幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

アンチの側は、よく「退会したら幸せになれる」ということを言うし、私もそう言ってきたけれど、退会して一年半経ってみると、実感としてはそうでもない。真実を知らずに信じていられた方が幸せだったのではないかと思うことがよくある。ただ、あのまま続けていたよりはましなのだろうとは思う。
信仰していた当時は、自分自身は神の子(仏の子)であって、神々の主であるエル・カンターレを信仰しているという点で、他の人よりも魂的に優れており、他の人よりも偉大なる使命があるのだと思っていた。そうやって自尊心をくすぐられつつ、「だから教団のために全てを捧げよ」と言った形で、今思えば、飴と鞭で教団にいいように操られていたのだと思う。
今から振り返ると、当時、既に私は精神的に病んでいたのだ。種村氏がブログで「依存性人格障害」ということで連載しているが、恐らく、似たようなものが私にもあった。教団内で「信仰心篤い」と言って褒められるような態度ほど、実は精神的には病んだ状態であったのだと思う。
私は、今でも自分自身が精神的に病んでおり、治るどころか、より酷くなってきているのではないかとさえ感じる時がある。ちょうど今もそう感じている。「マインド・コントロールから脱する」ということ以外に、「精神的な病を治す」ということの必要性を漸く感じてきている。しかしまあ、波はあるものの、トータルで考えると、徐々に抜けてきて、よくなりつつあるとは思う。
信者であった頃、特に末期の数年は、全て人任せというか、神様任せで、すっかり生きる気力とか意志とかを失い、何をする気も起きなかったものである。今もそれを引きずっている。夢とか希望とかは一切失ってしまった。本当はやりたいことがあったりもするのだが、手につかない。薄ぼんやりとした意志しか持つことができない。普通なら一日で読み終えられるような本が、何ヶ月、時には一年以上もかけて漸く読み通せたりする。
自分は何のために生きるのか?カルト撲滅のためだけなのか?とすると、退会しても、結局、大川隆法に一生を捧げるしかないということではないのか?
これがカルト宗教にどっぷり浸かってしまった人間の末路である。退会しても、すぐに幸福になるなどということはない。今まで築いてきた人間関係も、大部分は壊れてしまった。かつては宗教に入信することで一旦それまでの人間関係が破壊されたが、今度はまた退会することで、今度は教団内で築き上げてきた人間関係がすっかり破壊されてしまった。退会して新たな繫がりはできたものの、完全に心を許せる人たちというのはそう多くはない。
リチャード・コシミズさんの集まりにも行ったし、大本信徒連合会の人たちとも交流した。心検にも行ったし、色々なパワースポット巡りもした。でも、信者時代の支部や精舎のように、「ここへ行けばどんなときも安心」という場所は無くなった。「幸福の科学」に限らず、宗教というのは、安心を与えてくれるものなのだと思う。依存と引換に、安心を得られるのだ。様々な弊害が指摘されても宗教が無くならない理由は、そこにあるのだろう。
更に、アンチ同士の間でも、かつて同じ信仰を持っていて、同じく退会した人間とは思えないぐらい相互理解は無いことの方が多い。一般の人と交流しても、完全に一致する価値観を持った人とは出会えない(信者時代であれば、支部や精舎に行けばそこらじゅうにいたのに!)。誰も私のことを正しく理解してくれる人などいないと思う瞬間が一日に何度もある。
こうして考えてみると、退会しなかった方が、主観的には幸せだった可能性も高い。仮に退会しても、何らかの宗教や団体に属して居た方が確実に幸せであると思う。昨年末、「幸福の科学」を退会してから約一年ぶりに、他の宗教(大本教)の研修を受けた。あの居心地の良さは宗教施設独特のものだと思う。現在の私はもう無神論者であるので、もう一度行きたいとは思わないが、それを必要としている人は多く、必要としている人が多いから宗教団体というのは連綿として続いていくのだろう。
だが、私は退会してアンチになって後悔したことは一度もない。後悔とかそういう次元の話ではなく、水が高きから低きに流れるように、私が退会に至ることは自然なことであり、なるべくしてこうなったというだけのことである。人それぞれ、何に価値を感じるかということは違う。感性を重視する人も居れば、知性を重視する人もいる。社会的ステータスを重視する人もいれば、個人の満足を重視する人もいる。私の場合は、日々の幸福感よりも、より正しい真実を知ることができたということの方が価値が高いのだろう。
現時点では、幸福感は無いし、孤独感は強い。信者時代から続く無気力状態も断続的に続いている。それでも後悔はしていない。もともと、人生とはこういうものなのかも知れないと思う。「人生とは重き荷を背負うて遠き道を行くが如し」だったか、徳川家康が言ったとかいう言葉が思い出される。誰しも悩みのない人間などはいない。私の人生にとって、カルト宗教の問題は大きくて、その精神的被害というのは、目には見えないものであるのでどれほど大きなものなのか、それとも小さなものなのかは外からはよく分からない。内からもよく分からず、原因も、それが単に両親の影響であるのか、それとも教団の影響であるのか、そういうこともよく分析してみないと断定することはできない。今言えることは、ちょっとやそっとで治るものではないということを実感している、ということぐらいである。
一つだけ思うのは、私の経験から言わせてもらうと、やはり、退会者の心のケアの場はどうしても必要だと思う。上祐氏がオウム解散後も「ひかりの輪」などという団体を作って、様々な批判を浴びているが、上祐氏の立場も理解できなくはない。世の中には、必要悪ということもある。全ての人間が一色に染まることもない。色々な人がいていい。私は、自分の経験からして、「団体を作るな」とは言えない。「信仰をやめろ」とも言えない。マルクスが言ったように、宗教はアヘンではあるが、必要な人もいるのだ。
私自身は、もう一度何かの宗教に入信したいとは現時点では思わない。孤独であっても思想的に自由である方がいい。私は一生、自分の足で立って歩いて行きたい。