幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

オックスフォード白熱教室第一回「素数の音楽を聴け」の感想

録画しておいたのを見た。いやあ、面白かった。
数学こそは、人類が着実に積み上げてきた真理の代表的なものである。デカルトが考えたように、世界は数学で表せるものだと私も思う。
今回、フィボナッチ数列倍音の話も出てきたが、数学と芸術はかなり近いところにあるものである。普段は別々のものと思われている感性と理性が突き詰めていくと繋がってくる。これは、理性の側から見てもそうであるし、感性の側から見ても、そうである。オイラーの等式といったものは、「美しい数式」と呼ばれている。真理というのは、いつの時代・どのような場所で・誰が見ても、美しく・正しいのであるなあと改めて思った。

幸福の科学」と数学

ちょうどアンチのルジェさんも大川隆法の理系に対する無知を指摘していた(2chでも言われてるけど、大川は小学校の理科から勉強しなおせや|元二世信者、ルジェの幸福の科学観察日記)。
以前に紹介した、

この方なども、未だに信者ではあるようだが、大川隆法の数学的無知と美的センスのなさを指摘していた。やはり、数学的センスと美的センスは近いところにあるものなのだろう。
今思えば、「幸福の科学」では、不当に理系が貶められていた。理系よりも文系が偉いとされ、「文転の秘法」なる祈願(研修?実はよく知らない)もあったりした。これも二世信者にとっては大きなマインド・コントロールであった。私などは、元々、理数系が得意で国語や社会が苦手だったのに、進学について悩んだ折、当時相談した学生部担当の講師(確か安岐という名前だった)に勧められ、当時通っていた大学を辞め、無理に文転して文学部へ進んだ。
もし、「幸福の科学」に誑かされていなかったら、私は数学者を目指していた可能性も高い(目指してもなれたかどうかは分からないが)。つくづく、私の人生は「幸福の科学」によって狂わされたと思う。一体、彼らは人の人生を何だと思っているのか。

メモ

番組中で紹介されていたエンリコ・ボンビエリという数学者の言葉。
「物事があまりに複雑になり過ぎたときは、そもそも正しい質問だったのか問い直すべきだ」と。色々な場面で応用ができそう。