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幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

藤倉善郎著『「カルト宗教」取材したらこうだった』読書感想文

レビュー

文庫版発刊記念ということで、早速購入して読みました。
まず、冒頭のほうで書かれていた、藤倉さんがカルトへの関心を持ち始めた切っ掛けの話が面白かったです。
藤倉さんの在籍していた大学のとあるサークル内で、カルト的な自己啓発セミナーへの勧誘が流行ったことがあり、サークル内で「セミナー派」と「反セミナー派」に分かれて混乱していたそうです。その後、結局、「反セミナー派」が「セミナー派」を追い出してしまったそうです。
そこで、藤倉さんは、このように述べています。

そして、このトラブルの中で、セミナー受講生だけが一方的に悪いわけではないのではないかという思いも、この問題への興味を駆り立てた。
勧誘活動で周囲へ迷惑をかけたのは、自己啓発セミナーを受講した人々だ。
「私は本当の友人を作っていなかった」
自分が周囲に迷惑をかけておきながら、こんなことを口走るのは、身勝手この上ない。しかし、彼らをいびり出すことしかできなかった周囲の人々は、確かに彼らの友人などではなかったのだろう。友人だというなら、もう少し親身になって対処してやるべきだった。どんなに自己啓発セミナーを批判し正義を振りかざしたところで、受講生たちをサークルから追い出したのは、周囲の〝友人ヅラをした人々〟のほうだ。
おかしな集団を、おかしな世の中が拒絶する。だからおかしな集団の人々は、閉じられた仲間内の世界に引きこもっていく。
カルトそのものというよりも、カルトと世の中の関係に興味を持ったことから、私の自己啓発セミナー取材は始まった。

と(第一章より)。
カルト新聞は、一見、ふざけているだけのように見えるけれど、内面は、かなり真面目に考えていらっしゃることが分かります。

笑える=危険、ということ

(「幸福の科学」による霊言について述べた後で)

他人事として見れば爆笑モノだが、「宗教」の名のもとに他者を誹謗・中傷するさまは、異常としか言いようがない。
人々を笑わせてくれる宗教団体は、それと反比例するかのように、常識と良識と羞恥心を失っている。だからこそ、その裏では常識では予想できない被害が生まれる。
笑えることをしでかすこと自体は反社会的ではない。ただ単に、自らの社会性を意識できていないだけか、社会性よりも別の何かを優先させているにすぎないからだ。いずれにせよ、社会性がない。そして、その社会性のなさが常に「笑えること」だけに向かうことなどということは、現実的にはありえない。
宗教団体が素人目に見ても「面白い」ということは、一種の危険信号だ。笑いの裏に笑えない被害が存在していないかどうか、注意深く観察する必要がある。
その第一歩として、私たちを笑わせる宗教に対しては、しっかり笑ってあげたほうがいい。少なくとも、見て見ぬふりをしたり、全く知らないままでいたりするより、はるかにいいと思う。

藤倉さんが一貫しているのは、「カルトとの関わりを持ち続ける」という姿勢だと思います。
「愛の反対は無関心」ということは、よく言われます(「幸福の科学」でも教えられていました)。
藤倉さんは、面倒臭い人たちを相手にして、悪口を言われたり、訳の分からない抗議を受けたり、訴訟を起こされたり、もしかすると生命を狙われたりするかもしれないリスクを覚悟の上で、カルトと社会との接点になることで、極端な暴走はさせない抑止力になったり、信者に教団はおかしいと気づかせる縁になったりしていると思います。
リスクの割には評価されることの少ない、貴重なお仕事をされていると思います。

その他

他にも、個人的には、一般市民がカルトとの対峙するためのやり方というのも参考になりました。
個人ブログであっても、やはり、危険が伴う行為のようです。アンチカルトブログをやっている人は、読んでおいて損はないと思います。
まあ、私はもう半ば人生を捨てているようなものですから、怖いものはありません。
「退会したら、アンチなんかやらずに関わりのない世界で生きていけばいいじゃん」という意見もあります。しかし、私は、二十年来の信者生活の中で、「幸福の科学」の表も裏もよく見てきました。一見美しく正しく見える教えの裏には、人を狂わせる害毒が含まれています。そのことをよく熟知している身としては、未だに「生贄」として教団に囚われている信者たちを一人でも多く救うために、また、これ以上、二世信者をはじめとする被害者を増やさないために、どうしてもアンチ活動を続けざるを得ません。
本当は、他にやりたいこともあります。できることなら関わりたくはないです。
でも、やはり、二十年間同じ集団の中で一緒に活動してきた仲間たちが今もなお間違った教えにより苦しめられているのを見捨てて、一人悠々自適に生活するなどということは、私にはできません。
わざわざしなくてもいいことをして、敢て危険な事に首を突っ込む私は、本当に愚か者なのかも知れないですが、私はアンチ活動を続けざるを得ません。腐れ縁でも、縁は縁です。私は一生、「幸福の科学」と「大川隆法」のために人生を捧げる運命なのかも知れません。