経済再生のために、全ての経営者の方にがんばっていただきたいですね。

えっ……。
いや、私も「経営」の語源は知りませんが、この文章を読んで、違和感を覚えました。少し考えて、二つほど疑問が浮かびました。
漢文を勉強したことのある人なら分かるでしょうが、「○○を○○する」という場合、まず動詞が上に来て、目的語が下に来ます。それをレ点を付けて読むのが漢文の基本です。中学生でも分かるレベルのことです。
従って、「経を営む」と読むならば、「営経」となるのではないか?というのが一つ目の疑問です。
また、これも中学生レベルの話ですが、仏教用語は呉音で読むのが伝統的に決まりになっています。「経」の場合、呉音は「キョウ」(字音仮名遣いだと「キヤウ」)、一般的な漢音だと「ケイ」です。「経典」という語でも、儒教のものは「ケイテン」と読み、仏教のものは「キョウテン」と読むことになっています。
サンサンてるよさんの言うように「仏教用語」だとすると、「経営」は「キョウエイ」と読む筈です。これが二つ目の疑問です。
サンサンてるよさんの説明に合わせると、「営経(エイキョウ)」という語でなければおかしいです。他にも「宇宙の教え(経)」というのは謎の記述ですが、それは今回はスルーしておきます。

「経営」の正しい語源

こちらにありました。

「経之営之=これを経しこれを営す」
紀元前八世紀、周の国の詩人が、「祖先文王が霊台という祭壇を築いて、建国のシンボルとしたことを追想して霊台を経始し、これを経しこれを営す。庶民これをおさめ、日ならずして成る」と謳っているらしい。土木工事や建築を始める際、まず経と営という作業を行ったというのである。

「紀元前八世紀」とあるので、釈尊が生まれるずっとずっと前にはもう、支那(中国)に「経営」という言葉は既にあったようです。

「経を営む」なる妄説を言い出したのは誰か?

少しググって調べてみました。

『致知』の中にあったらしい

昔、『致知』の中で、(経営とは「経」を営む、すなわち仏の道を歩むことだ)と書いていたことをいつも思い出します。

ふむ。でも誰が言ったかは書いてありません。

船井幸雄の本のレビュー

しかし、在る意味では船井さんを目指している。
経営=経を営む=般若心経を営む、零細向け人生経営コンサルになります。
ありがとう!

レビューの文章なので、船井幸雄が言った言葉なのかどうなのかは分かりません。

「仏教に学ぶ経営」?

ほかにも、

それらを解決してくれたのが「仏教に学ぶ経営」で「経営とは経を営む」の言葉でした。

とあります。「仏教に学ぶ経営」って何なんでしょうか。
まあ、引用符付きでググったところ、41件だそうなので、豊中支部の活動信者以下の極々少数派の意見ではあるようです。

まとめ

枝葉末節と思われるかも知れませんが、そうではありません。
こういうことに、カルト宗教の信者の思考法がよく現れています。何が真実かということよりも、自分にとって都合のよい説明であることの方が重要なのです。
客観的な真実よりも、主観的な自分の感情の満足が大事なのです。「大事」というか、それが全てなのです。
傍から見て明らかにおかしい「霊言」を信じることができるのも、そういうことが理由です。
「噓も百回言えば真実になる」を地で行くのが大川隆法であり、そういう態度にすっかり騙されてしまっているのが「幸福の科学」信者一同です。
「経営とは『経を営む』という仏教用語だ」という間違った妄説を無批判に信じてしまう人は、「我は神々の主エル・カンターレである」、「我は再誕の仏陀である」といった間違った妄説も簡単に信じてしまうということです。ちなみに、前者は約41人、後者は0.03%未満です。

7/6追記

お返事がありましたので追記です。

タイトルの件は修正しました。

 先日は「何事も公平な判断を・・」と書きましたので、あえて申し上げますが、幸福の科学も「宇宙の調和を乱す団体だ」と宇宙の高次の意志から認定されれば、未来には消されてゆくでしょう。同様に、建設的な批判、感情的な批判・・それぞれに宇宙の判断がくだっているのだと思います。それは、全ての者が逃れられない運命なのだと・・

まあ、宇宙がどうこう言うのは自意識過剰かと思いますが、言わんとすることは分かります。私は、「幸福の科学」の教えというものは、美辞麗句を並べ立てて、一見よいものに見えていながら、実は他人を不幸にするものだということを確信しています。これ以上犠牲者を増やさないために、「幸福の科学」の撲滅を目標にしてアンチ活動をしています。

ですから、各地の神社仏閣で、感謝の思いを捧げている方々に出会うと「宇宙への尊い貢献」だと嬉しく思いながら見ているのですよ。

この辺も、言わんとするところは分かりますが、ちょっとズレてるんですよね。「宇宙への尊い貢献」云々というのは、「幸福の科学」信者らしい上から目線の自意識過剰的発言だと思います。この人、何様なんでしょうか。神様にでもなったつもりでしょうか。

仏教にも末法の時代があったように、未来には幸福の科学の教えも時代にそぐわなくなってゆくかもしれません。

いえいえ、現時点で既に毒しかないものです。
それに、「末法の世」などというのは、後世の人が勝手に創り出したものです。真理は常に普遍であり、場所や時代に関係なく当て嵌るものです。

しかし今は立宗したての新鮮な宗教です。

いえいえ、「立宗」してから既に四半世紀が過ぎています。その「果実」はもう目に見えています。これだけ多数のアンチが生まれたのも、「幸福の科学」の教えによって不幸になった人が多いからです。

地球や個人に調和をもたらす考え方を教える「人生の学校」として、その使命を果たしてゆきたいと願い活動しています。

だから、上から目線過ぎるんですよ。本当に、何様のつもりなんですか?聖書にこんな言葉があるのを知っていますか。

自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされる。

でも、自覚症状はないでしょうね。自分は謙虚な人だと思い込んでいることでしょう。大川隆法が自称「大宇宙の根本仏」とか「神々の主」とか言っていると、その弟子たちも真似て「自分を高くする者」になってしまうんですよね。こういうことが、私が「幸福の科学」の教えの毒だと言っている部分です。お分かりでしょうか。まあ、分からないでしょうね。