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幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

スーザン・フォワード著『毒になる親 一生苦しむ子供』(講談社+α文庫)

レビュー 二世信者

タイトルだけで読まずに早とちりして誤解する人が多いのですが、現代人にとって、非常に重要な内容が書かれています。特に「幸福の科学」二世信者は必読です(勿論、一世信者にもお勧めです)。批判をするなら、まず読んでから批判して下さい。
過去の関連記事はこの辺です。

また、「毒になる親」で検索すると、様々なレビューや紹介がされています。どうぞ、そちらも参考にして下さい。

目次

第一部「毒になる親」とはどんな親か
 第一章「神様」のような親
 第二章 義務を果たさない親
 第三章 コントロールばかりする親
 第四章 アルコール中毒の親
 第五章 残酷な言葉で傷つける親
 第六章 暴力を振るう親
 第七章 性的な行為をする親
 第八章 「毒になる親」はなぜこのような行動をするのか
第二部 「毒になる親」から人生を取り戻す道
 第九章 「毒になる親」を許す必要はない
 第十章 「考え」と「感情」と「行動」のつながり
 第十一章 自分は何者か―本当の自分になる
 第十二章 「怒り」と「悲しみ」
 第十三章 独立への道
 第十四章 「毒になる親」にならないために

以下、幾つか抜粋して紹介します。

「毒になる親」とは

「はじめに」より。

この世に完全な親などというものは存在しない。どんな親にも欠陥はあり、だれでも時にそれをさらけ出すことはあるものだ。この私自身、自分の子供に対してひどいことをしてしまったことはある。どんな親でも一日二十四時間子供に気を配っていることなど不可能だし、時には大声を張り上げてしまうこともあるだろう。それに、時には子供をコントロールし過ぎることもあるだろうし、たまになら、怒ってお尻を叩くこともあるかもしれない。
そういう失敗をしたら親として失格なのかといえば、もちろんそんなことはない。親といえども人間だし、自分自身のことでもたくさん問題を抱えているのが普通なのだ。親子の間に基本的な愛情と信頼感が十分にあれば、たまに親が怒りを爆発させることがあっても子供は大丈夫なものである。
ところが世の中には、子供に対するネガティブな行動パターンを執拗に継続し、それが子供の人生を支配するようになってしまう親がたくさんいる。子供に害悪を及ぼす親とは、そういう親のことをいう。

「毒になる親」は子供の将来にどのような影響を与えるか

同じく「はじめに」より。

「毒になる親」に育てられた子供は、大人になってからどのような問題を抱えることになるのだろうか?子供の時に体罰を加えられていたにせよ、いつも気持ちを踏みにじられ、干渉され、コントロールされてばかりいたにせよ、粗末に扱われていつもひとりぼっちにされていたにせよ、性的な行為をされていたにせよ、残酷な言葉で傷つけられていたにせよ、過保護にされていたにせよ、後ろめたい気持ちにさせられてばかりいたにせよ、いずれもほとんどの場合、その子供は成長してから驚くほど似たような症状を示す。どういう症状かといえば、「一人の人間として存在していることへの自信が傷つけられており、自己破壊的な傾向を示す」ということである。そして、彼らはほとんど全員といっていいくらい、いずれも自分に価値を見いだすことが困難で、人から本当に愛される自信がなく、そして何をしても自分は不十分であるように感じているのである。

云々と。「自己破壊的な傾向」というのは、新興宗教に入信して時間も財産も全て捧げてしまうような状態も含まれるでしょう。

「自分の問題は自分の責任ではないか」ということについて

ここも「はじめに」より。

「自分の問題を他人のせいにしてはならない」というのはもちろん正しい。けれども結論から先に言えば、それをそのまま幼い子供に当てはめることはできない。自分を守るすべを知らない子供だった時に大人からされたことに対して、あなたに責任はないのである。幼い子供に対して親がしたことに関するかぎり、すべての責任はその親が負わなければならない。
もちろん、私たちは、大人になってから後の人生については自分に責任がある。だが、その人間がどのような大人に成長するかということは、成長の過程において自分の力ではコントロールできないような家庭環境というものによって大きく影響され、それによってその後の人生の多くが決定されてしまうということも忘れてはならない。
大人としてのあなたの責任とは、現在自分が抱えている問題に対していますぐ建設的な対策を講じ、問題を解決する努力をすることなのである。

補足すると、「幸福の科学」の場合も「自己責任の原則」を説いているので、同じことを言って批判します。
幸福の科学」の場合は、これに加えて「生まれてくる環境も自分で決めてくるのだ」という「霊的人生観」に基づいたオカルト思想があるので、子供時代に起きたことすら「自己責任!」と言われてしまいます。先天的な障碍さえ自己責任と言われます。そこには子供に対する「生まれてきてくれて有難う」といった感謝もなければ、「子供は天からの授かり物である」というような謙虚な心もないし、障碍者に対する同情や労りの気持ちもなくなります。親の悪業ですら、「そういう親を選んできたのはあなたなのよ!」という風に逆ギレされておしまいになります。子供はそれに対して反論することはできません。これは、精神的な虐待です。逆に、「大悲父母恩重経」などと言って、親への感謝を(マインドコントロールにより)強制されます。こうして二世信者の心は極めて歪んだ不健康なものになります。
しかし、「子供が親を選んで生まれてくる」ということ自体が単なる妄想に過ぎず、そのようなことはイエス・キリストも説いていないし、仏陀も説いていないし、孔子老子も説いていません。高橋信次が言い出して、大川隆法がパクっただけのものであり、決して普遍的な真理でも何でもない、でたらめのトンデモ思想です。
だから、(幸福の科学的な)「霊的人生観」とは断固として訣別する必要があるということなのです。そうでなければ、一生「毒になる親」に支配され、この本のサブタイトルにあるように、子供は一生苦しむことになります。

