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幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

大田俊寛さんインタビュー「なぜ人間はオカルトにハマってしまうのか?」

東洋経済オンラインで、5ページに亙る本日付の記事が揭載されています。

船井幸雄が霊性進化論者であることを導入の話として、神智学から始まる霊性進化論の成立経緯、それが浅野和三郎GLAを経てオウム真理教や「幸福の科学」に流れていること、更には『幻魔大戦』や『機動戦士ガンダム』や『AKIRA』や『鋼の錬金術師』や『ふしぎの海のナディア』や『新世紀エヴァンゲリオン』等の作品にも入っていることなどが書かれています。
鋭い考察ですので、アンチ・信者を問わず、「幸福の科学」関係者には是非オススメです。

幸福の科学」に関する部分

オウム真理教幸福の科学の教義において共通している点は、人類は全体として霊性の進化を遂げる途上にあり、その行程は「高度な霊性を備えた特別な存在」によってリードされていると考えられていることです。そしてこうした考え方は、両教団における政治観のベースをも形成しています。
オウムは1990年に「真理党」を、幸福の科学は2009年に「幸福実現党」を結党し、政治進出を企図しましたが、その根底にある政治観は「より神に近い人間、霊格の高い人間が、この世を統治すべきである」という考え方です。「神人」が政治の頂点に立てば、世界はユートピアに変貌するといった、神権政治的な祭政一致(政治的指導者と宗教的指導者が同一で、祭祀と政治が一体化している政治)の理念ですね。
また最近の大川氏は「世界教師」を自称していますが、これも典型的な神智学の用語のひとつです。大川氏はすでに1980年代から、宗教のみならず政治においても大規模な改革を成し遂げ、それぞれの分野で指導的役割を果たしたいという願望を表明していました。宗教政党が選挙に出てきた場合、有権者であるわれわれは、各候補者が訴える個々の政策のみならず、その政党の背景を形成している根本的な宗教観や政治観にも注意を払う必要があります。

80年代のことに言及するなど、大田氏は、しっかりと「幸福の科学」を研究していることが窺えます。

「霊魂観の個人主義化」という指摘

――では、最後の質問です。霊性進化論というオカルト思想は、なぜ社会に蔓延し続けるのでしょうか?

大きな原因として、現代社会における霊魂観の貧困化、より具体的には、霊魂観の個人主義化、さらにはオカルト化、といった問題があると思います。

これは私も思います。輪廻転生があると言っても、日本の伝統的な輪廻観というのは、先祖がまた子孫として生まれるといったものだったということです*1。自我は個人で完結してはおらず、だから、一族の名誉を守るために個人の命を犠牲にするということもあったのでしょう。
ところが、「幸福の科学」的な輪廻観、即ち大田氏の言う霊性進化論的な輪廻観では、個人が一つの魂を持って色んな国に転生して、徐々にレベルアップしていくのだ、という感じになっています。確かに、「個人主義的な霊魂観」と呼ぶに相応しいものです。
だから、人に何か不幸があったり、先天的な障碍があったりすると、「それはその人が過去世で悪業を積んだからだ」などと言って、不幸に追い討ちをかけるようなことを平気で言ったりします。
幸福の科学」的な「霊的人生観」に代表されるような霊性進化論の最大の弊害は、私はその点だと思っています。それは、愛の生まれてこない思想であり、温もりのない、冷徹な思想です。「霊的人生観」ならぬ「冷徹人生観」です。大川隆法は「一千億年の孤独」などとも言っていましたが、個人主義を助長し、人を孤独にする思想です。

霊性進化論を克服するために

最後の指摘もなかなか面白かったです。

――その空白を突いているのが、オカルト思想ということでしょうか?
そうですね。こうした状況に対して、本来であればまず、宗教の歴史や構造についての体系的な認識方法を提示し、問題の所在を明らかにする必要があるのですが、残念ながら現在の宗教学は、その任を十分には担えていません。その結果、一部の人間が考え出した恣意的な霊魂観が大手を振ってまかり通るという状況を許してしまったのです。霊性進化論は、そうした霊魂観のひとつであると言えます。そこでは、霊魂の存在が、社会や共同体という具体的基盤を喪失して個人主義化するとともに、「宇宙」や「霊界」という抽象的存在と直結するものととらえられるようになった。たとえば「宇宙における私の魂の霊的ステージ」などといった考え方ですね。こうして現代の霊魂観は、誇大妄想的でオカルト的な性質を帯びるようになったのです。
このような霊魂観を克服するためには、「魂とは何か」という問題をあらためて公に論じ合い、社会的合意を形成しなければならないでしょう。しかしそれは、いつ、どのような仕方で可能なのか。率直に申し上げて、現状では、私にも見通しがあるわけではありません。ただ、その前段階として、先ほど述べたように、現在の社会が抱えている困難や弱点の構造を、可能なかぎり明確化しておく必要があるのだろうと考えています。

「一部の人間が考え出した恣意的な霊魂観」というのは、「幸福の科学」的な(高橋信次的な)「霊的人生観」などを指します。それはやはり、「誇大妄想的でオカルト的性質」を持っているのであり、間違っているものです。
個人崇拝型のカルト宗教や、「スピリチュアル」と名を変えて生き残ろうとするオカルト的思想は、ハッキリ言って、中世以前の「迷信」の類です。
一旦否定された筈のものが、どうして甦ってくるのかということについては、大田氏の指摘するように、科学文明の発達により蔓延してしまった貧困な霊魂観というものもあるのでしょう。
そこに、前回の記事で触れたような認知的フィルターが緩い人たちが集まって、「恣意的な霊魂観」を思いつき、それを信じて広めてしまったということかと思います。

謙虚さが最も重要なのではないか

私はやはり、「分からないことは分からない」とハッキリ言うことが重要なのではないかと思います。
スピリチュアリストは科学万能主義を否定(して、特に唯物論批判を)するのですが、「自分たちの信奉する思想は完璧であり、分からないことはない」と思い込んでいる点で、科学万能主義者とスピリチュアリストは同類である、と私には見えます。
本物の科学者は、科学で分かることは、世界のほんの一部に過ぎないということも知っていますし、本物のスピリチュアリストも、自分の知り得る霊的世界や霊的真理は、ほんの一部に過ぎないということを知っているでしょう。
私は、全ての人に必要なものは、謙虚さだと思います。科学的な言葉で言えば、真理の前に謙虚であること。宗教的な言葉で言えば、神の前に謙虚であること。まかり間違っても、「私が全智全能の神だ」とか「我は再誕の仏陀だ」とか「我は法そのものである」などと言ってしまってはいけないし、そういうことを言う人を信じてはいけません。人間は、人間以上のものではなく、人間以下のものでもありません。

追記

はてなブックマークでも、そこそこの人気エントリになっているようです。思想的に見た場合、「幸福の科学」はオウム真理教と同根であることを、もっと多くの方に知って戴きたいです。

*1:どの本だったか忘れましたが、鎌田東二さんの本で読みました。