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幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

「大川談話─私案─(安倍総理参考)」を読む

個別記事紹介

こんなものが発表されたようです。
「大川談話」「─私案─」「(安倍総理参考)」のどれを取っても、おっかしくって笑い転げてしまうのですが、どうしたものでしょうか。どこまで自意識過剰やねんという話ですよ。
恐らく、2009年に立党した当初の計画では、最初の衆院選で100議席ぐらいを獲得し、2010年の参院選でもある程度議席を取り、2013年の参院選で見事に衆参両院で過半数を取る予定だったのでしょう。
予定通りに行っていれば、大川隆法が総理大臣(または大統領)になり、「大川談話」を発表するつもりだったのでしょう。
しかし、政府とは全く無関係の人が「大川談話」とか言って、更に「─私案─」という言葉を付けるのが本当に可笑しいです。そりゃあ私案でしょうよ。つけなくても分かりますから。誰も公式なものだとは思いませんから安心して下さい。
「(安倍総理参考)」というのも面白いです。この人は、本気で安倍総理が自分の発言をパクっていると思っているようです。最早、怒るポイントを遙かに通り越して、笑いしか起きません。
こうしてタイトルだけで三つも笑い所を入れるというのは、なかなかできることではありません。「イタコ芸人」とだけは呼ばせないとばかりに、別の芸を磨いているようです。

本文を読む

わが国は、かつて「河野談話」(一九九三年)「村山談話」(一九九五年)を日本国政府の見解として発表したが、これは歴史的事実として証拠のない風評を公式見解としたものである。

本文中は「一九九三年」「一九九五年」と西暦表記なのに、最後には「平成二十五年」と和暦になっています。ここには何か深いお考えがあったりするのでしょうか。
ちなみに、二〇〇五年(平成十七年)に発表された小泉談話(http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2005/08/15danwa.html)というものもあります。
一部抜粋すると、

また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。

という風に、「幸福の科学」の嫌いな「左翼的」な文言が並んでいます。何故、小泉談話には言及しないのでしょうか。ちょっと分からないですね。
さて、「大川談話─私案─(安倍総理参考)」に戻ります。

その結果、先の大東亜戦争で亡くなられた約三百万人の英霊とその遺族に対し、由々しき罪悪感と戦後に生きたわが国、国民に対して、いわれなき自虐史観を押しつけ、この国の歴史認識を大きく誤らせたことを、政府としてここに公式に反省する。

やはり、日本語がおかしいです。「由々しき罪悪感」という表現は初耳です。「いわれなき自虐史観」という表現も、変な修飾語のように思われます。「戦後に生きたわが国、国民」という表現も不思議です。「わが国」が戦後に生きたのでしょうか。加納氏の「国家たる石原氏」という表現を思い出します(FILE008:一憂国者の紙つぶて 加納有輝彦 - 幸福の観測所参照)。
それから、文法的にもやはりおかしいようです。「○○に対し、××と△△に対して、□□を押し付け」という書き方をしているので(読点の位置がおかしい?)、文章の切れ目が非常に判り辛くなっています。(だいぶ後になってから、「××」と「□□」の部分が並列になっているのだと分かる。)そう言いたいのなら、例えば、「○○に対し、××を与え、△△に対して、□□を押し付け」という書き方の方が分かりやすいでしょう。
内容的にもおかしいです。自虐史観というのは、河野談話村山談話以前からありました。寧ろ、自虐史観の結果が河野談話村山談話であって、河野談話村山談話自虐史観を押しつけた原因ではありません。再誕の仏陀様なのに、物事の因果関係が全く見えていないようです。
以下、勇ましく、好戦的な言葉が並んでいます。国外はもとより、国内の戦争被害者に対する労りの言葉もお詫びの言葉もありません。米国に対する配慮も無く、どこからどう見ても世間が全く見えていない好戦的カルト宗教教祖の発言です。