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幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

「幸福の科学」に於る脱マインド・コントロールの段階(仮説)

教義批判 重要

退会して一年半余り、ここまでの経過を振り返りながら、段階別に纏めてみました。
私自身がまだ脱マインド・コントロールの過程にありますので、完全版という訳には行きませんが、退会を迷っておられる方や退会して間もない方、それからそういう人たちを説得しようと考えておられる方に参考になればと思います。自己の経験と観察に基づいた仮説に過ぎないので、異論やツッコミ等もあるかと思います。それも歓迎です。

0.「三宝帰依」段階

幸福の科学」では、仏教を真似て、「仏・法・僧」の三宝に帰依することで信者となります。それを「三帰信者」と呼びます。
三帰信者限定に与えられる『仏説・正心法語』という経典の中の「菩提心の言葉 修行の誓い」という経文の中に、このような言葉があります。

仏とは 仏(ほとけ) 仏陀なり
法とは 仏の教えなり
僧とは 仏の御弟子なり

「仏」とは、「現成の仏陀」=大川隆法のことであり、「法」とは大川隆法の説いた教えであり、「僧」とは僧団(サンガ)、「幸福の科学」教団のことを意味します。
つまり、大川隆法を信じ、その教えが絶対的真理であることを信じ、教団の運営方針を信じて帰依する(絶対的に従うこと)が「幸福の科学」の三帰信者です。これは、信者の皆さんも異論はないと思います。
熱心に活動していた頃は、この段階です。
この段階では、大川隆法と一体なので、アンチの告発に耳を傾けることはありません。

1.「僧を疑う」段階

「三宝帰依」のうち、一番最初に脱落するのは、「僧」=「幸福の科学」教団に対する帰依です。
信者として活動していると、どうしても、信者同士での人間関係のトラブルから始まって、最も身近な「僧」である支部長への不信、それから教団の運営方針に対する疑いが出てきます。
「三宝を疑ってはならない」と教えられているので、信者は自らを責めて苦しみます。一方で、書籍『仏陀再誕』には、

もし、そなたがたのなかに、信仰にて迷いがあるならば、
静かに群れを離れて、心穏やかになるを待て。
その時を待て。
決して、何も批判を口にしてはならない。

という言葉もあります。従って、「僧」に疑いを持ち始めた信者は、まずは支部活動から距離を置くようになり、精舎だけに通うようになります。そして、やがて、精舎にも通わなくなります。所謂「休眠会員」の誕生です。
この段階では、大川隆法その人や、その教えを疑うことはありません。「教祖と信者の間にいる職員がおかしいのだ」と思っています。「退会をしよう」などと考えることもなく、「植福をやめよう」と考えることもありません。
また、大川隆法と一体であることはこの段階でも変わらないので、アンチの告発を読んでも、心が揺れることはありません。

2.「大川隆法を疑う」段階

「僧」に続いて疑われるのは、「仏」の部分です。この段階には、幾つか程度の差があります。
この項目で述べるのは、神としての「エル・カンターレ」は信じるけれど、肉体を持った「大川隆法」は間違うこともある、という状態です。
例えば、ueyonabaruさんの掲示板で行われた「法身信仰論」(参考:google:site:blogs.yahoo.co.jp/jiyuu2013 法身信仰論)などは、この段階です。
孫引きになりますが、

実際の先生の間違いがあることは明瞭な事実ですから、これを説明する理論はどうしても必要になります。

という風に、地上の大川隆法を疑ってしまっています。ueyonabaruさんは、こういう状態でも信者を続けていますし、支部活動もされているようです。
但し、書籍『仏陀再誕』には、このような一節もあります。

たとえ心の中で過去の人をいかに尊敬しようとも、たとえ心の中で、宇宙の彼方に住むかもしれぬという仏神をいかに尊敬しても、地に降りたる仏陀を尊敬する気持ちがないならば、もはや、信仰ある者とは言えない。