事実をねじ曲げる「毒になる親」

第八章より。

愛情があって人間的にある程度成熟している親なら、おそらく家族のメンバー全員の気持ちやニーズを常に考慮に入れてものを考えるだろう。そういう親は、(中略)「子供は親と違う考えを持っていてもかまわない」「親といえども故意に子供を傷つけてはならない」「子供は間違いを犯したり失敗したりすることを恐れるべきではない」などの考えを持っていることだろう。
ところが「毒になる親」の場合は、ひとことでいえば考え方が常に自己中心的で、何事も自分の都合が優先する。例えば「子供はどんなことでも親のいうことを聞くべきだ」「親のやり方が絶対正しい」「子供は親に面倒を見てもらっているのだから、いちいち言い分を聞いてやる必要はない」などの考えである。このような考え方こそ「毒になる親」が育つ土壌である。
「毒になる親」は、自分の考えが間違っていることを示す事実には必ず抵抗する。そして自分の考えを変えるのではなく、自分の考えに合うように周囲の事実をねじ曲げて解釈しようとする。だが子供は「本当の事実」と「ねじ曲げられた事実」とを区別することができないため、親のねじ曲げられた考えをそのまま自分の人生に持ち込んでしまうのである。

「毒になる親」のパターンや具体例は幾つも挙げられていますが、その一例です。「考え方が常に自己中心的で、何事も自分の都合が優先する」というのは、「幸福の科学」の熱烈信者であれば例外なく全員に当て嵌ります。教団の都合(=親の都合)が何より優先され、子供の都合は二の次三の次になります。そして、自分の信仰は絶対に正しいと思い込んでいます。
典型的な「毒になる親」の姿そのものです。

「毒になる親」を許す必要はない

この本の中で最も誤解されることが多い部分でもあり、また、最も救われたという人が多い部分でもあります。
第九章より。

この章題を読まれた方の多くは、つぎのように反論したい気持ちになるかもしれない。
「でも、相手を許すというのは、まず最初にしなくてはならない一番大切なことではありませんか」
それに対する私の答えは「ノー」である。私のこの答えには、ショックを受けたり、腹を立てたり、がっかりしたり、あるいは何がなんだかわからなくなったと言う人も多いことだろう。「心の癒し」について少しでも学んだことがある人なら、ほとんどがこれと正反対のこと、つまり「許し」こそ「癒し」の第一歩だと信じ込まされてきているのだから、それも不思議なことではない。
だが真実を言うなら、あなたが自分に対して良好な感情を持ち、自滅的な人生を建設的なものに変えるためには、必ずしも親を許す必要はないのである。
この事実は、世の宗教や哲学、あるいは心理学的な教えに真っ向から逆らうのかもしれない。カウンセラーの中にも「許すこと」こそ「癒える」ために必要な最初のステップであるばかりでなく唯一の方法であると固く信じている人も多い。だが、はっきり言わせてもらうが、私はそれには賛成できない。
(中略)
自分の身に起きたことの“責任”は、自分にあるかだれかほかの人にあるかのどちらかでしかない。(中略)そこで、親を「許した」と言っている人たちは、無理して親の責任を免除した結果、自分がその責任を負うことになる。そして自責の念や自己嫌悪に陥り、または抑え込まれた怒りが原因で心身にさまざまな障害を引き起こしているのである。
多くの人をカウンセリングして私が気づいたもうひとつの点は、真実を見つめて問題に取り組むというのは非常につらい作業であるため、その苦しさから逃れるために「許し」に逃げ込んでしまう人がいるということだった。そういう人は、あたかも親を「許し」さえすればたちまち気分は回復し、元気になれるとでも思っているようだ。そしてかなりの人が「もう許したから」といってセラピーを早々と切り上げてしまい、後になって以前よりひどいうつ病や不安症候群に苦しむことになるのである。
このように、心の奥では消えていない本当の感情を無視して自分をだましているかぎり、その感情はことあるごとに噴き出してくる。「もう許した」と思った時には一時的に心が洗われたようになって、心身の健康が急激に好転することはたまにあるが、それが長く続くということはない。なぜなら、心のなかで本当に感じていることは何一つ変わっていないからだ。

という風に、「許す」ということよりも、自分の本当の感情に素直に向き合うことを重要視しています。
私も、この本を他人に勧めてはいるものの、実はまだ、まともに読み通すことができていません。「親との対決」は、済んでいません。まだ、ちゃんと向き合うことが怖いです。でも、それでもいい、マイペースで良いという風にも書かれています。
ということで、今日はこんなところで。またちゃんと読み終えたときに、改めて感想を書こうと思います。