幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

「疑」の克服

アンチや退会者の方の話を聞くと、退会する際に最も障害となるのが、この「疑」の問題であるようです。タイトルは、正確には「『疑』を禁止する教えの克服」と言うべきかも知れません。
この件については、当ブログでも何度か言及していて、

この辺でも詳述しました。
繰り返しになりますが、根本経典『正心法語』の中に含まれている『仏説・降魔経』には、「この世のいかなる大罪も 三宝誹謗に如くはなし 和合僧破壊の罪は 阿鼻叫喚 堕地獄への道 避け難し」という風に、これ以上ないぐらいの強い脅し文句が含まれています。信者はこの経文を日々読誦し、自ら潜在意識に刷り込んで行っています。

本気で信じている信者

一般の人には信じられないでしょうが、「幸福の科学」信者は、こういったことを本気で信じています。
今日、ちょうど、二つ前の記事のコメント欄に、id:ksugawaraさんの書き込みがありました。

三宝誹謗して地獄に堕ちる前にこのブログを削除すべきです。

という脅し文句を発しています。

アメとムチの使い分け

退会者を引き止めるのによくある言い回しとしては、「今、大救世主が下生している。エル・カンターレの本体降臨は、一億五千万年ぶりである。次に会う機会があるのは、一億年後である。またとない機会であるから、今世は騙されたと思って信じた方がいい」と言い方もあります。
大川隆法自身の言葉としても、

この世にあらわれるは一瞬です。その一瞬の機会を逃す事なかれ。永遠の後悔を残す事なかれ。
決して、決して、来世後悔することなかれ。
今、真理が説かれている。今、真なる仏陀が地上に生まれ、全世界の人々を救わんとしている。
残された時間は有限です。あなたがたの力が必要なのです。数多くの力が必要なのです。

「疑えば地獄に堕ちるぞ」という脅し文句が「ムチ」だとするなら、「後悔を残すなかれ」とか「あなたがたの力が必要なのです」というのは「アメ」に当たるものでしょう。
アメとムチを使い分けて、上手にマインドコントロールをしています。
マインドコントロールがある程度解けた今だから言えるけれども、こんなものは全て妄想です。「エル・カンターレ」というのも妄想であれば、「再誕の仏陀」というのも妄想だし、次元構造説も妄想、過去世や来世が確固としてあるというのも妄想*1
妄想に妄想を重ねたもので、まさしく「空想虚言者」による「妄言」と呼ぶ他ないものです。でも、信者にとっては、これが現実よりも重い「真実」なのです(id:ksugawaraさんの例)。
恐ろしいことです。現在、休眠会員を含めた日本全国にいる「幸福の科学」信者数は、数万か数十万か分からないけれど、万の単位でこのようなことを信じている集団が存在します。恐ろしいことだと思います。

教団が「悪魔」と呼んだ人たちが元気にしているという事実

「疑」を克服するために必要なことの一つとして、教団が「悪魔」と呼んでいる人たちが、幸福そうに生きているという事実をお知らせすることがあると思います。
関谷晧元さんなども、非常に元気で幸福そうに暮らしておられたし(関谷晧元さんにお会いしてきた(追記あり) - 幸福の観測所)、種村さんもピンピンしているし、きょう子さんなども、極めて健康そうで、この夏から宗教活動を開始されたようです。
私たちや、他の退会者やアンチの方々も、元気でやっています。要は、退会者の日常をお知らせする機会があればそれでいいでしょう。「幸福の科学」による脅し文句は、全て無効です。

退会しても神への信仰を失う必要はない

私が色々と聞いた限りでは、退会するまでに何年も葛藤し、退会してからも「もし大川隆法が本物だったらどうしよう」などと不安になる人もいました。休眠会員の方で、なかなか退会にまで踏み出せない方も、この「疑」を禁止する教えにより、繋ぎ止められている人も多いことでしょう。
私の場合、それほど悩んだ記憶はありません。退会を決意した決定的な理由が、「エル・カンターレ=祟り神である」と確信したことだからかも知れません。既に述べてきたように、「信じなければ地獄に堕ちる」というのは、祟り神以外の何物でもないでしょう。私には、本物の神様が、そのように人を罰するとは到底思えないのです。
一つ指摘しておきたいのは、以前の記事でも書きましたが、仮に、「神や仏陀を疑うことが罪である」としても、「大川隆法が本当に再誕の仏陀であるかどうかを疑うことが罪になる」とは思えません。「自称仏陀」を疑ってはいけないのだとすれば、麻原彰晃だって疑ってはいけないことになります。「神を疑う」ということと「エル・カンターレを疑う」ということの間にも、深い深い溝があります。それをイコールで結びつけるためには、まず、「神」=「エル・カンターレ」であることの証明をしなければなりません。
冷静に考えてみるならば、自分自身の心に描く「神」の姿とは大きく懸け離れているというのは、誰の目にも明らかな筈です。
あなたが大川隆法に対して疑いを持つのは、あなたが悪いのではなく、大川隆法がおかしいからです。「エル・カンターレ」なるものは、本当の神ではないからです。あなたの良心は正常です。
自分の心を偽ることなく、自分の良心に正直に、勇気を持って、自分の信ずる神を素直に信じて下さい。

余談:「幸福の科学」から哲学が生まれない理由

以下は余談です。
近代哲学の祖と言われるデカルトは、出発点に於て、全てのものを疑いました。世界の全てを疑ったけれど、疑っている行為そのものを否定することだけはできないことに気付きました。「Cogito ergo sum」という有名な言葉であり、これが近代哲学の出発点です。その次にすぐにやったのが「神の存在証明」でした。
西田幾多郎先生の著作で、「哲学と宗教」という論文があります。

「宗教は哲学によって洗練され、哲学は宗教によって深められる」というような考え方が述べられています。例えば、

深い哲学は必ず一面に宗教的基盤を有し、真の宗教は必ず一方に哲学を要求するやうになるのである。

等と。
一般に、哲学は「疑」を基とし、宗教は「信」を元とすると言われます。両者は正反対のベクトルを持つものですが、本物の哲学と本物の宗教は、相補完し合う関係になるものでもあります(前掲「哲学と宗教」参照)。
ところが、「幸福の科学」には、哲学は発生しません。四半世紀以上が経過しても、それらしきものが出てくる様子が全くありません。
いざ、哲学を打ち立てようとしても、まず、「エル・カンターレ」という存在から躓くことになります。哲学から導き出される神は、そのような名を持った神ではあり得ないし、地上に降臨して肉体を持つということもあり得ません。
幸福の科学」は、哲学を拒否する宗教であると言えるでしょう。これは、「幸福の科学」が「真の宗教」ではないことの証拠の一つです。

*1:※輪廻の可能性が皆無であると言っているわけではない。不確定のものをさも確定しているものであるかのように述べ、それを前提に思考や行動をしてしまうところが問題なのである