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幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

7月21日と大川隆法と私

まず、前置きの話からです。

きょう子さん曰く、離婚の理由は「夫の浮気」だった

227 :神も仏も名無しさん:2013/07/12(金) 21:17:51.11 ID:5LMZIRUd
きょう子のFBはどんなこと書いてあんの?
どうせ宗教詐欺で数億円詐取してきた罪も忘れて
チャラチャラやってんだろうけど。
全身ガンまみれになればいいのに。

229 :神も仏も名無しさん:2013/07/12(金) 21:21:12.97 id:W38nwkI2
>>227
私の生き方は、かなり多くの人を傷つけているのだということが、最近、わかりました。
夫の浮気を理由に離婚したので、愛人を持っている社長さんたちを敵に回し、被災地ばかりに行っているので、交通費を捻出できない方々や、歓楽に生きている方々と、真正面からぶつかっているらしいです。
(きょう子さんのFBより

カルト教団の指導者にいたと言うことは忘れている様子ですね。

きょう子さんは、アンチの間でも賛否両論ある方です。227と229の書き込みの人は、きょう子さんを快く思っていない方々のようです。

231 :神も仏も名無しさん:2013/07/12(金) 21:32:41.20 id:SkH8sMb2
>>229
>夫の浮気を理由に離婚した


さりげない爆弾発言。

裁判で愛人はいないと証明されたという信者がいたけど、嘘だったか。

229氏の引用の意図とは違う部分での「さりげない爆弾発言」の指摘です。
ということで、きょう子さんのfacebookを確認してきました。

f:id:antikkuma:20130713120303p:plain
確かに、「夫の浮気を理由に離婚した」とハッキリ書かれています。

2007年7月21日北陸正心館『神秘力の時代へ』

そのことに関連する「御法話」です。この頃は、箝口令が敷かれておらず、講演の内容のレジュメが出回っておりまして、ググればすぐにヒットします。その中で、

当時の妻の《チトラン》という女性でしたが、赤・黄・青の三色の毛糸の帽子をかぶって、後ろは三つ編みを二本編んで垂らしていました。

云々という話があります。この「チトラン」というのが、実は妻である大川きょう子ではなく、転法輪蘭さん(本名:富ヶ原留美)だ、というのが当時、職員の間で噂されていたことでした。
根本経典『太陽の法』には、

また私自身も、88年春には、東大の英文科を卒業したばかりの、きょう子を妻として迎え、家庭が安定することによって、一層仕事に専念することができるようになりました。この結婚は、多くの人の祝福をうけ、会の大発展の基礎となりました。また妻とは、アトランティスの時代にも、古代インカ帝国の時代も、ギリシャの時代にも、夫婦の縁で結ばれていたことが判明しました。

という記述がありました。『太陽の法』を熱心に学んでいた信者たちは、当然、チトラン=大川きょう子だと思いました。
その後、チトラン=転法輪蘭だということを信者たちにハッキリ分かる形で示されたのは、2010年春頃に行われた「宇宙人との対話」の中で、転法輪蘭さんの守護霊が呼び出されたときでした。
2010年末にきょう子さん追放騒動があり、2011年に『太陽の法』から当該部分の削除が行われました。
2007年7月21日に戻りますが、私は当時、北陸正心館で「雲水修行」というものをしていましたので、この日付をよく覚えています。
2008年の夏の終わりに、市川支部巡錫に関してぶつかり合いがあり、きょう子さんは「総裁補佐」から一信者に降格になりました(幸福の科学に「異変」 教祖夫人を一信者に降格:FACTA online参照)。
2009年春頃、きょう子さんは、一信者として、しおらしく、各精舎の研修に参加していました。私は当時、たまたま四国正心館でボランティア宿泊中でして、「きょう子さんが来られる」ということで、研修の参加者として動員され、一緒に研修を受けたのでよく覚えています。
きょう子さんはその後、2009年夏には幸福実現党党首として活躍し、2010年春には、霊媒として「ルシフェルの霊言」や、職員の守護霊を降霊させての「霊道現象」などをやっていました。今から思うと、既に夫の浮気を知っていながら、それでもなお夫と教団を支えていこうとするきょう子さんの涙ぐましい献身的な姿に思われます。
そういう姿を見て、神様も放ってはおかれなかったのでしょう。きょう子さんは、「教団追放」という形でしたが、見事にカルト宗教と縁を切ることができました。facebookを見ていると、今はクリスチャンとなって、よき人たちに囲まれ、それなりに幸福な人生を歩んでおられるようです。
少し余談が過ぎましたが、2007年7月21日という日は、大川隆法がきょう子さんを追放するための狼煙を上げた日であったと言えると思います。

2009年7月21日

この日は、私が総合本部で働き始めかけた日です。「働き始めかけた」というのは微妙な表現ですが、この前日に、総合本部で働いていた友人の紹介により、総合本部で面接がありまして、その場で「明日から来て」ということを言われ、始めて総合本部に出勤したのが2009年7月21日でした。配属先は文化芸術局で、朝礼で小田局長から紹介されたりもしたので、その時点では正式な採用だったと思います。
ところが、数日後、紹介してくれた友人を通じて、「明日からは出てこなくていい。暫く待機していて欲しい」ということを告げられました。その理由は、どうやら、その半年前ぐらいに、東京南部支部でとある事件があり、F支部長と対立したことあったことが原因だったようです。それで、F氏が人事部の方に裏で手を回したようでした。
こういうことを書くと、「そのときの個人的な恨みが元でアンチになったのであろう」とか邪推されるのが面倒だったので、あまり書かないようにしていたのですが、決してそんなことはありません。

で、私のわずかな総合本部勤務の間でよく覚えているのは、7月22日の大川隆法出馬宣言です。このとき、総合本部礼拝室横の狭い部屋で、文化芸術局のS氏がやっていた衛星配信の送出作業の見学・お手伝いをしていました。総合本部礼拝室内に集まった職員たちも、「えいえいおー!」とやっていて、私もその狭い部屋の中で「えいえいおー!」とやっていたのを覚えています。
今から振り返ると、この2009年7月22日は、大川隆法の暴走開始記念日でしたね。

2013年7月21日

そして今年は参院選投票日です。暴走開始からちょうど4年目であり、きょう子さん追放からはちょうど6年目になります。
2ちゃんねるの使者さんの記事(混ぜるな危険! ブログ・サンポール オーカワ注意報発令!によれば、現在、暴走はピークに達しているようです。
2013年7月21日は暴走終了記念日となるか、はたまた教団滅亡記念日となるか。今から楽しみです。