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幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

小林和彦著『ボクには世界がこう見えていた』(新潮文庫)読書感想文

『タブーすぎるトンデモ本の世界』感想(続き) - 幸福の観測所の続きです。読み終わりました。非常に面白かったです。『精神病棟40年』(時東一郎著『精神病棟40年』読書感想文 - 幸福の観測所)の方も、精神病患者の直筆の著作であり、リアルな様子が描かれていました。しかし、具体的な妄想症状は描かれていませんでした。(時東さんの場合、描かれていなかったというよりは、症状そのものが殆ど無かったのでしょう。)
しかし、こちらの著作には、その妄想の内容が克明に描かれている点が異なります。文中、「大川隆法」という名前も出てきたのには驚きました。内容を紹介しつつ、感想を書いていきます。

母の死

第二章「現実との闘い」より。

とにかく僕は、母の苦悩と苦痛を顧みず、ずっと自分のことしか考えていなかった。僕がもっとしっかりしていれば、もしかしたら母は癌になんかならなかったのではないかと、そう思えてならないことが過去に何回となくあった。
(中略)
僕はそれまで「現実」というものを疑ったことは一度もなかった。母のいない世界というのは受け入れ難いものだったが、それでもそんな厳しい現実を僕は受け入れた。しかし、年が明け、執拗に襲ってくる厳しい現実に打ちのめされ、「現実」に対する僕の見方は少しずつ変わっていったのである。

これは「発狂」前の描写ですが、どうやら、母の死が発狂に至る大きな原因の一つだったようです。その他の部分の記述から推測するに、過保護なタイプの「毒になる親」だったのではないかと思いました。
渡邉美樹氏も溺愛する母親の死を切っ掛けに精神を病み、「霊性進化論」に至っていました(霊性進化論を信じる渡邉美樹 - 幸福の観測所参照)。
渡邉美樹氏の場合、母の死→深い悲しみ→精神を病む→宗教に入る(オカルト思想に傾倒)→人格障害、という流れであり、小林和彦氏の場合は、母の死→深い悲しみ→精神を病む→発狂、という流れになるかと思います。

発狂前夜

第四章「幻覚妄想」より。

どうも何かがおかしい、と僕はそろそろ気づき始めた。目に見えるもの、耳に聴こえるもの、周りのすべてのものが、どこかよそよそしく、不自然なのだ。何者かが、「この世界は僕のためにある」というシグナルを絶えず送り続けている感じなのだ。「世界は僕のためにある」とは、二〜三日前から考えていたことだが、それがこんなにも違和感を与えるものだとは思っていなかった。僕の直面した世界は、いつも見知っている世界とはちょっと違うのだ。
(中略)
この時僕は、自分がおかしくなったとは思わなかった。普段経験したことのない多幸感に包まれてはいたが、幻視も幻聴もなかった。もっとも幻覚があっても、肉体的な苦痛を伴わなければ、病気だという自覚はなかっただろう。芝居を続けるなら続けるがいい。僕は決して狂気には陥らないぞ、と思った。だが、その決意は、数分後、もろくも崩れ去るのである。

この辺の、徐々に発狂していく感じが克明に描かれている点がすごいです。「多幸感」と書いていますが、幸せだったんでしょうね。

発狂の内容

同じく第四章より。

さすがに今日一日の体験で疲れたか、最近になく早く眠りについた。どんな夢を見たかも夢を見たかどうかも覚えていない。
突然午前三時頃、目が覚めた。これ以降、朝になって妹が起こしに来るまで、僕は全く眠っておらず、その間にあったことは断じて夢ではなく、現実に起こったことだ。人は「夢でも見ていたんだろう」と言うが、それだけは否定する。

