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幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

宇多田ヒカルがオカルト思想に傾倒しているようだ

藤圭子さんの自殺関連で思い出したことなど - 幸福の観測所の続きです。

 そんな宇多田の近況が、圭子関連の報道によって明らかになった。宇多田は現在、恋人とロンドンで暮らしているという。相手は、2009年に交際がスクープされた福田天人氏。長野県安曇野市に位置する、自然治癒力を高めることを目的とした施設の代表の息子で、仏教などをテーマとして扱う日本画家でもある。宇多田は精神的疲労を回復するために前述の施設を訪れ、そこで福田氏と出会った。

自然治癒力を高めることを目的とした施設の代表」という奥歯に物が挟まったような感じの言い方で濁しているけれども、何なのでしょうね。別のソースによれば、

 その反面、卵巣腫瘍の摘出、喉のポリープ、映画監督の紀里谷和明氏との結婚・離婚、さらに6度の結婚・離婚を繰り返す両親との関係にも悩み、私生活は必ずしも幸せいっぱいだったとはいえない。
こういった中で、これからの人生を真剣に考えよう、そのために区切りをつけたほうがいい・・・とアドバイスをした人がいる。それが現在の恋人で日本画家の福田天人氏。彼の父は、長野県で人間の自然治癒力を高めるためのプログラムを提供する宿泊施設を経営している。インドを放浪して人間には本来自分を癒す力が備わっている…という思想に傾倒し、天人という名前もダライ・ラマ14世の本名から取ったものだ。彼の書く絵もチベット仏教をモチーフにしたものが多い。実は宇多田のアルバムにもチベット仏教のマントラを取り入れた曲がある。

とのことで、チベット仏教系の団体?に嵌っておられるようです。新興宗教なんじゃないでしょうか。
チベット仏教(密教)は、スピリチュアル系でも好む人が多いようです。私は詳しいことは知りませんが、チベット密教の危険性については、聞きかじりレベルでも大体わかります。

チベット密教には性的ヨーガという性を導入した修行、そして度脱(呪殺)という修法がある。
性的ヨーガとは性的パートナー(瑜伽母)との性行為によって真理を獲得する。
どんなことをするのかというと、インド後期密教では灌頂は四つ設定されて、そのうちの秘密灌頂では、「受者が導師に、「大因」と称される妙齢の女性を性的パートナーとして捧げ、導師は彼女と性的ヨーガを行ずる。導師はおのれが射出した精液を、女性の膣内から取り出し、受者の口中に「菩提心」として投入する。これで受者には菩提心が植えつけられたことになる。資料によっては、精液を女性の経血と混ぜて、投入するともいう」というように、何ともはやなのである。
当時は実際に精液や経血が用いられたが、現在では性行為をせずに瞑想によって同じ体験をするそうだし、また精液ではなくヨーグルト、経血ではなく赤サフランの粉末で染めたヨーグルトで代替されるとのことです。

こんな怪しげなのを信じてしまうなんてアホかという話なのですが、精神を病み、救いを求めて彷徨している人は、引っ掛かってしまうんですよね。それで更に精神を病んでいくことになる。
統合失調症になりやすい体質というのは、親からの遺伝でしょう。元々、精神を病みやすい体質である。そういう人ほどオカルト思想にも嵌り易く、更に病んだ世界に惹かれて行って、負のスパイラルに陥ってしまう。
「藤圭子さんはどうしたら救われたのか」ということの答えは、そのまま「宇多田ヒカルはどうしたら救われるのか」ということの答えにもなると思うし、「幸福の科学信者はどうしたら救われるのか」ということの答えにもなると思います。
私の経験上、脱マインドコントロールに最も効果的だったと思うのは、一般の人との交流でした。言葉を換えると、社会の中に溶け込んで生きるということだと思います。社会から切り離されてしまうと、その人や、その人の所属するカルト集団の妄想の世界がその人にとっての「現実」になってしまう。その集団の中では安心できても、外の世界で生きることはできなくなり、依存をどんどん深めて行ってしまう。
隠された真理なんて無いんですよ。特定の集団だけが知り得る真実というものはありません。神様は、人間を平等に愛しているのであり、特定の人にだけ智慧を授けるとか、特定の人にだけ幸福を与えるとか、そういうことは決してありません。
スピリチュアルやオカルト思想というのは、殆どが統合失調症患者の妄想の産物です。それらを学んでも、百害あって一利なしです。ソクラテス孔子も言っていたように、無知の知ということが大事です。他人から否定されたら覆ってしまうようなあやふやな根拠ではなく、デカルトのように、疑いようのない確実な根拠から出発しなければなりません。「私を信じて下さい」と言うのは詐欺師の言葉です(例:大川隆法)。「私を信じなくてもいい」というのも、信じ込ませるための詐欺師のレトリックです(例:高橋信次)。
信ずべきは特定の人ではないです。個人崇拝はあり得ません。それから、特定の言葉や特定の思想も信ずべきものではありません。物事の真偽を見極めるのは自分自身の心以外にないのですが、その自分自身の良心や判断ですら間違うこともあるということを謙虚に自覚しながら、社会の中に生きる一人の人間として、他の人と会話を通じて自分の考えを修正しつつ生きていくことが大事なのではないかと思います。
そのためには、「自分は特別!」というようなプライドを捨てることがどうしても必要なことかと思います。

おまけ

自然治癒力を高めることを目的とした施設」とやらをググってみました。

f:id:antikkuma:20130831213758p:plain
この人ですね。
福田俊作という名前のようです。上で名前が挙がっている福田天人氏と姓が共通しています。
更に、

こちらから閲覧できる一覧の中に、
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こんなのがありました。これで確定ですね。
上の「施設」の方の紹介文では「チベット仏教」などとは一言も言っていないのに、しれっと「日本チベット仏教会」という宗教法人の代表もしているという辺りがうさん臭いですね。
どんな宗教団体なんでしょうか。「チベット仏教」ということは、やはり、性的な教義や実践もあったりするのでしょうか。詳しく知りたいところです。