と。
もちろん、「大川隆法を疑う」と言っても、程度の差があります。経典の中の凡ミス程度のものもあれば、男女問題に関することで「再誕の仏陀」らしからぬ行動に疑問を抱いたりすることもあり、野田総理の霊言等で、霊能力に疑問を抱くこともあります。
しかし、この段階でも退会はしません。
大川隆法は完璧ではない」と思っていても、「幸福の科学」が目的としている「地上ユートピア化実現」といった理想に共鳴して、支部活動や政治活動を続けている人もいるようです。
この段階になり、外部からの説得に漸く耳を傾けるようになります。

3.「法」だけを信じている段階

ここから先が所謂「アンチ」になります。「幸福の科学」という教団もおかしいし、大川隆法という人もおかしい。でも、その説いた教えだけは正しい、信じている状態です。
大川隆法は再誕の仏陀ではあったが、途中から堕落した」とする説を唱える人たち(レムリア・ルネッサンスやルチア氏やウィーンの森氏など)がこれに該当します。
この状態では、教えは信じているので、霊界次元構造説や魂の兄弟理論等に基づいて大川隆法に対する批判をします。大川きょう子さんなどもここに該当します。
この状態になって、ハッキリと退会しようという意志が固まります。最早、外部からの説得は不要です。人間関係等の事情があって退会しない人や、会の改革ができると信じている人は、会内アンチとして教団に残ったりもします。職員の中にも、この段階の人はいることでしょう。

4.「法もおかしい」と考える段階

GLA譲りの霊界次元構造説や、魂の兄弟理論、「転生輪廻」説、独特の宇宙人観、「愛・知・反省・発展」の「幸福の四正道」、その中でも「与える愛」や「愛の発展段階説」等の愛の教えの間違い(または異常性)やに気づく段階です。
幸福の科学」の教えは多岐に亘るので、一つ一つ順番に、丁寧に、批判的に検証していく必要があります。ここでは、他のまともなスピリチュアリズムや宗教学の本を読むことが有効です。
私のブログで言えば、

この辺が参考になるかと思います。
愛の問題で言うと、エーリッヒ・フロム著『愛するということ』が最高でした。
スピリチュアル関連では、スピリチュアリズム普及会の一連の著作や批判が最も効果的です。

この辺から読み始めると良いでしょう。
この段階にまで至らならなければ、「脱カルト」とは言えないと思います。
例えば、「霊界次元構造説」などは、退会してアンチになってもまだ信じている人が大勢いたりします。しかし、これは何の根拠もないことです。元々は高橋信次が唱えたもので、大川隆法はそれをパクっただけです。誰が確認したわけでもなく、単なる仮説に過ぎません。
信じるのは自由ですが、それを根拠に物事を考えると、妄想に妄想を重ねることになり、現実離れしたおかしな方向へと進んでいきます。
信じていると、何度でも同じようなオカルト思想やカルト団体に引っかかる危険性が増します。

5.脱「霊性進化論」の段階

4と5を分けるかどうか迷ったのですが、私自身の経験と観察からすると、ここにも大きな溝がありそうだと思ったので、分けました。
「霊性進化論」の弊害については、

この辺からどうぞ。
これ以上の段階もあるかとは思いますが、私は「←いまココ!」という状態なので、これ以上、詳しく述べることはできません。
現在の私は、やはり、神への信仰は大切なものだと思っています。スピリチュアリズムも否定はしていません。死後の生とか輪廻とかいうものもあるだろうとは思いますが、『論語』にあるような「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん」とか「鬼神は敬してこれを遠ざく」とかいった態度が理想的だと考えています。
そのようなオカルト的なことは、幾ら調べても、幾ら考えても、不可知なものは不可知なのであり、足ることを知って、不可知なものを不可知なままにしておくことが賢明な態度かと思います。
それよりも、孔子が言われたように、生きている間は、よりよく生きることを目指したいです。人としてよりよく生きることに、限りはありません。よりよい人生を生きるためには、オカルト思想は百害あって一利なしであり、全く不要なものです。