まあ、夢でも見ていたんでしょう。

目が覚めたとたん、誰かがあわててドアの向こうの階段を駆け降りていく音がした。僕はこの家の中に妹以外の人間がいて、彼は眠っている間の僕の脳波を、どういう方法でかは知らないが調べていたのだろうと思った。そして、僕が目覚めてしまったため、正体がばれることを恐れ、あわてて撤収したのだろう。起きてドアを開けて一階へ行けば確かめられるが、なぜかそれをしてはいけないという自制心が働き、僕はベッドから出なかった。別に金縛り状態ではなかったと思う。

まあ、金縛り状態だったのでしょう。

また寝ようとしたが、すっかり頭が冴えてしまって、夜の気に影響されてか、僕はまた様々なことを考え始めた。詳しいことは覚えていないが、僕の考えを皆に伝える最もいい方法を模索していたようだ。
突然テレパシーのようなもので誰かと交信がつながった。昼間も聞こえたミックの声のようだった。声は耳からではなく、頭の中に直接入ってきた。

これは明らかに統合失調症の症状ですね。
ちなみに、所謂「脳内BGM」というのも、「音楽幻聴」と言われる幻聴の一種のようです。そう考えると、意外と身近なものなのだとも思います。
「脳内BGM」程度では、日常生活に障碍が出ることはありませんし、寧ろ楽しいものですが、それが頻繁に聴こえる人は、もしかすると、統合失調症になり易い体質ということなのかも知れません。素人なので間違っていたらすみませんが、今まで得た情報によれば、統合失調症による妄想は楽しいもののようなので、近いところにあるもののような気がします。
さて、続きを読んでいきます。

これがテレパシーというものかと思い、幻聴だとは全く思わなかった。後にミックは、この日は午前四時まで起きていたが、僕とテレパシーで会話した覚えはないと言った。僕はそれならミックの守護霊と会話していたんだろうと解釈し、幻聴を認めなかった。

