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幸福の観測所

反社会的宗教団体「幸福の科学」の批判を中心としたアンチカルトブログです。

『忍耐の法』公式サイトが病気

twitterを見ていたら、


こんな指摘がありました。
動画の他にも「忍耐体験(http://nintai.irhpress.co.jp/experience/)」なるページがあり、そちらもなかなか病的だったので、幾つかピックアップしてご紹介します。

高校で3回告白して、3回フラれました。
まさに忍耐。
時が過ぎれば、どうってことのない小さな出来事。
その時はもう「人生終わった」と本気で思いました。

解決してねえ!というか、単なる「失敗体験」であって、「忍耐体験」ではない気がします!

中学3年生は、私にとって、悪夢の1年でした。
叔母さんが胆石で入院したことから始まって、父が十二指腸潰瘍で血を吐いて倒れ、最後は一生懸命に頑張っていた陸上部での引退試合で肉離れを起こし、年末に妹が病気で他界。
松葉づえを抱えたまま、お葬式に出ました。
そこから高校3年間は、花の女子高生を満喫する一方で、なんとなく憂鬱な気持ちが抜けませんでした。
その後、大学に入り、なんとなく幸福の科学の学生部に行きました。
一生懸命大川総裁の本を読むようになって、気持ちがどんどん晴れ晴れとしていったのをついこの間のように思い出します。そのときの感謝をこめて、体験談を投稿いたしました。

最後のオチが飛躍しすぎです!せめて、どの本のどの部分がどういう風に心に響いたとか、もう少し詳細に書いた方が現実味があるんじゃないでしょうか。
あと、やっぱりこれも単なる「不幸体験」であって(勿論カルト宗教に引っかかったのが最大の不幸)、「忍耐体験」とは関係ない気がします!

今、私は忍耐の時を迎えています。
旦那と結婚して1年、いびきと寝言で熟睡ができない!!!!!
(中略)
みなさんの忍耐体験を読んで、励みにしたいと思います。

全く解決していないどころか、単なる愚痴でしかないという、何この投稿!
「みなさんの忍耐体験を読んで励みにしたい」って、「幸福の科学」ってそんな教えでしたっけ!?「愚痴ってはならない」とか「疲れた時にこそ積極的な言葉を使え」とかいうような教えだったと思うのですが……。私が学んだ「幸福の科学」の教義に照らせば、この「忍耐の法」特設サイトというのは、悪想念にまみれた地獄的なものということになると思うのですが!
古くからの信者の方は、教義に矛盾を感じたりはしないのでしょうか。
勿論、従来の「幸福の科学」のやり方──善のみを見つめて悪を見ないとか、理想だけを掲げて本音を抑圧するようなやり方や、相手の話を最後まで聞かずに「あなたはここがいけないから不幸なのだ」と一方的に裁いたりするやり方など──は、ハッキリと間違いであるので、退会した今となっては、こうやって本音を語るのは、個人的には悪いことではないと思います。
折角なので、「毎月のお布施がきつい」とか「本部からの伝道目標が大変」とか「支部長がアホ過ぎて困る」とか「総裁先生の暴走が止まらなくて運営が厳しい」とか、そういう信者や支部長や幹部たちの本音の声も聞いてみたいところです。
ちなみに、イビキは睡眠時無呼吸症候群にも繫がる危険性もあるし、ご本人だって、知らずにイビキで毎日相方に迷惑を掛けているというのは、不本意な筈です。もし私なら、できるだけ早めに教えて貰いたいです。
あなたが「忍耐体験」と言わなければならないほど迷惑をしているのであれば、早めに本人に伝えて、お医者さんに相談して治療して貰うのがよいでしょう。

毎晩、ぐずぐず、しくしくと泣き続ける娘を、2~3時間抱っこし続けています。
抱っこしたからといって、泣き止むわけではないし……。
娘を抱いたままソファで朝を迎える日々は、一体いつまで続くのでしょうか。
今まさに忍耐の日々です。

まさにただの愚痴!
子育てが大変なのは分かりますが、育児相談は専門家や先輩ママさん方やおばあちゃんとかに聞けばいいでしょう。
これを「忍耐体験」としてサイトに掲載してしまう「幸福の科学」の担当者の感覚が謎です。例えば、一般の人がこの「忍耐体験」を読んで、「これはすごい!私も『忍耐の法』を読んでみたい!」という風になるとか思っているんでしょうか。何の目的でこのような「忍耐体験」を募集し、掲載しているのかが謎すぎます。

私は15年前に9歳の娘を病気で亡くしました。
その時は、もう目の前が真っ暗で、何人もの病院のお医者さんに「魂ってあるんでしょうか」「あの世ってあるんでしょうか」とすがるように聴いたことを思い出します。
答えは「天国も魂もありません」という非情なものでした。
娘を亡くしたばかりなのに、かなり冷たい言い方をされたことを覚えています。

それは非情でも何でもなく、あなたに現実を教えてくれたのです。あなたはその現実を受け入れるべきでした。

その後、救いを求めて、さまざまな書籍を読みました。
そんな中で、大川隆法総裁の著書に出会い、何冊もの本を読みふけりました。
まさに「スポンジが水を吸収するように」一言ひとことの言葉が自分の中に入っていきました。
今では娘は天国にいると確信しており、毎日を元気に明るく過ごしています。

可哀想に、現実逃避をして、空想の世界に答えを求め、結局、カルト宗教に引っかかってしまったのですね。
人の生死は世の常です。自分の子供が夭逝してしまうことだってあります。
およそ、カルトに嵌る人というのは、このように目の前の現実を受け入れることが出来ず、自分の信じる妄想を肯定してくれるものを求めている人たちなんですよね。だから、カルト信者というのは、おしなべて自己中心的です。
現実とは、自分の思い通りにはいかない(場合もある)ものであり、自分の思い通りにいかないことを受け入れるのが大切なことです。それこそが「忍耐」と言えるでしょう。
現実を受け入れられず、妄想の世界に逃げ込むというのは、忍耐の反対です。
あの世などないし、転生輪廻などない、永遠の生命などない、人生は一度きりで有限の時間しか持たないという現実を受け入れることこそが、カルト信者にとっての、本当の意味での忍耐です*1
その忍耐力のない人たちが、スピリチュアリズムや宗教に逃げ込み、空想や妄想を真理だと信じて、おかしくなっていきます。本人がおかしくなるだけなら兎も角、周りの人も巻き込んで不幸にしていきます。そのくせ、自分たちは絶対的な善であり正義であり幸福であると思い込んでいるから困ったものです。
『忍耐の法』なんて、タイトルからして、「常勝軍団・幸福の科学」とか言っていた嘗ての「幸福の科学」らしからぬ、『負け犬の法』じゃないですか。大川隆法も落ちぶれたものですね。今の大川隆法は、『三國志』で言う袁術*2的な雰囲気があります。自称「神々の主」、自称「大宇宙の根本仏」様。何とも哀れなものです。

*1:仏陀が「輪廻から解脱した」というのは、当時のインド人が皆信じていた輪廻転生が妄想に過ぎず、人生は一度きりでしかないということを悟ったという意味です。従って、仏陀が再誕することはあり得ません。この単純な真理さえ分からず、二千数百年前のインド人と同レベルで妄想を信じているのが「幸福の科学」信者たちです。

*2:自称「皇帝」だったが暴政を布いて数年で落ちぶれた人