私の場合

さて、ここで私の場合に当てはめて振り返ってみます。

0.「三宝帰依」段階

入会したのは91年頃で、三帰したのは確か94年だったと思います。それから2010年頃に至るまで、ほぼずっと「三宝帰依」状態でした。

1.「僧を疑う」段階

支部や精舎へ行かなくなったのは、退会の一年前ぐらい(2010年の秋以降)です。

2.「大川隆法を疑う」段階

これは退会の半年前ぐらい(2011年夏)でした。振り返ってみると、以前から多少の疑問はありました。でも、それは「疑ってはならない」という思いにより、潜在意識下に抑圧されていました。2010年から開始された「宇宙人との対話」辺りで、どうもおかしいのが混じってきていると思い始めました。でも、それは変な宇宙人が混じっているだけであり、大川隆法がおかしいのではない、と思っていました。
決定的におかしいと思ったのは、2011年の夏に、当時の幹部たちを、次々と三国志の英雄たちに過去世認定し始めたときです。私は中学生の頃以来、三国志が大好きで、何度も繰り返し読んでいたので、「あんなのが曹操なわけがない」、「あんなのが孔明なわけがない」、「あんなのが周瑜なわけがない」等々の疑問(というか、怒りにも似た感情)を抱きました。実績も何もないのに過去世認定だけは立派という、もうこれはおかしい、とハッキリと思いました。その頃、ちょうどアイマイミーさんの書かれた記事(http://antikkhs.blog119.fc2.com/blog-entry-36.html)を読み、大いに共感したところがありました。
そこからは加速度的に、それまで抑圧してきた疑問が噴出し、アンチブログにも抵抗が無くなって、ファルコン告発やアルゴラブさんの告発、関谷さんの『虚業教団』等も読むようになりました。しかし、この段階でも、まだ、退会を考えることはありませんでした(植福はやめました)。

3.「法」だけを信じている段階

私の場合、これが退会直前(2011年末)となります。hs-sns内で、TPP問題での議論がありました。私は、TPPというのは日本の伝統や文化を破壊するものであり、「幸福の科学」としても当然反対だと思っていました。ところが、大川隆法は賛成を表明しました。
そこで、「エル・カンターレというのは、エンリルと同じくユダヤ系の祟り神である」という風に考えて、退会する決意を固めました。

4.「法もおかしい」と考える段階

退会して間もなくブログを始め(現在は削除済)、教義を批判的に検討してみました。その成果は、『幸福の科学根本教義批判』という形でまとめてあります。
私が参考にしたのは、既に述べたように、「スピリチュアリズム普及会」の一連の著作物や、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』などです。

5.脱「霊性進化論」の段階

この段階はつい最近なので、退会して一年以上経ってからです。

それぞれの段階での有効な説得法

0.「三宝帰依」段階から1.「僧を疑う」段階への移行

基本的には、自分で気づくしかありません。この段階では、外部の説得に耳を傾けることはありませんが、淡々と教団が隠している客観的な事実を伝えることが少なからず有効であろうと思われます。
まあ、新規入会者ならともかく、普通に長く支部活動をしていれば、「教団運営が完璧だ」などとは決して思えなくなります。

1.「僧を疑う」段階から2.「大川隆法を疑う」段階への移行

1から2の状態になるのには、個人差があります。というのは、大川隆法は、予言を外したり、天照大神を祟り神のようにしたり、霊言で明らかな間違いをしたり、誕生日や経歴を詐称したり、家庭ユートピアを説きながら離婚・再婚をしたりと、まともな知性があれば、誰でもその人間性を疑うようなことをしているからです。
誰しも疑いを持つのではありますが、「疑ってはならない」という教えに阻まれます。「法友」たちからも説得されます。ここを乗り越えられるかどうかは、人それぞれになるかと思います。
やはり、この段階でも、基本的には外部の人間の説得に耳を傾けることはなく、自発的なものを待つ以外にありません。この段階でできることも、淡々と事実を伝えることだけでしょう。