出ましたね、「守護霊」。幻聴を認めない姿勢は、大川隆法やその信者たちと全く変わりません。

どんな内容だったか残念ながら忘れてしまったが、テレパシーで会話できるのはミックだけでなく、あらゆる人間と交信できることがわかった。交信を司る器官は頭の中だけでなく、手とか足とか背中とか各内臓とか、すべての器官でできるのだ。中枢神経は頭の中にあるのだろうが、体中の各器官が色々な感覚を引き起こす形で行われたのである。個人との交信も団体との交信もできた。
僕は体制を変革してよりよい世界を作ろうと思っているが、僕一人の力ではできない。みんな協力してくれないかと伝えると、皆、拍手や歓声で受け入れてくれた。受信は、手や足が震えたり、背中がぞくぞくしたりするかたちで行われた。
多数の人と交信するに伴って、頭の中にある種のイメージ(映像)が現れた。幻視、幻覚かもしれない。断っておくが僕は覚醒剤、シンナーの類を一切やったことはない。だから穏当な表現をすれば、普段夢に見るイメージを覚醒していた時に見たのだ。映像には段階があって、少数者と交信している時は単純な光景、相手の数が増えていくごとに光景が変わり、僕が交信可能な最大多数と交信すると圧倒的な至福感に包まれた光景が展開し、それ以上の段階へは進まなかった。僕がどんなメッセージを発していたか、悔しいが思い出せない。が、それらはまず少数者が支持し、だんだん相手の数が増えていくという段階をいちいち踏まねばならず、映像イメージもそれに伴って何度も繰り返された。映像はリアリティーがあったが未知のもので、それぞれ数字を伴っていた(交信する相手が増えると数字も大きくなる)。最終段階の映像に伴う数字は途方もなく大きかった。
(中略)
今度は人間が理解できる概念はどこまでか、そのキーワード探しに取り組んだ。こういうことに詳しい先輩のF氏(の守護霊)が相手になってくれた。最初どんな言葉から始まったか覚えていないが、「宇宙」という言葉に到達した時、「もうこれ以上はないだろう」と内心思っていた。ところがその先もどんどん形而上的な言葉が出てくるのだ。僕はだんだん胸が圧迫されて苦しくなっていった。キーワードは「輪廻」などを経て、最終的に「無」まで行って、それ以上はなかった。つまり人間が理解することができる最終的な概念は「無」ということになる。それがどういうことかはわからなかった。弥勒菩薩なら知っているかも知れない。
僕はこのゲームの途中で苦しくて仕方なかったので、まるで念仏を唱えるように、
「ホメオスタシス。ホメオスタシス」
と唱えていた。上がり過ぎず、下がり過ぎず、心身の恒常を保とうという意味で。一時は息がつけないほどだったが、キーワードが「無」から先に行けなくなったところで胸の圧迫はおさまり、
「もう死ぬことはないんだ」
と至福の状態になった。
あまりに多くの情報を得、また伝えられたので、ミック(の守護霊)が、
「なんで今まで気づかなかったんだ」
と、うれし泣きするような声で感激していた。僕も嬉しかった。
突然、とんねるずの木梨憲武が交信してきた。
「木梨?」
と聞くと、彼は、
あしたのジョー
と答えた。これはとんねるずが『お坊っチャマには分かるまい!』の最終回で使ったギャグで、「ジョー」という音を僕の声帯ではなく、お腹のあたりを使って鳴らしたのがいかにも木梨らしくて笑えた。
フィル・コリンズも自分が交信できることを主張し、僕の心臓の鼓動を支えるようにドラムを叩いてくれた。色んな人に守ってもらえて嬉しかった。
そうこうしているうちに空が白んできた。郵便屋らしきバイクの音が四、五回して家の前に停まって、何か郵便物をポストに入れては去っていった。妹に、僕の扱いに関する指令を届けているんだと思った。すずめが鳴き始めた。最初は訳のわからないすずめの声だったが、だんだんそれが日本語に聞こえ始めた。
「木梨か?」
と聞くと、
「チュン(はい)」
と答えた。木梨憲武はこれ以降、すずめの声で僕と交信を取り始めたのだ。
これらはすべて僕の幻覚か幻聴、あるいは思い込みと大方の人は判断するだろう。しかし交信相手は不特定多数を除けば皆僕の好きな人ばかりで、不穏当な指令のようなものは一切なく、双方向のコミュニケーションだった。僕はこの夜のことは、肉体的苦痛もあったが、人間の心は皆つながっており、ある種の精神状態に入れば誰とでも交信できるという認識を新たにした幸福な体験をしたと思っている。宇宙の真理にまでは触れられていなかったが、それは永遠の謎としてとっておこう。ぼくはこの晩を境に新しい人間に生まれ変わったことを確信した。

少し長くなりましたが、何ともリアリティーのある記述です。大川隆法なども、これに似た体験をしたのだと思います。それは、本人にとっては決して嘘ではなく、真実であったのでしょう。「(の守護霊)」という記述は、本当にそっくりです。

精神病棟の様子

第五章「入院」より。

何日か経って、僕がおとなしくなったのを見てとった森田先生は、僕を閉鎖病棟の中に出してくれた。それでも僕之ベッドはしばらくは監禁室だったが。初めて色んなタイプの精神病患者がいることをこの目で見た。廊下の端から端まで、ただ黙々と歩いて回っているだけの人。宇宙人からのメッセージをひたすら待っている人。自分はアマテラスオオミカミだと信じて毎朝お祈りをする人。訳のわからない文字をノートにびっしり書き込んでいる人。色んな患者、色んな行為が百花繚乱で、まさに精神病院の中でしか見られない光景だった。

