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幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

進化論について勉強中

教義批判

幸福の科学」を退会して一年半余り経ちますが、最近、自分がまだ進化論を否定したり、超古代文明を信じたりしていることに気付きまして、進化論について勉強中です。
進化論では、アウストラロピテクスが誕生したのは約400万年前であり、現在のホモ・サピエンスが誕生したのは約25万年前、トバ事変(http://ja.wikipedia.org/wiki/トバ・カタストロフ理論*1)が起きたのは約7万年前。文字を使ったりといった文明を持つようになったのは、ここ数千年のこと。
幸福の科学」その他が言うような輪廻説、「人は何億年も輪廻を繰り返している」といったものは、このような科学的事実に反するものです。少し勉強すれば分かる話なのに、何故、そのようなトンデモな「転生輪廻」説を信じてしまっていたのか。そこがマインド・コントロールの恐ろしさだと思います。

「進化論と創造論 ~科学と疑似科学の違い~」というサイトの感想

少し前にコメント欄で赤猫さんからご紹介いただいた進化論についてのサイト、

こちらを一通り読みました。
幸福の科学」に於る進化論否定論は、決して独自のものというわけでもなく、米国等に於る進化論対創造論の議論を踏襲しているものだということも分かりました。

進化論=唯物論=無神論ではない

幸福の科学」では、それらを全て同一のものとして考えます。マルクスがダーウィンの進化論にヒントを得て共産主義を発明したことで、全てを関連づけて、それらを悪魔の思想であると決めつけてスピリチュアリズムと対置させているようです。
そういうこともよくある議論のようで、このサイトでは、以下のような記述がありました。

Q.進化が正しいとすると、神さまはいないのでしょうか?

A.いるともいないとも言えません。進化が正しいからといって、必ずしも神を否定する事はできません。進化論と信仰を両立させている科学者はたくさんいます。

いいえ、化石の記録、生物の構造の不完全さ、地理的分布、種間の比較といった証拠を元にしてできた科学的仮説です。ダーウィンは「種の起源」では、生命の起源に神の関与があったことを認めています。ビッグバンのときに神の関与があったと考えてもいいし、常に神に導かれて進化してきたという有神論的進化論を信じる人もいるでしょう。進化論が神の不在を前提としているというのは間違いです。

例えば、進化論を否定しないキリスト教徒もいます。むろん、創造科学を支持する根本主義的キリスト教徒は、このような立場を批判します。私は聖書を巡る神学的な論争について評価できる能力はありませんが、私が真偽を評価できる分野、つまり自然科学についての記述を読む限り、創造科学支持者の主張には大きな疑問符をつけざるをえません。一方、進化論を否定しないキリスト教徒は、自然科学の分野についてよく理解しています。

と。
現在の私の立場を述べておくと、進化論は肯定、唯物論は微妙で、無神論は否定的です。無神論ではないと言っても、キリスト教や神道などの人格神が実在するとは思いません。でも、何かに導かれている感じを持つことはあるし、「運命」としか思われないこともあります。それも自分の思い込みなのかも知れないとも思います。そこはまだ分からないので保留です。それとは関係なく、人との縁や絆と言ったものは大切にしていきたいと考えています。
死後の生については分かりませんが、「幸福の科学」が説くような形では存在しないでしょう。「永遠の転生輪廻」なるものはまやかしです。人生は一度きりだと思って生きるべきです。守護霊や指導霊とか精霊とかいうのも妄想です。妄想ではあるけれど、人がそのような概念を持ち出して何かを説明したりするのを否定するものではありません。問題を解決するヒントを得たり、人間としてより良く生きたりするためには、そういう説明の方が分かりやすい場合もあります。そういうものが見えたり感じたりする人を全否定するものでもありません。

「進化論はモラルの低下を招く」ということへの反論

科学から道徳や倫理は引き出せないし、引き出すべきではありません。科学は万能ではありません。科学は、いかに生きるか?人生の目的とは何か?といった価値命題には答えられないのです。そもそも生きる目的に科学が影響するという考えが間違っているのです。論争で、たまに「しかし、進化論では生きる目的がわからないではないか(創造論は生きる目的を与えてくれるのだ)。」という意見が出てきますが、進化論が科学的に正しいかどうかという議論とは関係ありません。

正直で謙虚な意見だと思います。
幸福の科学」では、「無霊魂説だと天国や地獄を否定することになり、悪に対する歯止めが効かなくなる」というようなことで、唯物論を批判したりしています。
私は思うのですが、霊界を信じていても、殺人を肯定するようなオウム真理教や、自爆テロを正当化するようなイスラム教過激派のような人たちはいるわけで、信仰の有無や霊界を信じるか否かといったことと
、道徳的に正しく生きるかどうかということは、因果関係が証明されていません。
「人の嫌がることをしてはいけない」というのは、社会の一員として当然のことです。霊的なことを信じるかどうかということとは全く無関係のことです。
寧ろ、進化論の考え方は、長い歴史のほんのわずかな一部としての自分を自覚させるものであり、人を謙虚にさせる効果があるようにも思われます。少なくとも、進化論を肯定しているならば、「我は再誕の仏陀である」とか「私こそが神である」などと言って人を惑わせるような宗教詐欺師が登場することはないでしょう。

「科学主義」の否定

論旨としては同じですが、このようなことも述べておられました。

科学主義とは、いってみれば「科学が真理に至る唯一の方法である。宗教なんて必要ねえや。科学マンセー」って立場。科学主義に立てば、神の非存在証明ですら、科学的な方法論で可能と考える。NATROMのサイトは科学主義の立場には立っていない。扱っている内容のために、科学主義であると誤解されやすいし、実際に誤解する人もいる。しかし、注意深い読者は、科学主義であると誤解されないように、NATROMが努力していることに気がついていると思う。

私も少し前に科学万能主義に対して批判的なことを書きましたが(大田俊寛さんインタビュー「なぜ人間はオカルトにハマってしまうのか?」 - 幸福の観測所)、このサイトの著者もだいたい同じ考えをお持ちのようで、安心しました。

まとめ

どうやら、「進化論」というのは、人類の思想史から見ても、かなり重要なことのようです。一方ではそこからヒントを得たマルクス共産主義を生み出し、もう一方では、同じくそこからヒントを得たブラヴァツキー夫人がスピリチュアリズムに取り入れて霊性進化論を生み出した。*2
まあ、もうちょっと勉強してみます。以前、楽山日記で紹介されていたドーキンスさんの本あたりから読んでみようかと思います。
神秘といえば、「神が人間を創った」ということより、数億年かけた進化の歴史の方が神秘を感じます。肉体の他に霊魂があるというより、成分的には土や水と何も変わらない人間が、このような高度な思考ができたりすることの方が神秘的です。
神秘といえば、物の存在ほど神秘的なことはありません。物が存在するということ、それを意識できるということ。とても神秘的なことです。
霊魂があるとすれば、肉体そのものが霊魂でしょう。神がいるとすれば、世界そのものが神です。この世界を離れてどこか他に真実の世界があるものでもないでしょう。天国・地獄があるとすれば、それはこの世界にあるのであり、各自の心の中にあるものです。
私は、唯物論もスピリチュアリズムも、究極では繫がってくると予想しています。
唯物論を否定するスピリチュアリズムは、スピリチュアリズムを否定する唯物論と同じぐらい間違っている、と考えます。

*1:私は今日、生まれて初めてこのことを知りました。「幸福の科学」信者だった時、如何に不勉強であったか、真理に対して無知であったが分かります。

*2:追記:コメント欄でツッコミを戴いています。