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幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

『宗教問題5』(白馬社刊)

「藤倉義郎」で検索したらヒットしたので、買ってみました。

どういう雑誌か

公式サイトによると、白馬社というのは、「仏教書・人文書の出版社」となっています。
「宗教問題」という雑誌は、

『宗教問題』は次のことがらに資することを念願している雑誌です。

宗教による人心救済・社会貢献活動
宗教を求める人の研究活動
宗教に生きる人の実践活動
宗教に起因する問題の解決方法
宗教に対する誤解と偏見の解消

とあります。隔月刊ということで、創刊されてからまだ日は浅いようです。
過去の目次を眺めてみると、創刊号から創価学会の脱会者が登場していたり、オウム真理教について取り上げたりと、カルト問題にも積極的に取り組んでいるようです。上で挙げられている「宗教に起因する問題の解決方法」とか「宗教に対する誤解と偏見の解消」とかに該当する部分でしょう。
今回の『宗教問題5』では、「参議院選選挙と宗教票』ということで、創価学会・公明党に多くのページが割かれていますが、「幸福の科学」も取り上げられ、統一教会に関する文章も掲載されています。日本の三大カルト宗教揃い踏みといった所でしょうか。
こうして、正しい宗教の側からカルト宗教の批判が行われるというのは、良いことだと思います。
以下、内容を少しだけ紹介します。

藤倉義郎「幸福実現党と『信教の自由』の暴走」

いつもの「カルト新聞」の茶化した感じとは違って、真面目な論文を書いておられます。
内容はタイトル通りで、「霊言」によって信者や有権者を脅迫したり(昨年末の衆院選など)、他の政治家を誹謗中傷したり(今年の参院選)したことを説明した上で、

あらゆる自由は公共の福祉に反しない限り保障されるものであって、法律や公序良俗を踏みにじることを正当化できるものではない。

と述べています。
これはその通りで、その「暴走」の度合いは、少しずつ少しずつ進んでいるので、信者も麻痺しているし、アンチやウォッチャーたちも麻痺していたりするのだけど、冷静に見てみると、越えてはいけないラインを越えているレベルの異常です。
残存信者や職員の人も、仮に自分が未信者だった場合、今の大川隆法の言動を見て、「この人こそ救世主だ!」と思うかどうか、よく考えてみたらいいと思います。

犀角独歩「脱会は文化である」

ついでに、参考になったのがこの方の文章でした。第一回から連載をされているようで、今回が第五回となっています。
創価学会脱会者による文章なのですが、「幸福の科学」の場合にもよく当てはまると思いました。
タイトルの「脱会は文化である」というのも、いい言葉です。

米山さんの講演より

以下は、米山士郎さんという同じく創価学会脱会者の講演を抜粋した部分です。

創価学会が言う「退転者」には、「宿業(運命)に負けた者」「師弟の道から脱落した者」というレッテルが貼られる。
しかし、脱会は「文化」。現代人が日常とする「当たり前」への選択である。

幸福の科学」の場合も同じですね。「退会は文化である」ということです。「当たり前」の日常に戻るための道です。

会と会員は、脱会者、非活動家、悩んでいる人、誰に対しても、フォローや謝罪、訂正、問題解決は、まったくしないか、ほとんど何もしない。するのは自分たちが「絶対正しい」という思い込みからの干渉と強要。

これも全く同じですね。私は、大川隆法や「幸福の科学」が謝罪した姿を一度も見たことがありません。また、このブログを通して数十名の信者とも絡んできましたが、みな、大川隆法や教団の姿勢に右倣えでした。

「気がついたら」という「お気楽さ」は大切。原始仏教では「解脱」と言う。だから、脱会の〝脱〟は、仏教らしいのではないだろうか。「脱するのだから、脱会は原始仏教に近い文化」「脱するのだから、脱会は仏教文化」と言えるのかもしれない。
(中略)
最後に「脱会は自然なこと」
これから脱会する人に、そう伝えたい。

私も「退会は自然なこと」と伝えたいです。

「自称カウンセラーの蠢動」

少し似たような状況があったので引用しておきます。以下は犀角氏の文章です。

そうこうしているうちに、巷には怪しげな自称カウンセラーが溢れ、スピリチュアルブームも相まって、ただならぬ状況に陥っていった。その混沌は、今もって変わっていない。素人が、ましてマインド・コントロールも脱けていない者が、軽々しく相談に応じるべきではない。こうした連中に共通しているのは「自分が脱カルトしている」という何の根拠もない自信である。
創価学会を経験した人々は、何の根拠もない自信を持っているものが多い。創価学会という信仰形態が「肥大した自我」「全能性」を錯覚させるものがあったからではないかと思えてならない。
(中略)
脱会者の多くは「脱めると、もしかしたら罰が当たるのではないか」とびくびくしていたのに、「どうやら、大丈夫じゃないか」と、何も起きないことを覚る。その〝慣れ〟をまた、脱カルトと勘違いするのである。
創価学会という組織の中で隔離されている会員より、野に放たれ、何ら責任を負うわけでもなく、自由な発言を繰り返せる彼らは、背を正してくれる人間がいない分、時には現役会員よりも危うい存在なのだ。