部分的にはカルト教団でも見られる光景ですね。
自分を神だとか思い込むような状態は例外なく精神異常なのだということを、早く社会の常識にして欲しいです。

パラレルワールド説を主張する著者

同じく第五章より。

退院してしばらく経った時のことだが、僕は図書館で朝日新聞の縮刷版を調べて、驚くべき事実に直面したのだ。一九八六年の七月、八月、九月の記事のどこを探しても、一面に載ったはずの精神保健法制定(案)の記事が見つからないのだ。これはどういうことなのか。理由は次の三つ以外には考えられない。
①あの記事を読んだのも、河合さんに話したのも、すべて思い違いか幻覚だっが。
②「一九八四」のように記事が差し換えられた。
③あのあと、別の次元空間に移転してしまった。
(中略)
③の可能性は高いが、だとすると僕は、一九八六年に精神保健法が制定されず、相変わらずノストラダムスの大予言が存在している、しかも一九九八年に日本が沈没して、二〇〇〇年九月に小惑星が衝突する可能性まで出てきたという絶望的な世界に放り込まれてしまったわけだ。

ふむ。
KK信者でも、奈良の地震の誤報に関して、「パラレルワールドで起きたのだ」と主張していた人がいましたが(奈良の地震は本当に大仏様が止めたのか|幸運の使者ピア健さん異次元ヒーリングルーム)、日頃の主張からして、同類であると考えてよいでしょう。

服薬を止めることで再発

第六章「出発」より。

神奈川県に帰ってきてからは、薬をもらうために、北里大学病院に通ったが、僕はそこの先生とウマが合わず、二〜三回通っただけで通院をやめ、服薬もやめてしまった。薬を飲まなくてもやっていける地震があった。が、この判断は間違っていたと今なら言える。

現状では、やはり、薬に頼るしかないのでしょうか。精神病薬の弊害についても色々言われているのですが、この人の場合は、薬を飲み続けるべきだったと反省しているようです。
難しいものだと思います。弊害があると言っても、一度服用してしまえば、一生飲み続けなければならなくなるもののようです。

大川隆法」が登場

第七章「想像と妄想の狭間」より。

一九八八年の秋から一九八九年の春にかけては、暇な時間、本ばっかり読んでいた。主なものはコリン・ウィルソンの『アウトサイダー』『コリン・ウィルソン評論集』『ルドルフ・シュタイナー』、大川隆法の『ピカソ霊示集』『高橋信次霊示集』、ジョン・ウィナーの書いたジョン・レノンの伝記『Come together ジョン・レノンとその時代』、それにいくつかの小説である。
(中略)
大川隆法の本は、当時はまだ「幸福の科学出版」ではなく潮文社と土屋書店から出ていた。『高橋信次霊示集』は、一九八六年七月の、ちょうど僕がおかしくなり始めた頃に大川氏が受けた霊示で、八章から成り立っており、最後の第八章が収録されたのが七月二十六日、すなわち、僕が新しく生まれ変わった日である。

著者が「大川隆法」に言及している部分はこれだけですが、この記述から推察するに、「幸福の科学」出版になった後も、読んでいるということでしょう。自分とのシンクロニシティを感じていたようです。
その他、面白かったです。大川隆法との親和性は非常にあると感じました。性格の違いや環境の違いで表現の仕方が異なっているだけで、質的に見れば「同類」と言って差し支えないかと思います。

精神科医・岩波明氏による解説

これがとても良かったです。

精神医学には「妄想知覚」というタームがある。これは通常の外界からの刺激に対して、特別の意味づけを行なうものであり、患者本人はその内容を強く確信していることが多い。例をあげれば、道を歩いていて黒い犬を見たときに、「これは自分の父親が死んだという知らせだ」とひらめくような場合である。
また現実にそぐわない考えが突然浮かび、それを直観的に確信してしまうことも生じる。たとえば「自分は社会を変革する使命を与えられた特別な人間だと急にわかった」などといったものであるが、これを「妄想着想」と呼んでいる。妄想知覚や妄想着想は、初期の統合失調症でよくみられる症状である。

とか。妄想知覚や妄想着想は、大川隆法や「幸福の科学」信者にも多いですね。

これなどは、明らかに「妄想知覚」です。