2.「大川隆法を疑う」段階から3.「法」だけを信じている段階への移行

ここには、大きな壁があるようです。前述のように、ueyonabaruさんなど、多くの現役信者が「2」の段階で止まっているように見受けられます。
この段階で必要なのは、「幸福の科学」の世界観の中で説明をしてあげることだと思います。
例えば、ファルコン氏が指摘していたように、「エル・カンターレっていうのは、確かに九次元霊かも知れないけど、裏の神ですよ」などと言うとか、「ヘルメスというのは泥棒の神・詐欺師の神である」とかいうのも有効であろうと思われます。

この記事などは、この段階の信者の方への説得の試みの一つだと言えるでしょう。
また、「大川隆法は堕落した」というような説得も有効でしょう。ルチア氏やウィーンの森氏がやっているような説得のやり方が最も効果的であるように思われます。現に、もん吉氏などは過去の記事で紹介したように(もん吉さんがレムリア・ルネッサンスに嵌りかけている件 - 幸福の観測所及び悪口を止めることのできない信者たち - 幸福の観測所)、レムリア・ルネッサンスやルチア氏の言説に心を揺らしていました。(但し、心を揺らしただけで、退会にまでは至っていない様子ではあり、やはり、外部からの説得は難しいようです。)

3.「法」だけを信じている段階から4.「法もおかしい」と考える段階への移行

この段階では、既に退会してるので、「法を疑ってはならない」という縛りは解けています。あとは、白紙の目で見て、常識に基づいて教義を批判的に検討すれば、自然と「法もおかしい」という風な結論が出るでしょう。

4.「法もおかしい」と考える段階から5.脱「霊性進化論」の段階への移行

これも、時間の経過や様々な知識の収集、他のカルト宗教の観察を通じて、自然と移行すると思います。
あと、全ての段階に共通することとしては、2ちゃんねるの使者さんが常々仰っているように、「人は痛い目を見ないと気づかない」ということだと思います。離婚とか、失恋とか、交通事故とか、病気とか、仕事上での失敗とか、経済的困窮とか、そのような自分の身に降り掛かる不幸があって、初めて「これはやっぱりおかしいのではないか」と気づくことになるようです。
私の場合もそうで、特に、退会してからも暫くスピリチュアルなこと(宇宙人やKK的な輪廻説やダウジングなど)は信じていたのですが、信じていた結果、非常に痛い目を見たという実体験もあり、「スピリチュアリズム」というか「霊性進化論」の弊害を強く感じたところもあります。
逆に、痛い目を見なければ、私もルチア氏のように、「3」や「4」の段階で止まって満足していた可能性も高いです。

注意書き

これらの段階と、その人の人間性とはまた別の話です。現役信者の中でも、人格的に立派な方はたくさんいるし、3の段階に止まっているルチアさんが悪い人だとも全然思いません。種村さんも、根は悪い人ではないでしょう。逆に、アンチの中でも「聖杯と剣」というような人の人間性は、私はどうしても好きにはなれません。
また、「信仰」の問題ともまた別の話です。私の場合、全ての段階に於て、神への信仰は持ち続けていました。信仰の対象は「エル・カンターレ」などという名前のある神ではないし、地上の人間を神とするような個人崇拝でもありません。
究極的で普遍的な神が常に自分を見守っておられるということが前提でなければ(つまり「神への信仰」がなければ)、自分自身の「信仰」を疑うということもできないでしょう。
大川隆法に対する個人崇拝を止めることは、神への信仰を失うこととイコールではありません。エル・カンターレ信仰を止めることは、神への信仰を止めることとイコールではありません。寧ろ、個人崇拝やオカルト的な邪神崇拝を止めることは、本物の神への信仰の道に入るために必要なことです。

楽山日記さんからコメントを戴きました

こちらです。
私から見ると、先輩退会者ですので、非常に参考になりました。