幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

霊性進化論を信じる渡邉美樹

こちらの記事の続きになります。

渡邉美樹の愛弟子が「幸福の科学」職員の中にいる

いきなり少し話が逸れるのですが、その後、色々調べたところ、「幸福の科学」職員の中に、渡邉美樹氏の愛弟子がいることが分かりました。
鈴木豪という名前で、こちらのページの略歴の欄に

幸福の科学職員(ワタミグループ会社員)

と書かれてあります。

渡邉美樹著『ありのまま、愛すること』より

こちらで話題になっていて知りました。該当箇所を引用します。

生まれてきたからには必ず理由があるはずなのに、病気や災害、事故、事件で尊い命が奪われる。その隣には、幸せに生きている人もいる。
この不公平を見ていると、次の人生が彼らにない限り、辻褄が合わないのです。
つまり私は、この地球を、魂が何度も生まれ変わり、レベルアップしていく場なのだと考えています。

これはまさに「霊性進化論」の考え方そのものです。渡邉美樹も、やはり、霊性進化論者だったというわけです。
リンク先から目次へ行くと、web上で読めるようだったので、頭から途中までですが読んでみました。
どうやら、渡邉美樹氏は10歳の時に母を亡くし、そのことが原因で大変な鬱状態になったようです。中学生のとき、「うちで学べば母に会える」と誘われ、とあるキリスト教の一派で活動したのだとか。(巷では、「渡邉美樹エホバの証人の元神父だった」という噂が流れていますが、恐らくこの時のことなのでしょう。)
しかし、やがてその教えに疑問を抱いて辞めたようで、でも、今でも仏教等を信じたりしているようです。

渡邉美樹」で検索すると「サイコパス」が関連で出てくる

どうやら、世の中には、渡邉美樹サイコパスと認定している人もいるようです。
私は渡邉美樹のことはよく知りません。ワタミの元社長だということや、そのワタミはブラックと呼ばれるぐらい社員の待遇が著しく悪く、自殺した社員もいて問題となっているということぐらいは知っています。
上の渡邉美樹の書いた文章を読む限り、少しマザコンが過ぎるような感じはしましたが、別に取り立てておかしなことを言っているようには思われませんでした。もし私が「幸福の科学」信者であったら、特に違和感も感じず、この人はすごい、光の菩薩に違いない、と思ったことでしょう。
退会した今の私が思うのは、この人も大川隆法と同じで言行不一致なんだろうな、ということです。口では綺麗なことを言っていて、行動もそれらしいことをやってはいるけれど、人を人とも思わずに自己中心的に行動する。自分が悪いなんて、一切思っていないでしょう。その辺が「サイコパス」と呼ばれる理由かと思います。

霊性進化論のどの辺が問題か

もう一度、渡邉美樹の文章を読んでみます。

生まれてきたからには必ず理由があるはずなのに、病気や災害、事故、事件で尊い命が奪われる。その隣には、幸せに生きている人もいる。
この不公平を見ていると、次の人生が彼らにない限り、辻褄が合わないのです。
つまり私は、この地球を、魂が何度も生まれ変わり、レベルアップしていく場なのだと考えています。

やはり、この部分がおかしいですね。「次の人生が彼らにない限り、辻褄が合わない」というのは、渡邉美樹個人が納得できないというだけのことです。
個人が納得するかしないかということと、自然の法則には全く関わりがありません。しかし、霊性進化論者は、自分自身が納得できないからと言って、勝手な法則を生み出し(または都合の良い法則を信じ)、それを根拠に物事を考える。それは、個人的な「納得」のために自然の法則を捩じ曲げたもの、言い換えると単に妄想に妄想を重ねただけのもので、そこには必ず不具合が生じてきます。
渡邉美樹は、「次の人生がある」と本気で信じているから、社員が自殺しても、全く罪悪感を感じないのでしょう。
渡邉美樹が、自分の経営方針のせいで社員が死んでも全く罪悪感も無く意に介していないことや、オウムが愛や慈悲を説きながら大量殺人を行おうとしたことや、「幸福の科学」も同じく愛や慈悲を説きながら格差社会を推進しようとしていることなど、全て「霊性進化論」という共通のキーワードで見ると、非常によく分かります。
「来世がある」と信じるところから、死を軽んじる傾向が出てきます。「来世がある」と信じるところから、「自助努力の精神」などという美名の下に、格差を認め、社会的弱者を差別し切り捨てる傾向が生じてきます。