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幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

退会したからと言って幸せになるとは限らない

アンチは「幸福の科学」のやり方を反面教師として学び、いいことも悪いことも伝えるべきである

アンチは「エル・カンターレは疫病神だ」と言って、「退会すれば幸福になる」ということを言っている。私もそう言ってきたし、実際に実感もあったが、そうではない面もある、というのは前回の記事で書いた。
私が信者時代から教団に対して常々不満であったことは、「イイシラセ」などと言って、教団に都合の良い情報だけを伝達し、教団に都合の悪い情報は、一部幹部のみに止めておき、信者には知らせないという体質があったことである。
「○○さんが○名伝道されました!」とかいう話や、「○○祈願を受けて○○が治った!」とかいう話は流れるけれど、「○○さんが退会されました」とか「○○祈願の甲斐なく残念ながら亡くなりました」という話は決して流れることがない。
所謂「大本営発表」と同じで、教団発表だけを鵜呑みにしていると、さも教団は大発展していて、信者一同はみな幸福に暮らしているように感じるが、実際はそうではない。そのことが最も象徴的に現れたのが、2009年の衆院選であった。選挙戦の情報と結果が余りに乖離し過ぎていた為、現実を知った活動信者の大量脱会ということに繫がった。
この教団の体質を反面教師とするならば、人の信頼を得るためには、日頃から正直に話すことを心がけなければいけないということである。
もちろん、「退会すれば幸福になる」というのは、ある程度は当たっている。金銭的には教団に対するお布施の分は確実に豊かになるし、行動面でも、「伝道」とかいうことに拘束されることもない。心の拠り所は無くなるが、それは自由になったということである。それまでの「信仰心」が深ければ深いほど、それだけ依存していたということであるから、退会したときの心の空虚感は大きくなるが、それも一時的なものである。世間には他の宗教もパワースポットも溢れており、何でも信仰するのは自由である。「幸福の科学」よりもまともな信仰対象は幾らでもある。
それから、人間関係は、教団内の人とは疎遠になるが、教団外の人とは逆に親密になる。どちらも得失はある。しかし、退会したからと言って、「信仰」によって一度自分から離れた人が戻ってくれるという保証はない。退会したと言っても、一度カルト信者になったというだけで、我々の判断力に対する信頼性が大きく失われていることは、覚悟しておかなければならない。退会しても、「元カルト信者」ということは、一生ついて回るレッテルである。

私の母の場合

私の母は1990頃に信者となり、その影響で私も信者となった。約二十年後、私は2011年末に退会した。母には報告はしなかったが、やがてバレた。そのときは、「TSI研究会」というアンチブログをやっていたのだが、それをやめろと言ってきた。当然無視したし、「あなたには『幸福の科学』はお似合いだから、一生続けていればいい」というようなことも言ってやった。
その後、2012年の春に、種村氏の除名騒動があった。私の母は種村氏にはよくお世話になっていたようで、尊敬の念を持っていたようである。それで、心検ブログを読み、私の母も心検に訪れ、退会を決意したようである。
今年に入ってから帰省した時、「御本尊」や書籍の類は、目の届かない場所へ隠されていた。「祭壇型御本尊」の祭壇だけは残っていた。代わりに神棚があり、天照大神の神札などが設置されていた。
今年の夏になり、その「祭壇型御本尊」の祭壇も処分したそうである。ところがその後、秋になり、車を運転している時に単独で交通事故を起こし、足や腕の骨を折る怪我をした。母は「反省しないから罰が当たったのだ」と言っていた。「『幸福の科学』を退会したから罰が当たった」というのではなく、「カルトに入信して子供たちを始め多くの人を迷わせてきたのに、そのことを反省しないから罰が当たった」と本人は思ったようである。
私は、以前から、運転中に注意散漫になる母の姿を見ていたので、「単なる不注意だろう。そもそも神様は罰を当てないし、罰を当てる神様なんて存在しない」と言って慰めておいた。私の母などは、退会しても、一生、そのような迷信やオカルトやスピリチュアリズムから逃れることはできないだろう。単なる老化や躁鬱病等の精神疾患から来る自分の不注意を「神様」のせいにするような発想から逃れることはできない。
不幸中の幸いか、骨折と言っても何とか治ったようではある。
「『幸福の科学』を退会したから交通事故に遭ったのだ」とも言えるし、「この程度で済んだのは『幸福の科学』を退会したおかげだ」とか「これは厄払いのための事故なのだ」という風にも言える。いずれも根拠のない勝手な妄想である。
ちなみに、私の母は、信者時代も不注意から人身事故を起こしたりしたこともあったし、病気で入院したこともあった。退会後は、事故は起こしたものの単独だし、まだこれと言った病気はしていないようである。
「信仰」とか「運命」とかいうことに逃げずに、自己の健康管理は(肉体面・精神面ともに)自分で責任を持ってやって欲しいものである。いつまで「神様」に甘えているのか。人間は自分の足で立てるように設計されている。肉体面でもそうだし、精神面でもそうなっている。正体不明の「神」などというものに頼ろうとするから、倒れてしまうのである。

