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幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

藤圭子さんの自殺関連で思い出したことなど

 藤さんの精神の病について照実さんは、宇多田が5歳のころから感情の変化が激しくなったと説明。自分の母親や照実さん、宇多田に対して攻撃的になり、数分後に「ゴメン、また迷惑かけちゃったね」と謝るような日々が長く続いたという。
 病院での治療を勧めたことでかえって不信感を持たれてしまい、「本人が拒絶し続けた治療がなされないまま、彼女の苦しみは年を追うごとに重症化したものと思われます」。
 この12年間、藤さんは思い立ったら世界各国へ旅に出掛ける生活だった。照実さんと宇多田には昼夜を問わず電話があり、「普通の会話が交わされる時もあれば、心当たりのない理由で罵声を浴びせられる時もあり、相変わらず心の不安定さを感じさせられて、とても気がかりでした」。

「精神の病」とありますが、私も最近、統合失調症等の精神病について学んでいるところで、決して自分とは関係ない病気ではなく、身近にある病気なのだということを感じています。
経歴を見ると一見幸せそうで、サクセス・ストーリーのような人生でも、内面には人には言えない闇を抱えていたりするものなんですよね。
見ていると、何か創作活動とか芸術活動とかに勤しむ人というのは、どこか必ずそういう歪んだ精神を持っている場合が多いように思います。足ることを知り、平凡な日常に満足している人であれば、取り立てて何か世間に対して訴えかけたり自己アピールしたりする必要は全くないですから。(やはり、「知る者は言わず、言う者は知らず」というのが真理です。)

私の親を思い出した

「感情の変化が激しくなった」という辺りのことを呼んで、私の親のことを思い出しました。
私も自分で自分の記憶を封印していることがあるようで、すっかり意識に上ってこない状態でしたが、色々と思い出しました。今思えば、理不尽な怒りというか、普通の人間としてはあり得ないような突発的で感情的な怒り方をして、全く手の付けられない状態になることがよくありました。
なので、上の記事中にある藤圭子さんの状態というのが、非常によく分かります。
子供のうちは自分の家庭しか知り得ないから、私もそれが普通なのかと思っていましたが、今思えば、それは異常な精神状態であり、本来、精神科で治療を受けるべきぐらいのレベルだったのでしょう。ただ、「異常」とは言うものの、世間の家庭の内の何パーセントかは、似たような光景があるのだろうとも思います。(通勤路の住宅街を歩いていても、家の中から女性の金切り声が聞こえてくることがよくあります。)
喜怒哀楽は誰しも備えている感情であるし、時に怒りの感情を持つこともあるのが人間だけれど、感情のままに(人がドン引きするレベルで)怒鳴り散らしたりするのは(所謂「ヒステリー」状態)、幼児性が抜けきっていないとも言えるし、そういうことが年に一度あるかどうかという程度なら兎も角、日常的に頻繁に家庭内で怒りの感情を露わにするというのは、やはり、異常な状態です。

水谷先生のブログから

で、この件に関するヤンキー牧師こと水谷先生のブログ記事がとても良かったです。

こちらです。

 「性格が強く、病的な母とそれを受け止める優しい夫」
→「全員が母の問題に巻き込まれる家族」
→「母の顔色を見ながら、母に支配される子ども」
→「母の自己実現の代行者として成長する子ども」
→「実現を果たすか、諦めるかした後に自己同一性の危機を迎える子ども」

私の場合も、この図式の通りでした。(「受け止める優しい夫」では無く、「受け流す夫」であった点が異なる。「母の問題」とはカルト宗教「幸福の科学」に入信してそれに家族全体が巻き込まれたこと。)

こうなると、母親の意向に沿わないことは、「母から愛されない」「母から見捨てられる」だけでなく「神に逆らう罪」「神から見捨てられる」こととして受け止められます。これは、究極の恐怖として、子どもを支配しかねません。
ですから悲劇は、歪んだ母親の意向どおりに、反抗期らしい反抗もなく、「学業優秀・品行方正の優等生クリスチャン」になったしまったクリスチャン子弟に訪れます。そこには星飛雄馬宇多田ヒカル同様の破綻の危機が待っています。野球と音楽が、信仰に代わっただけです。星一徹と藤圭子が、強烈クリスチャンの母に代わっただけです。

この通りでした。私の場合も、「反抗期らしい反抗」はありませんでした。「いい大学を出て、幸福の科学職員になって欲しい」というのが私の母の願いでした。(信者にとっては、職員になることが一番のエリートコースであるので。)私の人生も、それに沿うように支配されていただけでした。また、「何があっても(幸福の科学の)信仰だけは捨てないで」とも常々言い聞かされていました。

 教会で絶賛され、期待され、ひともうらやむ優等生クリスチャンの内には、「親を離れた健全な自我」も「主にあるアイデンティティー」もありません。母親の自己実現、母親の意向、母親の劣等感克服の代行者としてのアイデンティティーしかなく、成人し、社会参加した後も、母親の意向に支配され続けます。

この辺の記述は、『毒になる親 一生苦しむ子供』を思い出しました。成人した後も、「一生苦しむ」ことになり、更にその子孫たちにも代々「毒」が伝わっていくということになります。

戦争はまだ終わっていない

親がそういう歪んだ精神を持ったのも、更にその親に原因があったりするわけで、そうやって代々遡って考えると、一つの大きなこととしては、戦争による悲劇に突き当たると思います。先の戦争を原因とする理不尽な悲しみや貧困の中で、精神を病んでいく人が多かったのでしょう。
最近観た映画『一枚のハガキ』の中で、豊川悦司が「戦争はまだ終わっちゃおらんぞ!」と叫ぶシーンがあったのですが(映画『一枚のハガキ』感想 - 幸福の観測所)、戦後七十年近く経過した今も、まだまだ戦争が日本人に与えた傷は癒えていないのだと思います。
戦争によってもたらされた傷を癒すためには、気づいた人から順番に、一人一人、正常な精神を取り戻して、健全な家庭を築いていくしかないのだとも思います。
戦争は割に合わなさ過ぎます。

追記

やはり統合失調症だった疑いが強いようです。
こういう人は、当事者は自分自身の考えを「妄想」とは認めたがらず、スピリチュアルに逃げ込んで、前世がどうだの、宇宙人がどうだの言って、自分自身の精神異常について何かと理由をつけたり、正当化したりして、一時的には安心できる場所を見つけたようになるけれど、それは益々精神異常を深めていくだけの道なんですよね。いつか結局破綻していくだけです。
藤圭子さんを救うことができたとしたら、どういう方法があったのか。投薬治療以外の方法は無理だったのか。私はその答えが知りたいです。