幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

アンチなのに教団から離れられない人たちへ

別のカルトの話

前置きの話です。

佐々木あやみさんという方の実体験を元にされた話のようです。具体的な宗教名は挙げられていませんが*1、私はとても共感しました。
特に共感した部分を抜き出してみます。

「宗教」が入ってくると、善悪の基準が完全に変わってしまう。法律が定めていようが、社会常識的に悪とされることであろうが、「これが正しい」と教えていればそれが法律にも優先する絶対正義。誰になんと言われようが、たとえ逮捕されようが、自分が悪いことをしているなんてこれっぽっちも思わない。

幸福の科学」でもその通りでした。教えに照らし合わせて自己反省したりするうちはまだましですが、「絶対神の教えを熱心に信仰している私の考えも絶対に正しい」という風になったらもう大変です。家庭内で、親の単なる我が儘(自己中心主義)が、「神」や「信仰」の名の下に家族(子供)に押しつけられることになります。

カルトの中で育てられた子供は、往々にして、幼いころから教団以外の世界を知らない。不信者の友達と遊ぶことや、テレビや音楽などのごく一般的な娯楽さえ禁じられて、ごく限られた狭い範囲での人間関係しか知らずに育つ。自分のいる世界の異常さに気付かないし、気付くことを許されない。

これもその通りです。「幸福の科学」の場合、非信者の友人と遊ぶことや、テレビや音楽は禁じられてはいませんでしたが、それでも特定の番組や音楽を「地獄的な番組」とか「地獄的な音楽」とかいう風に言われ、見ないようにマインド・コントロールされます。子供の好みとかが、気付かない間に親(の信じる宗教)の価値観に沿うようにコントロールされてしまいます。しかしそれは本当の子供の本心とは違ったりして、その本心と被せられた仮面の心との食い違いにより、子供の精神は歪んで育ってしまうのだと思います。

そのため、子供は往々にして、教団から追い出されることを恐れる。外が悪い世界だと教え込まれているというのもあるけれど、教団の中だけで育った子供にとって、教団から追放されることは自分の生きてきた社会から抹殺されてしまうに等しい。

それでも、成長するにつれてだんだんと外の世界が見えてきて、自分のいる世界の異常さに気付く。それでも、抜け出すのは容易ではない。教団外の交友関係を厳しく制限されてきた子供にとって、宗教から抜け出すことは往々にして、それまでの友人・親戚・家族関係のすべてを断ち切ることを意味している。

幼いころから、成功も失敗もすべて、その教団の価値基準で判断されてきたため、社会に出るとそれまで自分が「正しい」と思っていたことがいともあっさりと覆されることを知る。その価値観の違いを受け入れられず、自分の居場所は教団の中にしかないと考えて、結局教団に戻ってしまう若者も多い。

この辺について、私自身は、人間関係を断ち切ることを決意できたから何とか逃れられたけれど、全ての人がそうではないのは見てきました。心情的にはもう教団に愛想を尽かしていても、「結局教団に戻ってしまう」という人も見ました。間違いだと知っていながら、様々なしがらみがあって離れられない。私はそれが凄く悲しいです。
二世信者は、学校や社会に出ることができずに引きこもりになったりする子も多く見てきました。このブログでも、自殺未遂をする子の例なども紹介してきました。
学校にも社会にも居場所がないし、家庭にはカルトがあって、どこにも逃れる場所もなければ逃れる術が知らない。どう足搔いても絶望しかないから、自殺もしたくなる。私もそうだったから、その気持ちはとてもよく分かります。
でも、上記引用のように、「それまでの友人・親戚・家族関係のすべてを断ち切る」という決意をして、今までの人生を全て捨て、新たに生まれ変わるつもりで生きていけば、何とかなります。長年教え込まれてきた世界観を変えるには時間が掛かるけれど、教団を離れて社会の中で勉強をしていけば、無神論や唯物論を受け入れられるようになるまで思想的に自由になることができることは、私が実験台となって証明しました。(必ずしも無神論や唯物論が絶対に正しいと言っているのではないし、そうなることを勧めているわけでもない。)

アンチなのに教団から離れられない人たちへ

どのカルト教団もそうだと思うが、「幸福の科学」にも、正しいものはある。「正しいものはある」というより、大部分は正しいのである。詐欺師というのも、99%は正しいことを言って、残り1%で噓を吐くという。同じように、カルトも大部分は正しいことを言う。だから、多くの人がそれを良い者だと信じて(騙されて)しまう。しかし、その教えの「大部分」以外の中にある、ほんの一部の毒が、人を狂わせるのである。
二世信者などで、教団がおかしいと知りながらも離れる決意ができない人は、その教えの大部分を占める良い所を見ているのではないかと思う。「こんなに良い所があるのだから、多少の悪は仕方がない」などと。
しかし、それを言うなら、他の宗教も大部分は正しいし、宗教でなくとも、殆どの人間の大部分は正しい。犯罪者であっても、日頃は品行方正であったりするのである。「まさか、あの人があんなことをするなんて信じられない」というのは、どの犯罪でも聞かれることである。つまり、表面上は何の問題もないような人でも、ほんの一部の精神異常やほんの一瞬の気の迷いが、大きな事件や事故に繫がったりするということである。
だから、ほんの少しの毒であっても、それを見過ごすことは大きな不幸に繫がるものである。特に、宗教というのは、その人の思考や行動の根底にあるものである。ほんの少しの毒が、大きな間違いを生み出したり,大きな不幸に繫がったりすることになる。
別の言い方をすると、たとえ「ほんの少しの毒」であっても、飲み続ければ蓄積されて徐々に体を蝕んでいく。同じように、カルトの教えの中の「ほんの少しの間違い」が不幸の種となり、回り回って大きな不幸を生み出すことにもなるのである。
教団がおかしいということが確信できているのであれば、断固としてカルト教団カルト教団関係者とは縁を切る決意をするべきである。全てはそこから始まる。「捨てる神あれば拾う神あり」という諺もある。「百尺の竿頭に更に一歩を進むべし」という禅の言葉もある。
道なき道と思っても、自分に見えていなかっただけで、実際には道はあるものである。どんな二世信者であっても、カルトから逃れることはできる。

*1:別の人が「エホバの証人と似ている」という指摘はしている