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幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

鎌田東二著『「呪い」を解く』読書感想文

レビュー

始めに断っておくと、頭から三分の一ぐらいを読んだところで挫折して、あとは拾い読み程度だったので、その程度での感想文です。
麻原彰晃酒鬼薔薇聖斗を例に、「魔」とか「魔境」とか「呪い」について論じたものです。中身は非常に濃いです。濃すぎて今の私にはちょっとついていけない部分もあり、途中で挫折してしまいました。

麻原彰晃「私は日本の王になる」

例によって、引用しつつ紹介して感想を述べていきます。まずは序章から。

一九九四年に、麻原は「一九九七年、私は日本の王になる。二〇〇三年までに世界の大部分はオウム真理教の勢力になる。真理に仇なすものはできるだけ早く殺さねばならない」と説いた。殺人であれ何であれ、暴力や武力を以て敵対する者や国家権力を打倒し、日本にオウム国家を建設して自らその「王」となる意図を明らかにし、「神聖法皇」を名乗った。このような、漫画的とも幼稚とも言える誇大妄想的な言説が信奉者の間で信じられたのである。それらはすべて「最終解脱」を信じたことに起因する“解脱のインフレーション”である。

暴力を肯定している以外は、大川隆法と違いはありません。自称「国師」、自称「世界教師」、自称「グランド・マスター」、自称「至高神エル・カンターレ」等と並べてみると、大差はないように思われます。大川隆法は、「二〇二〇年から日本のゴールデン・エイジが始まる」ということを、常日ごろから述べています。自分が救世主的存在として世界中から尊敬されるということを夢見ているようです(「未来予言」にツッコミ!(その1)・・・大川隆法さま参照)。

「降魔成道」について

第二章「鬼と魔」から。

酒鬼薔薇は、「行き詰まりの打開は方策ではなく、心の改革が基本である」、また「魔物(自分)と闘う者は、その過程で自分自身も魔物になることがないよう、/気をつけねばならない」と手記に書いた。ということは、酒鬼薔薇は「行き詰まり」を感じ、それを乗り越えて行く「心の改革」を希求し、その過程で「魔物」との闘いを自覚していたということである。そのような言い方をするならば、ゴータマ・シッダルタも「心の改革」を希求し「魔物」と闘った先達であった。麻原彰晃も同様であった。そして、ゴータマは「魔物」を克服し、すなわち「大悟成道」してゴータマ・ブッダと成った。仏教の隆盛はそこから始まる。麻原も「最終解脱」し、「最終解脱者」と成ったと主張した。しかし、オウム真理教の崩落はそこから始まる。

大川隆法も自らの「魔」との闘いを告白して、それを乗り越えて自らの使命を悟ったと言っていましたね。
「降魔成道」と言っていました。
鎌田氏は続けてこう書いています。

ブッダとは、「如実知自心」という言葉が『大日経』や空海の著作の中にあるように、「実の如く自分の心を知る者」であり、本来、「悟れる者・覚者」の意味である。酒鬼薔薇は「心の改革」を望みながら、それに失敗し、ゴータマはそれに成功した。そして、「最終解脱者」を名乗った麻原彰晃も、それを望みながら、またそれを実現・成就したと主張しながら、最終的にはそれに失敗した。麻原は自分が「魔境」に陥ったことがあることを初期の著作で再三告白していた。麻原は「魔境」の怖さも状態もかなりよくわかっていた。しかし、最後までその「魔境」は麻原について回った、というのがわたしの考えである。「最終解脱者」という宣言そのものが「魔境」の言葉ではないか、と。

麻原彰晃のことを述べているのですが、どうも、大川隆法にもそのまま当て嵌りそうな感じなのです。
大川隆法も自分では「降魔成道」などと言ってはいたけれど、今もなおその「魔境」がついて回っているのではないか。他の人や他団体を頻繁に批判し、自分と意見の異なる者を悉く「悪魔」認定して貶す姿勢に、それが現れているのではないか、と思うのです。

鎌田さんの「呪い」に対する考え

わたしは殺人や戦争という物理的暴力も、呪いや呪殺という「霊的暴力」も容認しない。それは一つの大きな、深い「魔境」であると思っている。そうした「魔境」を自覚し、浄化し、超えていく道を模索し、辿っていきたいのである。(第四章より)

そういうような動機で、「呪い」をテーマにした著作を書かれたようです。
信者・アンチを問わず、心の修行を本気で考えている人は、読んで損はないと思います。