幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

中谷宇吉郎と言えば「立春の卵」ですね

今日のgoogleロゴで、今日が中谷宇吉郎先生の誕生日だということを知りました。極個人的な話ですが、科学者でありながら、戦後もずっと正字正かなを貫かれた方として、私は非常に尊敬しておりまして、全集なども買ったりしたものです(ただし、全集では漢字と仮名遣いが改められていた)。
亡くなってから51年目だそうで、吉川英治柳田國男と並んで、ちょうど今年の一月から著作権が切れた組なんですね。
青空文庫を見ると、既に47もの文章がアップされていて、「立春の卵」も入っていました。

こちらです。
概要は、中国では「立春の日に卵が立つ」という言い伝えがあり、実際にその様子が新聞報道されたという話から始まって、中谷先生が実際に立ててみて、卵は立つものだ、ということを物理学的に説明して下さっています。
秀逸なのは、まとめの部分の記述です。

こういう風に説明してみると、卵は立つのが当り前ということになる。少くもコロンブス以前の時代から今日まで、世界中の人間が、間違って卵は立たないものと思っていただけのことである。前にこれは新聞全紙をつぶしてもいい大事件といったのは、このことである。世界中の人間が、何百年という長い間、すぐ眼の前にある現象を見逃していたということが分ったのは、それこそ大発見である。
(中略)
そういう意味では、立春に卵が立つという中国の古書の記事には、案外深い意味があることになる。私も新聞に出ていた写真を見なかったら、立てることは出来なかったであろう。何百年の間、世界中で卵が立たなかったのは、皆が立たないと思っていたからである。
人間の眼に盲点があることは、誰でも知っている。しかし人類にも盲点があることは、余り人は知らないようである。卵が立たないと思うくらいの盲点は、大したことではない。しかしこれと同じようなことが、いろいろな方面にありそうである。そして人間の歴史が、そういう瑣細な盲点のために著しく左右されるようなこともありそうである。

と、この辺りが非常に深い含蓄のある言葉となっています。

折角なので、私も立ててみた

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こんな感じで立ちます。生涯で卵を立てたのは、これで三度目ぐらいです。
今回は、はじめ、二十分ほど格闘したものの立たず、「卵が悪いのではないか」と思い、卵を別のものに換えてみたところ、ものの一分もしないうちに立ちました。
余談になりますが、私がこの二十数分の間に学んだことは、「人のせいにするな」、「環境のせいにするな」とは言うものの、実際には環境を変えるとすんなりとうまくいくこともあったりするのではないか、ということです。不登校とかもそうですよね。転職とかもそう。本当にその人の問題なのか、それとも環境の問題なのか、よく吟味してみる必要があるかと思います。
卵の例で言えば、立ちにくい卵でも、ティッシュ等の柔らかいものを下に敷いたり、下に塩を蒔いたりすると、簡単に立ったりもします。

BGM

最近割と中毒な曲です。