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幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

信仰を持った親は絶対に反省しない

二世信者

例の女子高生殺害事件、両親とも信仰者だったようだ。

テレビ、新聞、ネットと連日、高3女子刺殺事件が報じられています。一昨日に伝えられた被害者のご両親からの言葉には「娘は天国」「神様の御許」などの表現がありました。「もしかしてクリスチャンホーム?」と思いました。そして、昨日のニュースでは「前夜式」という掲示と教会らしい建物が画面上に。報道では、配慮からでしょう教会名を特定せず教会であるだけ報じられています。実は前夜式の会場は福音派の某団体に所属する教会であります。被害者が洗礼を受けているか、教会生活を送っていたかは、私には不明です。

とのこと。
以下は推測であるが、加害者である池永チャールズトーマスの方も、フィリピン人と日本人とのハーフであることや(フィリピン人の9割以上はクリスチャン)、「神様反省してるので助けてください」などと言っていること(【三鷹女子高生殺害】池永チャールストーマス容疑者「押入れなう。かなりストーカーじみてる。神様助けて。詰みました」 友人にLINE : 瞬速ビフォーアフター)等から推測するに、クリスチャンの可能性が高そうである。
これは推測であるので、今回の事件には当て嵌まらないかも知れないが、一般論として言うと、二世信者的な視点からすれば、相手が「同じ信仰を持っているかどうか」というのはかなり大きなウエイトを占めるのであり、信仰が同じということで安心して付き合い始めたのではないだろうか。宗教の二世信者というのは、無神論者や別の信仰を持った人に対しては強い警戒心を持つ一方、同じ信仰を持つ人に対しては簡単に心を開くという、極端な傾向があるものである。

子供に対する「伝道」は、精神的虐待であると思う

未成年に特定の宗教を教え込むということは、人付き合いや認識する世界をその宗教の中に閉じ込めてしまうという点で、非常に問題が大きい。
幸福の科学」というカルト宗教の二世信者として、親のせいで多大な迷惑を被り、人生の大半を棒に振ってしまった経験を持つ私としては、未成年に対する伝道は禁止すべきだと思う。それがカルトであるか否かは問わない。親の信仰を子供に押し付けるというのは、親の勝手な我が儘であり、横暴である。子供の精神的な自由を奪うものであり、人生そのものを狂わせるものである。
しかも、信仰を持つ親は、例外なく、善意で以て、子供に信仰を押し付ける所が何よりの問題である。(周りの信仰者たちもそれを良いことだとして勧める。)信仰者というのは、自分の信仰に対して(根拠のない)自信を持っている。神を信ずることは正しいことであり、無神論や唯物論は間違っていると固く信じている。その信ずる根拠は何かというと、実は、自分勝手な思い込みに過ぎない。神の存在や、特定の宗教を信ずることの正しさというのは、客観的に証明できるものではない。にも関わらず、信仰者というのは、神を信ずることは正しいと思い込み、「無神論や唯物論は間違いである」とか、「悪魔の思想である」とか決めつける。
信仰者の頭の中は、何事も「神」が中心であり、人間が中心ではない。理想だけを掲げて、現実を見ない。
だから、今回の事件の例でも見られたことだが、子供に何か問題が起きても、「自分の信仰が間違っているのせいで子供が不幸な目に遭っているのではないか」とは絶対に考えない。信仰こそが絶対のものであり、あらゆることの前提になってしまっているからである。しかも、こういう態度が信仰者の理想の姿とされるのである。
かくして、信仰を持った親は絶対に反省しないということになり、子供は常に親の「信仰」の犠牲となるのである。
私には、「信仰を持つ」という行為そのものが精神的に異常な状態なのではないかと思われてならない。本物の信仰者というものがいるとしたら、それは常に自分の信仰が間違っている可能性を考え続けることのできる人だと思う。本物の信仰者というのは、例えば『神は妄想である』というような信仰そのものに対する批判も、頭から否定せずに正面から受け止めて、常に自己矛盾と戦う者だと思う。「自分の信仰は間違っているかも知れない。しかし、それでもなお、少なくとも今の自分にとっては必要であるから信仰は続ける」というのならそれでよい。そういう自覚のある人は、自分の子供に対して信仰を押し付けることはしないであろうとも思われる。

ダライラマ14世の言葉


私はダライラマ14世のこの言葉で、ダライラマに対するイメージが変わった。以前は見た目で判断して、ただのギトギトした小汚いおっさんかと思っていたのだが、なかなか物分かりのいいおっさんだったようだ。それでも偉いとは全く思わないけれども(最高の賛辞)。こういう態度が寧ろ人間として当然であり、自分の信仰を絶対的正義と信じて疑わない「信仰者」たちが人間として異常過ぎるだけである。

追記:ローマ法王の言葉

そういえばこんなニュースもあったなあと思い出したので追記。

フランシスコ法王は22日午前のミサで信者を前に、「主はキリストの血によって、我々すべての罪を救った。カトリック信者のみならず、すべての人を」「無神論者さえも」と語った。さらに「我々は互いに善行を行わなければならない。無神論者であっても善行を行いなさい」と続けている。

信仰者というのは、概して思い込みが激しく、そのくせ自己を正当化する理屈を並べるのだけは得意だったりする。そんなキチガイの集まりのような宗教界の中にあっても、トップら辺にいる人は、ダライラマにしろローマ法王にしろ、意外と物分かりのいいおっさんが多いようだ。

追記2:「幸福の科学」信者の実例

ちょうどタイミングよく、現在進行形で行われている子供に対する精神的虐待の事例が見られました。

こちらからどうぞ。