これも「創価学会」を「幸福の科学」に置き換えれば、そのまま通用しますね。
要は、退会したからといってそれで終わりじゃないということです。カルト宗教に引っかかってしまったことや、薄々おかしいと気付いていながらなかなか抜けられなかったことについて、自分の中にカルト宗教と親和性のある部分があったのではないかという反省が無ければ、退会しても何も変わらないということでしょう。
創価学会と違うところは、現在の「幸福の科学」は、もう信者の暴走を止めるだけの力もないので、信者でも退会者でも「自由な発言を繰り返せる」という点は変わらないということです。好き勝手に「霊言」をしたり、「私は○○の生まれ変わりである」とか「私は○千万年前にプレアデスから来た」とか「霊が見える」とか「霊人からのメッセージが来る」とか言ったりする輩は、信者の中にも退会者の中にもいます。傍から見れば、どちらも妄想を振りまいている精神異常者に過ぎません。
幸福の科学」退会者の場合、霊的なことは一旦完全に捨てる必要があると思います(「幸福の科学」に於る脱マインド・コントロールの段階(仮説) - 幸福の観測所参照)。「スピリチュアル」から離れて、現実をしっかりと見て、心を安定させる必要があるでしょう。
私は、「幸福の科学」の教えの中で、「正しき心の探究」とか、「地上ユートピアの建設」とかいった目標は、やはり、宗教として普遍的なものだと思います。
「正しく生きよう」とか「世の中をよくしよう」というようなことは、人間としてのよき願いだと思います。そしてそれは、霊的な理由を抜きにしても可能なことです。「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らんや」です。
人を愛するのに、霊的な理由は必要でしょうか?「自分は(他人と違って)霊的真理を知っている」という思い込みが、自分の鼻を高くして、他人を見下してしまい、愛するのとは反対に人を裁いたり排斥したりする原因になっていることの方が多いのではないでしょうか?

追記

信者自ら見事に行動で証明してくれました。

信者はこのように、退会者に対してフォローするどころか、罵声を浴びせかけてきます。「愛」を説いていながら、反対に人を裁き、異なる意見の人を排斥してきます。
内容的には反論するまでもない一方的な思い込みに基づく悪口で、まあ、ガンちゃんがこうなったのは私にも責任があるので(過去に説かれた輪廻説に関して - 幸福の観測所参照)、申し訳ないとも思いますし、可哀想だなあとも思います。

幸福の科学の批判(例えば魂の兄弟理論)の根拠をGLAの高橋信二のパクリだと言っていたと思いますが、過去の宗教や、哲学、思想、神智学人智学、等を学んだわけではないのに、そのかたよった知識で批判するなど、もう問題外です。

ガンちゃんはこのように仰っています。
私は、二十年間信者をやっていたわけで、大川隆法の著作は百数十冊、繰り返し読み込んでいました。退会してからは、「幸福の科学」を批判している本や文章も読みました。擁護する立場も批判する立場も両方知っていますが、それを「かたよった知識」と言うのでしょうか。
信者時代、例えば関谷晧元さんの本などは、「悪魔に憑かれるから読んではいけない」などと言われていましたね。退会してから、私は直接お会いする機会がありましたが、とてもいい感じのおじいちゃんでした(関谷晧元さんにお会いしてきた(追記あり) - 幸福の観測所参照)。到底「悪魔」とは思えませんでした。
「かたよった知識」と言いますが、どちらかと言うと、「幸福の科学」信者の方が偏っているのではないでしょうか。結局、偏った人から見れば、バランスが取れた人が偏って見えるというだけのことのように思われます。
ちなみに、私の批判の根拠は、「その樹の善し悪しは、果実を見れば分かる」という大川隆法もかつて話していた聖書の言葉に基づき、「果実(=信者)がおかしい」と気付いたところにあります。このブログの当初の目的も、その「果実」を白日の下に晒すということでした。(このことは繰り返し書いています。信仰にも段階があるという話 - 幸福の観測所等参照。)
また、ガンちゃんは「学んだわけではないのに」と決めつけています。ふむ、確かに、読書家のガンちゃんから比べると、私の勉強量は随分足りないのかも知れません。それに比べて、ガンちゃんは立派ですね。さすが「幸福の科学」信者です。
まあ、私も乏しい勉強量ながら、私なりに勉強していまして、こういう本は読みました。

神智学」(「学」などとは呼べない代物だと思いますが)から始まって、GLA高橋信次等を経てオウム真理教麻原彰晃や「幸福の科学」の大川隆法に至る流れは勉強しました。オウム真理教や「幸福の科学」を生み出した思想の源流が分かります。よく纏まっているので、信者の方にもオススメです。(決して批判的な内容ではありません。)
ここで学んだのは、それらに一貫して流れている「霊性進化論」という思想自体に人を狂わせるものがある、ということです。
あと、「高橋信次のパクリだ」ということは、私たちの世代としては周知の事実ですが、比較的新しく信者になった方々は意外と知らなかったりします。そういう方は

こちら等を参照して下さい。