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幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

「心・精神の病気と健康の心理学」が素晴らしいので再びご紹介

アンチカルトブログ紹介

以前にも紹介したことがある心・精神の病気と健康の心理学の最新記事からです。

Part1ということなので、続きも気になりますが、とても参考になるので全文を読んで戴きたいです。
一部引用してご紹介します。

「認知的不協和」というのは、人々が自身の中で「信じているもの」や「世界に対しての理解」と「矛盾する認知」を同時に抱えるような時、例えば、目の前の事実や新しい事実を突きつけられ不安に脅かされるような時、「自己矛盾」から人は葛藤・疑念・不快感を生じます。つまりこれが「不協和が存在する状態」です。

例えば、愛する身内の死とか自分自身の病気とか学業や仕事での失敗・挫折とか、自分ではどうすることもできないような不幸に見舞われた時、という風に私は解釈しました。

「認知的不協和」が生じた時、「教義」や「教祖」を盲信する者は、常に「自分の信念・行動」の方が正当化され、「新しい客観的事実」の方が否定されるか、あるいは「確証バイアス」がそこで使われ「新しい客観的事実」を我田引水的に教義の正当化に使います。
こうすることで「新しい事実」は教義と対立する否定的存在ではなく、むしろ教義の正しさを裏付けるものである、という「合理化」を行い「認知的不協和」の解消を行うのです。これは特に神秘系カルトやスピ系が信者や自分自身の「疑念対策」として多用していますね。

このカルト信者批判の部分は、「幸福の科学」元信者としては非常によく分かります。
幾ら予言が外れても、選挙で負けても、過去世認定がコロコロ変わっても、過去の教えと矛盾していても、教祖の行動が品行方正でなくても、どうして信者で居られ続けるかということの理由が分かります。
少し飛びますが、

依存しないで自立できるならそうすればいい。だがそう出来ない人もいます。そういう人を「どう適切に支え、どう適切に守るのか?」ということを蔑にしてきたから、自殺者が溢れ、カルトやスピ系が蔓延るんですね。
その現実を、適切に支えるシッカリしたシステムがなさすぎるわけですね。適切なシステムがないからこそ、逆に「不適切な依存」が生じ、またそれを食い物にする人が出てくるわけです。
「依存すること」は何もかも悪いわけではありませんし、心理学的に見て「完全に依存がない人間」などこの世には存在しません。「不適切な依存」をしない、それが自立した大人の在り方ですね。

この辺りの指摘もなるほどと思いました。アンチカルトとしては、もちろんカルト団体批判をするのは当然なのだけど、単に一カルト団体が悪いというのではなく、そういうカルトを生み出してしまった社会システムの方にも問題があるんやで、ということも言わないといけないのだと思いました。
私も死ぬまでアンチカルト及びアンチオカルトは何かしらの形で続けていきます。時間はかかっても、社会全体としてはよい方向に向かっているということを私は信じています。

神や霊は存在しないということ

ついでなので書きますが、私が無神論や唯物論に転向したというと、元信者の方々からも大いに反撥を受けるようなのですが、そういう方にはついでに以下の記事も読んで戴きたいです。

私もまだ考えが整理できていないのであれですが、ぼんやりと考えているのは唯物論とスピリチュアリズムの融合です。こちらの記事には全面的に賛成というか、知識の量も全然違うので、ただただ非常に参考になるばかりです。私もまだここまでの認識には到達していません。このような柔らかい言い方ができるようになれれば、そんなに反撥を受けたりしないのかも知れません。
いつも関心することばかりで、ブログでは勿体ないし、もっとじっくり読みたいので、いつか書籍化して欲しいです。