「信仰」そのものに付随する弊害

自分の責任を自分の責任と考えず、神様のせいにするのは、私は、「信仰」そのものに付随する毒(弊害)だと思う。「私は神様を信じているから護られている」などと考えて油断するから、交通事故に遭ったりするのである(「幸福の科学」信者が交通事故に遭う確率は高い? - 幸福の観測所参照)。それは退会して別の信仰を持ったとしても変わらない精神的傾向である。「間違った信仰を持つから不幸になる。正しい信仰を持てば幸福になる」というのは、正確ではない。特定の神や特定の宗教に対して信仰を持つ行為そのものの中に、不幸になる種があるということだと私は思う。何かに依存して安心を得るような精神であってはいけない。

「自己責任の原則」の間違い

前段と少し矛盾するようなことになるが、もう一つ、退会しても消えない悪しき精神的傾向として、「業(カルマ)」の思想に基づく「自己責任の原則」がある。人の不幸を見ても、「あの人自身の課題だから」と言って、手を貸そうとはしない。これは信者に共通の傾向であるが、退会者も同じく困っている人を救おうとする人が少ないように思う。私も含めて、冷たい人間が多い。
「『幸福の科学』には被害者の会がない」ということがよく言われる。信者側からは、そのことが「幸福の科学」がカルトではないことの証拠のようにも取上げられることがある。実際には、退会者は多いし、何百万円、何千万円と騙し取られた被害者は多い(ここまで教団が急速に発展してきたのがその何よりの証拠である)。でも、みんな、自分に対しては「騙されたのは自分の責任だから」ということで黙ってしまうし、他人に対しては「外野が幾ら言っても、自分で気付かないと結局分からないから」ということで、他人の退会や脱マインドコントロールに手を貸そうとしたりもしない。アンチは総じて信者と同じく冷たい人が多いように思う。
二世信者の現状は、このブログでも度々紹介してきた(「統一教会」と「幸福の科学」に見るカルト教団二世信者に共通の被害 - 幸福の観測所など参照)。自殺未遂を繰り返しているという内容もあった。人の生命や人生そのものが掛かっているものである。もちろん、宗教関連でなくとも、世の中には不幸な種は幾つもあり、「毒になる親」は、カルト信者以外でも沢山いる。何も非がなくても凶悪事件に巻き込まれることだってある。しかし、だからと言って、カルト問題が些末な問題になることはない。私はカルトと関わった人間として、やはり、カルトの被害を少しでも食い止めたいし、何とかカルト被害者の心の癒しの手助けもしたいと思う。そういう思いはあっても、私も力が及ばないことだらけなので、心ある読者の方には、カルト撲滅及び被害者救済のために、立ち上がって戴きたいと思う。目の前で行われている不正を知りながら何もできないとか、自分と関わりのある人が不幸になっているのを知りながら何もできないというのは、やはり悔しいし悲しい。
私はもっと退会者に声を上げて欲しいし、被害者の声をもっと広く集めて「幸福の科学」というカルト教団の実態を世の中に知らしめることが重要だと思う。「一見まともに見えるけれど中身は危険なカルトなのだ」ということを認知して貰わなければならない。そういう現状を見て、残存信者たちもまた客観的に教団を見て脱マインドコントロールが進むということもあるとも思う。
ということで、時間や力がある人には、多くの人を救うために、是非、「被害者の会」の設立を目指して戴きたいです。私は先頭に立ってやる時間も能力もないのでできないけれど、協力は惜しまないつもりです。ただし、退会してもオカルトやスピリチュアルに傾倒している人たちとは、私は一線を画させて貰いたいです。その立場は理解しないではないけれども、それでは世間から見たら「カルトから分かれたカルト」としか見られないので。